プロローグ 逃げ延びた先に
新作です。
ゾンビものは初めてですので、表現が拙いと思いますが、暖かく見守ってください。
※2011年6月19日加筆改編しました。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ!」
「はぁっ…けほっ………はぁっ」
男と女が街を走っていた。
普段なら手を繋いで走るという状況は青春の一ページとも言えるが、今はそんな事を言える状況ではなかった。
一人は右手に赤い染みが付いた金属バットを持った三十代前半の好青年。もう一人は、長い茶髪を揺らしながら走る二十代後半の女性である。
男は青木透矢、女は青木文恵。二人は夫婦である。よく見れば確かに二人の左手の薬指には同じ指輪が光っていた。
「ま、待って! 透矢……君っ、待っ……て!!」
「止まるな、文恵っ! 止まったら追い付かれるぞ!」
「……ぐすっ」
透矢は鬼気迫った様子で、文恵は涙を流しながら走っていた。
実際、危機が迫っていた。
二人の周りに人は居ない。ただ遠くから悲鳴とも、絶叫とも聞こえる声が聞こえてくる。
二人が走る街は、普段なら子供達が走り回る―――親子連れが多く住む長閑 な街だった。
今は見る影も無い。
道路には血が飛び散り、至る所にミンチのような肉片が散乱している。別に今日が謝肉祭で、この地方特有の奇祭だという訳では無い。
辺りを埋め尽くす血や肉は、全て人間の物だった。
「くそ、くそくそっ!!」
透矢は悪態を吐きながら、倒れそうになる身体を無理矢理動かす。だが、文恵は限界だった。
もう三十分以上走り回っている。普段営業回りである程度体力があると自負している透矢でさえ疲れが隠せないのである、専業主婦の文恵が走れている事自体が奇跡だった。
二人は、見通しのいい駐車場に入る。辺りに動く者が居ないのを確認すると、透矢は一休みするために止まり、地面に座った。止まると同時に文恵もへたり込む。
「はぁはぁ……もう、走れない……っ!」
「はぁ、はぁ、駄目だ……一休みしたら、行くぞ……っ」
透矢は荒くなった息を整えつつ、へたり込んだ文恵に言う。一休みとは言っているが、透矢は油断無く辺りを見回し、動くものが無いか確認している。
駐車場は入口と出口が対照の位置にあり、入場するためには駐車券を取り、帰りに金を払う典型的なパーキングだった。
「さぁ、行くぞ」
「もう、無理だよぉっ! 走れないっ!!」
非難所まで後少しだった、だから身体に鞭打ってでも動かなければならない。一分も休まないうちに透矢は立ち上がり、文恵に言った。文恵は涙を流し、両手で顔を覆う。
「静かに、奴らに気付かれる……っ。早く行かないとまずいんだっ」
「無理なものは無理だもんっ!!」
「だから、静かに―――っ!?」
さらに声を上げて頭を振る文恵の口を塞ごうとした透矢は固まった。
くぐもった呻き声と共に靴を引きずる音が聞こえる。それも一つや二つでは無い。
辺りを見回すと駐車場の入口に影が見えた。
駐車場は入口以外がフェンスで囲まれていて、道路が見えなくなっている。そのフェンスの端から、その影は徐々に入口に近付いていた。必然的に呻き声も良く聞こえ始める。
「文恵急げ! 奴らが来た!!」
「……っ!?」
透矢は、文恵の手を取り無理矢理立たせた。そのまま出口に向かって走り出す。
文恵はよろけながら着いて来た。
出口も同様にフェンスで囲まれていて、向こう側は見えない。もしかしたら奴らが居るかもしれない。だが、そんな事に一々構っていられなかった。
透矢は、文恵の手を引いたまま出口を駆け抜ける。そのまま、脇目も振らず走り続け―――ようとした。
フェンスを越えた瞬間、脇から手が飛び出して来た。透矢は何とか避ける事が出来たが、その後ろに居る文恵は避けられる訳が無かった。
「いやぁぁぁぁぁぁっ!?」
「文恵!!」
手の持ち主である血だらけの男は文恵を掴むと、次の瞬間、首に噛み付いた。血が喉に詰まったようなくぐもった悲鳴が上がる。
「と……うや……く……」
「くそ、くそくそくそ! 文恵を離せ!!」
透矢は、文恵にさらに噛み付こうとする男の頭にバットを振り下ろす。頭丁部が陥没するが、男は痛みを感じてないかのように再び文恵に噛み付く。
数度バットを頭に叩き付けると、男はようやく動かなくなった。
「文恵っ!」
透矢はバットを放り出し、文恵に駆け寄る。だが、頸動脈を噛み切られたらしく、尋常でない量の血が溢れ出している。
「くそ! 血が、止まらないっ!」
咄嗟に手で押さえたが、そんな付け焼き刃が通用するわけも無く、血は溢れ出る。
「くそっ!」
透矢は悪態を吐き、文恵を抱きしめる。もはや彼女は痙攣を繰り返すだけで、意識は無い様子だった。
透矢の目から涙が零れる。辺りから引きずる音と共に呻き声が聞こえたが、もう彼には関係なかった。
「……もう……どうでもいい……」
諦めたように文恵の目を閉じさせ、座り込む透矢。
「文恵の居ない世界なんて……」
そう呟いた時、文恵の身体が動いた。透矢は、はっとして彼女を見た。
その瞳は―――開かれていた。
「ふみ―――げぁっ!?」
一瞬笑みを浮かべた透矢は痛みに声を上げた。文恵は目を開くと、突然彼の首に噛み付いた。
透矢は暴れるように文恵を突き飛ばし、血が吹き出す首に手を当てる。
「ふ、ふみ……え……」
夢遊病者のようにゆらりと立ち上がる文恵を見て、透矢は絶望した。
文恵―――だったモノは、他の奴らと同じように手を前に突き出し、足を引きずりながら透矢に向かってくる。それだけでなく、周りを見れば同じようにして彼に向かってくるモノがいた。
老若男女問わず、透矢に向かってくる。皆文恵と同じく何処かしらに噛まれたような後があった。
「……く、そっ」
透矢は文恵に噛み付かれながら、そう悪態を吐いた。