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歌劇団の囚人  作者: 青識


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8/11

1-8

公演後、楽屋裏はざわめいていた。


「すごかったな……」


「完璧だった」


「いや、本当に“天賦の才”だ」


彼女の名前が、何度も飛び交う。


彼は壁際に立ち、拍手の残響を聞いていた。


そのとき、背広姿の男が団長と話しながらこちらを見る。


「ああ、彼が例の……」


団長が軽く頷き、彼を手招きした。


「こちら、今回の舞台に出資してくださっている方だ」


男はにこやかに笑い、彼に手を差し出す。


「いやあ、素晴らしい舞台でした。

あなたが彼女を支えてくれたおかげですね」


「……いえ」


「安心感がある。

やはり、経験のある脇役がいると違いますな」


その言葉は、軽かった。

褒め言葉のつもりだったのだろう。


だがこれ以上とないほどの屈辱に感じられるのはなぜだろうか?


「彼女は主役として輝く。

あなたは、それを支える」


男は満足そうに言った。


「理想的な形です」


理想。誰にとっての?


その夜、プログラムを開いた彼は、

自分の名前が以前よりも小さくなっているのに気づいた。


主役の名は、太字で中央に。

その下に、彼女。


そのさらに下、端の方に、自分。


紙の上で、彼はもう“完成した存在”だった。

つまり、これ以上の変化を望まれなかったのだ。



数日後


稽古が一段落し、舞台袖で水を飲んでいたときだった。


「……あ、先輩!」


背後から、少し弾んだ声。

振り返ると、彼女がいた。

稽古用の衣装のまま、頬を上気させている。


「さっきの立ち位置の取り方、ありがとうございます。

先輩が教えてくれた通りにしたら、すごくやりやすくて」


「……それはよかった!」


短く返す。

それ以上、何を言えばいいのか分からなかった。


彼女は気にせず続ける。


「私、まだ分からないことばかりで……

でも、先輩がいてくれるから安心なんです」


その言葉は、柔らかく、純粋だった。

疑いようもない善意。


「先輩みたいになりたいって、思ってます」


胸の奥で、何かが音を立てた。


――俺みたいに?


五年間、平凡と言われ続け、

やっと掴んだ主役を失った男に?


「……俺は、別に」


言いかけて、やめた。


彼女は深く頭を下げる。


「本当に、ありがとうございます。

この舞台、先輩に教わったこと、全部使いますね」


笑顔だった。

何も知らない笑顔。


その瞬間、彼は理解してしまった。


彼女にとって自分は、

踏み台でも、敵でもない。

“感謝すべき過去”なのだと。


その日の夜彼の部屋はろうそくをともしておらず暗かった。


机の上に、台本が開かれている。

彼女の台詞に、無数の書き込み。


——ここは、もっと溜める


——この間は、鐘を見ればもう少し観客に伝わりやすくなるだろう


——ここで声を張りすぎると軽くなるな…


気づけば、

彼女の台詞を、自分の声で読んでいた。


「……違う」


低く呟く。


「ここは、そうじゃない」


立ち上がり、部屋の中央に立つ。

見えない舞台。

見えない鐘楼。


彼は、演じ始める。


彼女の役を。

いや、本来あるべき姿を。


声は自然に出た。

動きも、無理がない。


「……俺の方が、分かっている」


そうだ。

この役は、彼の時間の上にある。


もし、彼女がいなければ。


もし、直前で倒れたら。


もし、また何かが起きたら。


——代役が必要だ。


団長の声が、脳裏で再生される。


「……その時は」


鏡の中の自分が、彼を見返していた。


「その時は、俺が立つ」


それは願いではなかった。

祈りでもない。


当然起こるべき修正のように、

彼はそれを受け入れていた。


部屋の外では、運河の水音だけが静かに続いていた。

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