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ほんの少し中心部から離れただけなのに、あっという間に周囲は暗くなり、伸び放題の雑草をかきわけながら進むことになった。
「うわ。ついに道の舗装がなくなったよ」
フォウが口をへの字にした。
「やっぱり村を名乗ってるだけのことはあるな。俺たちの村と似たような風景になってきた。真一くん、街灯もついてないこんなとこに、よく夜中に来る気になったなあ」
「学校で話を聞いたから」
先頭を歩く真一は、懐中電灯で道の両側を慎重に確かめている。
「この道の奥に廃墟があって、そこに毎晩幽霊が出る。昼間でも子供は絶対に一人で行っちゃいけないと、家でも学校でも小さい頃から言われてる危険な場所なんだって。こっそり行こうとして、ひどい目におしおきされたという子も多かったよ。
お前の親は止めないだろうし、お前に本当に霊感があるっていうんなら、一人で行って幽霊を掴まえてこいって、みんなに言われたんだ。だから行ってみたのさ」
「そういうときって、煽った連中も一緒についてくるもんじゃねえのか?」
「みんな、来るって言わなかったから。僕も誘わなかったし」
相変らず、真一の応答はそっけない。
それだけに、彼が口にすることの裏にどれだけの真実が隠されているのかということが容易に想像できた。
いじめっ子たちを見返してやりたくて、けれども自分が失敗するところを見せるのは嫌で、まずは一人でこっそりやってきたのだろう。
「幽霊はいたんだ」
真一は頑固に繰り返した。
「僕は見た。みんなにもそう言った。なのにみんな、信じてくれないんだ。一緒に来て見てみようとも言わない。ただもう僕のことをひたすらうそつきだ、ホラ吹き真一だって言うばっかりでさ。
ほんとはみんな、ここが怖いんだ。おしおきがどうとか、ただの言い訳さ。怖くて来られないのに、そうとは言えない弱虫ばっかりなんだ」
「あー……」
フォウが話の接ぎ穂を失って途方に暮れている。
「まあ、その、なあ。真一くん、幽霊といっても……」
「あっ、ほら!」
懐中電灯のぼんやりした光の輪の中に、古い日本家屋の輪郭が浮かび上がった。
信一たちの家よりも段違いに古く、しかも荒れ果てている。屋根も半分ずり落ち、壁には幾つも穴がいていた。
それでも構えとしては立派なものだった。
和彦はちらりとフォウを見た。
フォウは小さく首をすくめてみせた。
やはり、見掛け倒しのただの廃墟で、幽霊の気配はかけらもないようだ。
それなのに。
ひ、ひ、ひ。
突然、どこからか声がした。
「誰だ!」
和彦は慌てて周囲を見回した。
家の背後にはぎりぎりのところまで山が迫っていて、かつて庭だったであろう場所は背の高い草に覆われている。
加えてこの闇だ。
目を凝らしても、ほとんど何も見えはしない。
「こ、この声だよ!」
真一が真っ青な顔で、しかし勝ち誇ったように叫んだ。
「前に来たときも、この笑い声が聞こえたんだ! あっちへいったらこっちから聞こえて、探してもなんにもいなくて、そうしてたら次に、あそこから……ふぉう」
ばさばさっ。
何かがその草むらから飛び出して、真一のほうへ向かってきた。
真一が悲鳴をあげる前に、素早くフォウがそれを手刀で叩き落とした。
続いて二匹、三匹。
フォウが倒した最初の一匹はと見れば、地面に転がってバタバタさせている小さな翼は、ギラギラした銀色をしていた。
フォウがチッと舌打ちした。
だがそれは、翼のあるそいつらが霊障だからではない。
「真一くん、絶対そいつに触るなよ! コウモリに噛まれたら、わりと面倒なことになるからな!」
「コ、コウモリ!? この銀色の不思議な生き物が、コウモリ?」
「そんなに危険なのかこの生き物は?」
和彦は別のことに戸惑った。
「牙もなければ爪もなくて、見かけはなんの害もなさそうだが、毒でも持っているのかい?」
「えっ和彦さん、コウモリ知らないのか。うちの村にも山ほどいそうなんだけどな」
「いや僕もコウモリは知ってるけど、こんな銀色をしたやつは……」
「塗料だよ」
吐き捨てるようにフォウが言った。
「確かにコウモリ自体はたいした生き物じゃないんだけど、ここの世界では、こいつがやっかいなウイルスとかの媒介者になってることが多いからね。うっかり噛まれちまったらその後は抗体検査やらワクチン接種やら、あれこれうるさいことを言われるんだよ」
いかにも経験者らしいことを、顔までしかめてフォウが付け加えた。よほど嫌な思い出でもあるらしい。
しかしマッチを取り出すこともせず、ジャケットを脱いで振り回しただけだ。
それだけで、臆病な小さな動物たちは慌てて飛び去って行った。
ジャケットにこびりついた銀色のものを、いまいましげにフォウが指でぬぐった。
「くそ、コウモリに蛍光塗料なんか塗りやがって。あんなに光ってちゃ、あいつら今晩は獲物に逃げられっぱなしだぜ。気の毒な話じゃねえか」
「いやいや、フオウくん。そこじゃなくて」
しかたなく和彦が突っ込んだ。
「問題は、誰がコウモリに塗料を塗ったか……うわっ」
さっと白いものか視界を横切り、和彦は思わず後じさった。
どん、と背後の木に突き当たる。
それが合図だったように、今度は全てのことが一時に起こった。
泣き声、うめき声、叫び声。
影のようなものがあるいは白く、あるいは黒くひらめいて、ひゅんひゅんとあたりを行き交う。
「ほ……ほら! あれは間違いなく本物だよ!」
気を取り直した真一が、それらを忙しく指さした。
「フォウくんにも見えるよね? あれ、幽霊だよね!」
フォウは返事をしなかった。
じっと闇をすかして何かを睨んでいたかと思うと、急に、大きく跳びずさった。
助走も身構えもない、だしぬけの大ジャンプである。
和彦たちも度肝を抜かれたが、もっと驚いたのはフォウが着地した草むらの中にいた人物だった。
「ぎゃっ!」
獣のような悲鳴をあげて、草むらから飛び出す。
「待ちやがれ、このじじい!」
フォウが首っ玉を掴んで引っ張り戻したのは、ボロ雑巾のようないでたちの老爺だった。
竹竿を片手に持ち、もう片方の手には、いで立ちに似合わぬリモコンらしきものを握りしめている。竿の先には、さっきから飛び交っていた黒と白の布がくっついていた。ついでに、ひもでくくって長く伸ばしたコンニャクらしきものも。
なるほど、これがぺたりと頬にくっつけば、暗闇の中なら飛び上がるほどびっくりするだろう。
幽霊の正体、である。
「これもだ!」
反対側の草むらへひと跳びしたフォウが、何かを蹴っ飛ばした。
がしゃんと音がして、さっきまで鳴り響いていた幽霊の声がぴたりとやんだ。
和彦もそこへ駆けつけて、草むらを探ってみた。
手に触れたものを持ちあげてみると、なんとそれはスマホ用のスピーカーだった。
真一があんぐりと口を開けた。
「これ……これって、どういうこと?」
「つまりは、インチキってことさ!」
逃げ出そうともがく老人を地面へ押し倒し、フォウが怒鳴った。
「前回に真一くんが見たつもりだった幽霊ってやつは、何もかも、このじじいの細工だったんだよ!」
「そ、そんな……」
真一は呆然としてその場に立ちすくんだ。
ショックのあまり今にも倒れそうになっているところを、和彦が慌てて支える。
二人して、その謎の老人を呆然として見つめた。フォウに押さえつけられながらも果敢に大暴れし、手足をバタバタさせている元気なその老人を。
「かえれ、帰れええ!」
老人は甲高い声でわめきたてた。
しかも、口から出たのは思いもかけない言葉だった。
「お前らもこの村の宝物を狙ってきたんだろう? そうはさせるものか! 代々の家守の末裔であるこのわしが屋敷を守っている限り、一歩たりとも家の中には踏み込ませんぞ!」
「村の宝物?」
和彦とフォウは思わず顔を見合わせた。
「なんだそりゃ。じいさん、なんのことだ」
「いまさらしらばっくれるつもりか! この薄汚いトレジャー・ハンターどもめ! お前らなどフィリピンで山下財宝でも掘っておればいいのだ!」
「ちょっと、ちょっと」
激高する老人に、困った顔でフォウが言う。
「悪いけどさ、あんたがなんの話をしてんのか俺たちにはさっぱりだよ。村の宝物なんか初耳もいいとこなんだけど、要するにあんただかあんたの一族だかはそれを守るためにずっとこの屋敷に隠れ住んでて、誰かが近づくたびに幽霊のふりをして追い払ってたということか? 村の人たちが子供をここへ近づけさせないのもそのためってか?
というか、幽霊なんか演出したらこの配信者全盛の時代、かえって客がきちまうんじゃねえのか? あんたたち、ちょっとは時代の流れを考えたほうがいいぜ」
フォウが呆れはてたふうに老人へ話しかけている間、和彦は改めてお粗末な老人の仕掛けへ視線を巡らせた。
スマホとスピーカー、竹竿、こんにゃくに蛍光塗料。
トレジャーハンターとやらがこんな子供だましの仕掛けで退散するとしたら、それこそこんなおめでたい話もあるまい。
せいぜい真一のような子供を驚かせるのが関の山ではないか。
それは裏を返せばつまり、ここの宝物を本気で狙ってやってくるトレジャーハンターなど存在しない、ということでもある。
「少なくとも、金品ではない」
「えっ? 和彦さん、なんのことだ?」
「この村の宝物とやらだよ。村人たちにとっては非常に大切なものなのかもしれないが、目先の金品ではない。それどころか、当事者以外にはなんの意味もない代物なのかもしれない」
「そっ、そんなことは……」
この老人は考えが正直に顔色に現れるタイプで、とたんに落ち着きがなくなった。
あちこちに視線をさまよわせ、最後にまた和彦を睨みつけて怒鳴った。
「とにかく! 村人たちからの委託を受けて、我が家がこの秘密を守ることになったのは間違いのない事実なのだ! 村でも年寄り連中はそのいきさつをまだ覚えておろうよ」
「ということは、秘密はせいぜいそのあたりまでしか遡れないものだ、ということにもなりますかね。せいぜい何十年というスパンで、長くとも百年は経っていない? この国のいわゆる、戦前戦後の混乱期に生じた秘密というやつでしょうか」
「和彦さん、よくそんなこと知ってるなあ」
「父さんの研究所は元々、その戦争末期の産物だというからね」
氷浦教授の研究所は元々、終戦直前に旧日本軍が本土決戦のための秘密の大本営として建設したものだという。それを教授が居抜きで買い取ったのである。
「なるほど。今のこの村が土地柄に不似合いなほど発展している原因も、もしかしたらその秘密にあるのでは……」
「うるさあい! だからどうだというのだ!」
両手を振り回して和彦へつかみかかろうとした老人の目の前に、だしぬけに火柱が立った。フォウが素早くマッチを擦り、地面を這わせた炎である。
傷つける意図はないので、火勢は弱い。ただ、いかにも派手に見えるように薄く広げ、壁状にして老人の行く手をふさぐ。
その隙に和彦は、大胆に屋敷の中へ踏み込むことにした。
後ろで老人が悲鳴のようなわめき声を上げているのが聞こえたが、躊躇しない。
すぐ後ろにフォウが続き、フォウの腕には真一がぶらさがっていた。
室内は暗かったが、足もとのガラクタに誰かがつまづく前に、フォウが指先に炎を灯した。
ぼんやりと周囲が照らし出される。
まさに、廃屋だった。
年代的には、真一の母親の家より新しい時代に建てられたもののように見えたが、人が住まなくなってから何十年も経っているのだろう。
床板も畳もぐずぐずになっていて、さすがの和彦でさえ室内で靴を脱ぐ気にはならなかった。
足もとをネズミが走り抜け、真一がひいと叫んでフォウにすがりついた。
朽ちた家具を避けながら奥へ進む。
大きな家だが、迷う気遣いはなかった。
普段からあの老人が何度も出入りしているらしく、床には汚れた足跡が幾筋もついていて、そこだけはきちんと片づけがしてあったからだ。和彦たちはただ、その足跡をたどっていけばいいのだった。
廊下の行き止まりまで足跡は続き、そこで急に途切れていた。
しかし和彦はすぐに、大胆に壁をぐいと押しやった。思ったとおり壁がぐるりと動き、奥の隠し部屋が露わになった。
壁の動きの滑らかさからいっても、老人が頻繁に訪れメンテナンスをしているのはこの部屋だと思われた。
「……なんだあ、こりゃあ」
和彦の肩越しにその小部屋をのぞきこんだフォウが、すっ頓狂な声を上げた。
中にはいかにも古めかしい大型機械がでんと鎮座していた。
金属部分はすでにほとんどが錆付き、取っ手やハンドルらしき部分も、少し力を入れて握っただけでぽろりと折れそうなほど朽ちている。仰々しい歯車が幾つも組み合わさった内部が、ほころびた穴からのぞいていた。
フォウが指を、べろりと床に垂れ下がっているベルトにこすりつけた。
指先をジーパンで拭いて、チッと舌打ちをする。
「こいつは印刷機だな」
「印刷? なにを印刷する機械なんだい」
「そりゃあ和彦さん、村を挙げて隠さなきゃいけないものなんだから、だいたいの素性はわかろうってもんだぜ」
部屋の隅には幾つもの木箱が置かれていた。そのうちの一つをフォウが景気よく蹴っ飛ばした。
古い木箱は床に落ちるとすぐに留め金が外れてバラバラになった。中から藁の詰め物があふれだす。
それと共に、ガランと金属音がして黒い板が転がり出た。
和彦はそれを拾ってみた。
まったくなじみのない、複雑な模様が描かれている。だが、なじみはなくともその形状には見覚えがあった。
細かな線画で描かれた誰かの肖像画と、画数の多い漢数字。
細部は違っていても、おおよその意匠は今、和彦が財布に入れているこの世界の紙切れと同じものだ。
それを印刷していいのは国家が認めた専門部署だけだ、ということも、教えられずとも和彦にも想像はついた。
ということは、これはつまり。
「ニセ札……!?」
肩越しにその板をのぞきこんだフォウが、和彦の呟きに大きく頷いた。
「そうだろうと思った。今の紙幣とは違ってるから、ずいぶん昔のものなんだろうけどな。かつてはここでその原板とこの印刷機で、ニセ札を刷ってたんだよ」
「誰が?」
「そりゃあもう、この村の人が総出でやってたに違いねえぜ。和彦さんのいう、戦前戦後の混乱期をいいことにな」
そこへ、やっとのことで老人が室内へ躍りこんできた。
和彦が手にした金属板を見て、喉をしめられたような悲鳴を上げる。
最初は飛び掛かって奪い返そうとしていたが、先ほどのフォウの炎がよほど恐ろしかったのだろう。結局は両手で頭を抱え、その場に突っ伏して額を床にこすりつけた。。
「た、頼む! そいつを返して……いや、このことをどうか内緒にしてくれ! でなければわしは村八分にされてしまう!」
「いやいや、じいさん」
呆れたふうにフォウが手をひらひらさせた。
「この原版はどう見ても、今のこの国では使えない大昔のデザインじゃねえか。いまさらこんなものが発見されたところで、歴史的遺物としてどっかに展示するくらいの値打ちしかないぜ?」
「だが、わしらがかつてそれをやっていたことが他の村に知られてしまう!」
老人は絶叫した。
「わしらの村がなぜ周囲のどの村よりも豊かだったか。戦後にいち早く発展を遂げ、地域を代表する地位を獲得したか。その源がニセ札だったなどと、決して知られてはならんのだ!」
「えー……でも、さすがにそれは時効ってやつじゃねえの?」
「お前ら都会人に何がわかる!」
いまや老人は泣かんばかりになっていた。
「ただでさえわしらの村は、大昔からずっと他の連中から忌み嫌われ、見下げられておったのだ。戦中戦後の混乱とニセ札による潤沢な資金を利用して、やっとのことで地域のてっぺんに昇り詰めることに成功したというのに……」
「あのさあ。それもまたこの村の歴史のひとつってことじゃだめなのかよ」
「だめに決まっておるだろう!」
「そう思ってる村人が、じいさん以外にいるのかよ? みんな、大昔に村が総出でニセ札作ってて、その機械や原版を始末もせずに廃墟の中へ放置してることなんか、きれいに忘れてんじゃねえの? そうでなけりゃ、幽霊のふりをして脅かそうなんていうじいさんの作戦に、この場所を任せっきりにしたりはしねえだろ」
「うるさい! それもこれも、こいつの一族のせいなのだぞ!」
わめいた老人が次に指さしたのが真一だったので、和彦もフォウも驚いた。
いきなり話が自分に回ってきた真一もぎょっとして、無意識に後じさった。
「うわっ」
ただでさえ室内は暗く狭い。真一は、物陰に積みあがっていた木箱の中へ背中からダイビングする形になってしまった。
「し、真一くん! 大丈夫か」
フォウと和彦が駆け寄るより前に、朽ちた木箱が次々に真一の頭上から落ちてきた。
箱は真一に当たっては砕けて、中身が容赦なくあたりにぶちまけられる。ほとんどは印刷用の紙らしかった。たちまちあたりは舞い散る紙で埋め尽くされ、和彦とフォウの視界をも奪った。
「こりゃひでえや、完全に紙の中へ埋まっちまってるよ」
「しっかりしろ、無事か真一くん!」
和彦とフォウは紙吹雪をかきわけ、木箱の切れ端やガラクタの中から真一を掘り出そうとした。
老人が両手を振り回してわめく。
「何をするか! 汚れた一族の末裔はそのままにしておけばいいのだ!」
「そうはいくかよ、相手は子供だぞ!」
フォウが老人に怒鳴り返した。
「それに、汚れた一族たあなんだよこのクソジジイ! せっかくお母さんの生まれ故郷に帰ってきた子供に、なんてこと言いやがる! まさかてめえが指図して、学校で真一くんをいじめさせたんじゃねえだろうなあ?」
「ばかなことを言うな! わしが指図するまでもなく、この村の者なら誰でも、犬伏一族のことは知っておる」
「いぬぶせ?」
「うん」
首をかしげる和彦に助け起こされながら、真一が呟くように答えた。
「犬伏っていうのは、お母さんの苗字なんだ」
「そのとおりだ!」
仁王立ちになった老人が大きく頷いた。
「わしらは村の中へ犬伏の家を抱えておるせいで、大昔からずっと孤立集落として暮らしてきたのだ。
だが、今の時代はそんなふうに自分たちだけで生きていくことはできん。だからこそのニセ札作りでもあった。カネさえあれば電気も通る、水道管もつなげてもらえる。……誰もが貧しくなった戦後の時期には、周りの村々もしょうがなしに、かつては犬伏の村と小ばかにしていたわしらの助けを借りねばならなくなった。それゆえになおわしらは、ニセ札作りのことを隠さねばならなくなったのだ。
それもこれも、先祖代々からわしらに迷惑をかけ続けてきた犬伏の家系のせいで……」
「なんだかえらく勝手な話に聞こえるけどな、それって」
吐き捨てるようにフォウが言った。
「その理屈だと、村をあげてニセ札づくりをしてたのは、別に真一くんの母方のせいってわけでもねえじゃんか。要するに、村を近代化させるために目先のカネが必要だったという、それだけのことだろ。
ましてや真一くんは一族の最後の一人とはいえ、生まれたときから故郷を離れてよその土地で育ってるんだからさ。あんたらの業を背負う筋合いなんかひとつもねえよ」
「血は同じだろうが!」
老人は頑固に言いはった。
「どこで生まれ、どこで育とうが、犬伏は犬伏だ! その証拠にこやつも、こうやって元の村に舞い戻ってきおったではないか。血が呼んでおるのよ。最後の一人が死ぬまで、一族の業は消えぬのよ」
「僕が戻りたかったんじゃないやい!」
真一が叫んだ。
「僕はママが恋しい、ママのことが忘れられないって、パパに言ってただけなんだ。僕をママの故郷に連れて帰ったら学校に通うようになるなんて、そんなこと勝手に考えるようになったのはパパだもの! 僕の意見も聞かずに転校も決めちゃって! 僕だって……僕だって、こんな村に引っ越したくなかった!」
「し、真一くん」
激情を爆発させて老人にむしゃぶりつこうとした真一を、かろうじて和彦が背後から抱きとめた。
それでも和彦の腕の中で真一は泣きわめき、暴れまわった。フォウが加勢に駆けつけたが、真一がバタバタさせた脚に蹴られて足を滑らせた。
「うわっ、ちっちっ」
「フ、フォウくん!」
そちらに片手を差し出してひき戻そうとしたせいで、和彦も姿勢を崩した。
三人そろって床に投げ出される。
その勢いでまた、床いっぱいに広がっていたガラクタ類がさらに周囲へすっ跳んでいった。
ガラクタの直撃を受けて、隅に固めて置いてあった水甕が、がらんがらんと音をたてて幾つも倒れた。
幸いどれも割れはしなかったが、中には水が並々と入っていたものがあったようで、たちまちあたりは水浸しになる。
「うへえ、和彦さんなんとかしてくれよっ」
「あ、ああ」
言われて和彦は半分無意識に床へ手をかざした。
リューンの力を使ってこぼれた水を一か所に集めようとしかけて、ハッとして真一を振り返る。和彦が水を操る異界の剣士であることは、もちろん真一に話していなかったことを思い出したのだ。
だが、真一は、和彦のほうを見てはいなかった。
生き物のような動きで和彦の周囲に集まっていく水の流れも、彼の瞳には映っていなかった。
彼は。
「……真一くん?」
倒れた水瓶の一つを凝視していた。
正確には、水瓶の中を。
その水瓶には水が入っていなかった。甕の口が割れて、かぶせてあった封蝋ごと剥がれ落ちている。割れ目の部分からは、内側に黒々とした得体の知れない闇があるとしかわからない。
その闇を、真一はひたすら見つめていた。
否。まるで、闇のほうが真一を呼び込もうとしているかのようだった。
じわり。
と、闇が流れ出てきた。
黒々とした粘性の塊となって床をうねり、まっすぐに真一のほうへ襲い掛かる。
「なっ……!?」
和彦は息を呑んだ。
「どけっ、和彦さん!」
フォウが床でマッチを刷り、和彦を突き飛ばすようにして水瓶のほうへ飛び出した。
炎をかざし、水瓶からどんどんこぼれだしてくる闇に向かって叩きつける。
遅かった。
闇はものすごい勢いで真一に跳びつき、その両目の中へ流れ込んでいった。
フォウの炎が闇を追いかけるが、間に合わない。尻尾のほうだけをかろうじて焼くのが精いっぱいだ。
それ以上やれば、真一が炎に巻かれてしまう。
「し……真一くん!?」
闇を全て目から吸い込んだ真一は。
その場に立ち尽くしていた。
けれど、たった今までの真一とは違う。霊能力などとは無縁の和彦にもそれは痛いほど感じられた。
なにより顔つきが違う。目の輝きが違う。
自分に幽霊が見えるというそれだけを心のよりどころにしていた、内気で人慣れしないその少年が。
吠えた。
どんな獰猛な獣より激しく、高らかに。
「ひ……ひいいい……!」
老人が喉から絞り出すような悲鳴を上げた。
「い……犬神が! 犬伏の末裔に、犬神が降臨した!」
「なっ」
「なんだと!?」
異口同音にフォウと和彦が叫んで老人を振り返った。
「それは、どういうことだ!?」
老人はその場に腰をぬかし、ぶるぶると震えながら真一を指さしていた。恐怖のあまり歯の根があっていない。
顔を真っ青にして、何度も首を振る。
「見てのとおりだ……あ、あれが犬伏の血! 太古の時代から忌み嫌われながらも、それがなければ村を守ることもできなかった……呪われた一族の、呪われた姿だ!」
瞳から光を放った真一が、床を蹴って飛び掛かってきた。
口には鋭い牙、手には鋭い爪が生えていた。




