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歌劇団の囚人  作者: 青識or惣菊


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5/14

1-5 惨め

稽古終わり、舞台裏で彼が一人、譜面を見直していると、

背後から控えめな声がした。


「……あの、先輩」


振り返ると、彼女が立っていた。

衣装の袖を軽く握り、少し言いづらそうにしている。


「さっきの場面なんですけど……」


彼は一瞬、身構えた。

だが彼女は、申し訳なさそうに言葉を続ける。


「息を吸う位置、ほんの少し前にした方が

 台詞がきれいに届く気がして」


彼女は、実演してみせる。

確かに、理にかなっていた。


「……ありがとう」


それだけを返す。


「すみません、偉そうでしたよね」


「いや全然、本当に助かるよ…」


そう言うと、彼女はほっとしたように笑った。



「先輩の声、安定していて好きです。

 一緒に舞台に立てて、嬉しいです」


何の裏もない言葉だった。


――だからこそ、胸が締めつけられた。


礼を言うべきだと分かっていた。

だが、喉が動かなかった。


彼女はそれを気にする様子もなく、

「失礼します」と軽く頭を下げて去っていく。


残された彼は、

譜面の文字が滲んで見えることに気づき、

そっと目を伏せた。


数日後の昼休み。


団員たちは、いつものように固まってパンを食べていた。

彼もその輪にいたが、

話題の中心は、自然と彼女になっていた。


「今日の歌、すごかったな」


「感情の乗り方が違うよな」


「次の演目、完全に彼女の舞台だ」


誰も悪意はない。

ただの事実確認だ。


「そういえばさ」

一人が、何気なく言った。


「前の『暁の運河』の主役、

 ああいうタイプじゃなかったよな」


別の団員が笑う。


「ああ、まあよかったよな」


「安定はしてた」


安定。

過去形。


「でも今は、やっぱり華がないとさ」


その言葉で、

彼はようやく自分の名前が出ていないことに気づいた。


誰も彼を見ていない。

話題にすら、なっていない。


「……まあ、役割はそれぞれだよな」


誰かがそうまとめる。


彼は、黙ってパンを噛みしめた。

味は、まったくしなかった。




その夜、彼は部屋に一人だった。


灯りは小さく、

外からは運河を進む舟の音がかすかに聞こえる。


台本を開く。

彼女が主役の役。


彼女の台詞を、

無意識に声に出して読んでいる自分に気づく。


もしも彼女がいなければ…


そんな考えが、ふと浮かんだ。



一瞬だけ、

舞台上で立ち尽くす彼女の姿が脳裏をよぎる。


その瞬間、

胸の奥が、ほんのわずかに軽くなった。


「……最低だな」


呟いた声は、誰にも聞かれない。


彼は台本を閉じ、

両手で顔を覆った。


願ったわけじゃない。

そう言い聞かせる。


ただ、想像しただけだ。


だがその想像は、

彼の中に永遠に消える事の無い空間を作ってしまった。

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