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歌劇団の囚人  作者: 青識or惣菊


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9/12

1-9 

夜の稽古場は、昼とは別の顔をしていた。

客席は闇に沈み、舞台の上だけに、消し忘れたランプの光が落ちている。


彼は台本を抱えたまま、舞台袖に腰を下ろしていた。

指先で紙の端をなぞる。文字はもう、何度も身体に染み込んでいる。


足音がした。


「……あの」


振り向くと、彼女が立っていた。

昼間の稽古の時よりも、ずっと小さく見えた。


「どうした?」


「こんな時間にすみません。でも……」


言い淀み、視線を落とす。

しばらく黙ったあと、彼女は舞台を見上げた。


「……怖いんです」


それは、あまりにも素直な声だった。


彼は言葉を探したが、すぐには見つからなかった。

代わりに、隣を軽く叩く。


「座れ」


彼女はためらいがちに腰を下ろした。

二人の間には、腕一本分ほどの距離。


「初舞台、ですよね」


「はい。主役なんて、正直、まだ……」


彼女は笑おうとして、うまくできなかった。


「昼は平気なんです。みんながいると、声も出るし、身体も動く。でも……」


指先が、膝の上で絡まる。


「夜になると、急に全部が現実になって。失敗したらどうしようって、考え始めると……」


彼女の声が、少しだけ震えた。


「観客の前で、言葉が出なくなったら。動けなくなったら。……先輩みたいに、長くここにいる人でも、怖くなることって、あるんですか?」


その問いに、彼は一瞬、答えられなかった。


怖くないわけがない。

だが、それを口にするのは、なぜか違う気がした。


「……慣れるだけだよ」


彼はそう言った。


「怖さが消えるわけじゃない。ただ、慣れるんだよ、いつもやってたらいずれ慣れるんだ。」


彼女は、真剣に頷いた。


「やっぱり……先輩は、強いですね」


「強くはない」


そう言いながらも、胸の奥で、何かが静かに持ち上がるのを感じた。


「ただ、慣れただけだ」


”そうだ…私はもうこの脇役に慣れてしまっている。

だが…


その慣れは俺の中ではもう無価値に等しい。


だれかの脇に存在するよりも誰かの中央に立っていたい。”




「……よかった」


ぽつりと呟く。


「先輩がいて」


俺は、はっとした。


「誰にも、こんなこと言えなくて。団長にも、仲間にも。弱いって思われそうで……」



「でも、先輩なら……分かってくれる気がして」


その視線は、信頼そのものだった。


俺は、ゆっくりと息を吐いた。


「……舞台に立ったら、余計なことは考える暇なんてなくなるよ」


「はい」


「鐘楼を見るんだそしたら誰かが合図を送るし、

そしたら音を思い出す。」


「……はい」


しばらく、沈黙。


やがて彼女は立ち上がり、深く頭を下げた。


「ありがとうございます。話せて、少し楽になりました」


その笑顔は、まだ完全ではなかったが、確かに軽くなっていた。


彼女が去ったあと、舞台には再び静けさが戻る。


彼は一人、暗い客席を見つめた。


”ああ……”


胸の奥に、奇妙な感覚が残っている。


”俺は、あの人にとって必要な存在なのだ”



それは誇りでも、喜びでもなく、

役割を与えられたという確信だった。


あの弱さを知っているのは、自分だけ。

あの震えを支えたのも、自分だけ。


ランプの灯りが、ゆらりと揺れた。


彼はその光の中で、

彼女が舞台に立つ未来を思い描きながら、なぜか自分がそこにいない光景を想像できずにいた。


その夜、彼は眠れなかった。

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