2
2
「真一は、僕の再婚相手の連れ子なんです」
固い背もたれの座席で小さくなって、息子のほうの洞口氏が言った。
「ええ? じゃあじいさんとはなんの血の繋がりもないってことじゃん」
思わず大声を出しかけたフォウに、和彦はしっと唇に指を当ててけん制した。
その和彦の膝には、真一がもたれかかって眠っている。
北の寒村から西の山村へ。移動にはもちろん複雑な過程が必要だった。直行便などあるはずもなく、東京からのアクセスは新幹線から夜行列車に乗り換えるのが一番だという洞口氏の言葉に従っているところである。しかも、列車の駅からはバスを二台乗り継いで、やっとたどり着けるのだという。
その女性が自分と同じ山奥の出だということは、結婚を決めて初めて知ったのだと洞口氏は説明した。
洞口氏は初婚だという。連れ子がいても躊躇しなかったくらいの惚れ込みようだったのなら、相手の出自など気にもしなかったのは当然である。
「で、奥さんは……」
「元々病弱なほうでしたから」
うつむいて、洞口氏は膝の上でぐっと拳を握りしめた。
語り慣れたふうだったが、妻の死を口にするたびに彼がいまだ心から血を流していることを、和彦は感じ取った。
そっと真一の頭を撫でる。やせぎすではあるが、眠っている子供の顔はやはりあどけない。
ウッ、と洞口氏が喉から嗚咽を漏らした。
「血のつながりはなくとも、うちの父も真一をそりゃあ可愛がってくれて。妻のことも気にいってくれました。妻と一緒に、何度も都会に出て僕たちと一緒に住んでくれと頼んだものでしたが……そのうちに、妻が病気で、あんなことに……」
つまり洞口氏にとって真一は、今も愛してやまない妻の忘れ形見なのである。
洞口翁も、息子が妻と認めた女性の面影を残す孫がいとおしくてならないのだろう。
そこには、血縁であるかどうかなどということは必要ない。
心のつながりのほうを大切にするこの一家に、和彦は好感を抱いた。
「そうかあ。それであんたは、男手ひとつで子供を育てる決意をしたってわけだな」
好意的な気分になったのはフォウも同じのようだ。さっきまでよりも口調が優しくなっている。
「いい……妻でした」
小さな声で洞口氏が言った。
「真一にとっても、最上の母親であったと思います。だからこそ、急に母を失った真一は想像以上に打撃を受けて……母親の仏壇を置いた部屋から出たがらなくなって、そのうちに学校へも行き渋るようになり……。
だから、妻の生まれ故郷が山村留学の対象になっているという話を聞いて、これしかないと思ったんです。真一も、母親の生まれ育った土地へ引っ越すと聞いて、少しは気持ちが上向きになっていたようでした。それが……」
「廃墟の幽霊の話で台無しに?」
こくり、と洞口氏が力なく頷いた。
「以前から真一は、僕は幽霊が見えるんだと言っていました。私は子供の戯言だと思って気にしておりませんでしたし、妻はそういった、なんというか……スピリチュアルなものがあまり好きではなかったのですが、本気でたしなめたりもしなかったようです。
それが、妻が死んでから急にひどくなって。
お母さんの幽霊があそこにいるんだ、僕には見えるんだ、などと言い出しました。母恋しさのあまり口から出まかせをいって、自分で自分を慰めているのだと思って、私も適当に話を合わせるようにしていました。
それがよくなかった。
真一は自分に本当に霊感があるという自信を持ってしまい、学校でもそういった話を言いふらし始めたのです。
母の死で霊感に対するこだわりは強くなるばかりだったうえに、この話ならすぐに仲間が作れるという成功体験もあったのでしょう。転校先でもさっそく、得意の霊感話を始めてしまったようで……」
村外れの廃墟で幽霊を見た、と言い出したときは、真一もそれほどむきになっていなかったという。
しかし、真一の幽霊話を教師たちはひどく叱った。子供たちの前で真一をうそつき呼ばわりするばかりか、洞口氏を学校に呼び出して厳しく難詰した。職員室でのそのやり取りも、盗み聞いた子供たちによってあっという間に学校中へ広がった。
「うちの洞口という姓もよくなかった。それからというもの、学校中の子供が真一のことを『ホラ吹き真一』と呼んでからかうようになりました。
言われるたびに真一はムキになって、本当に幽霊を見たんだ、自分には霊感があるのだから、見えないお前たちのほうがバカなんだとやり返しました。
そのうち、ホラ吹き真一の名前は学校だけでなくて、村じゅうの人が知るようになりました。それなのに、同情したり子供をいさめたりする者は一人もおらず、それどころか、子供のしつけがなっていないと叱られたり、陰口を叩かれたり……」
「奥さんの実家の人は味方してくれなかったのかよ?」
「妻の家は……妻が最後の一人でしたから。
妻は病弱だったといいましたが、元々、早死にの多い家系だったと聞いています。妻も早くに両親をなくし、兄弟姉妹もみんな早くに死んでしまったそうで。親戚も同じ業を背負っていて、妻の最初の夫はまたいとこだったそうですが、これも真一が生まれるとすぐ早死に。
妻はそれで何もかも嫌になって、新規まき直しするつもりで都会に逃げ出したのだと、そう言っていました……」
「ふうん」
フォウは考え深げに顎を撫でた。
真一は、フォウがプロの霊幻道士だと聞いて目を輝かせた。珊瑚が大げさに話したせいもあるだろうが、今度こそ自分に霊感があると証明してくれる人が現れた、と期待のまなざしでフォウを見つめていた。
この少年は人の注目を引くためにウソを承知で幽霊の話をしているのではなく、本当に自分には霊感があると信じている。
いや、信じたいのだろうと和彦は思った。
なにしろ、彼が一番よく見る幽霊は、母親のものだというのだから。
母さんはいつも、悲しそうな顔をしてこっちを見ているんだよ。
真一はそう語った。
思いもかけないときに、ふいと姿を現わすんだ。
僕、話をしたいのに、声をかけると母さんはすぐに消えてしまうんだよ。何か言いたそうにしているのに。僕にもっと強い霊感があったら、母さんの声が聞こえるかもしれないのに。
弟子にしてよ、と言われてフォウも困っていた。
和彦の視線に応えて小さく首を振っていたので、フォウの感覚を持ってしても、真一の周囲に霊の気配は感じられないのだろう。
死んだ母に会いたいという真一の思いが作り出している幻影だから、他の者には見ることも感じることもできないのだ。
「じいさんの依頼は、廃墟の幽霊が本物かどうか見極めるということだけだったけどさ。そんなことをしたからといって、真一くんの状態が本当に今より改善するのかなあ」
「僕はそれよりも、幽霊話を異常に嫌がる先生たちのほうが気になったよ。何かその村には、問題になってる廃墟について、触れられたくないところがあるんじゃないだろうか」
「ああ、なるほど。さえてるなあ、和彦さん」
フォウが短い口笛と共に指を鳴らした。
「そっちを片づけるという方法もあるわけだ。なんにせよ、問題解決の糸口は廃墟の幽霊か」
因習村、という概念は旅立つ前に珊瑚から聞いた。
日本だけでなく世界中のどこでも、古くからの家系が辺鄙な居住地により集まり、長いこと自分たちだけで暮らしている土地には、住民だけの慣習や秘密がある。それが居住地の近代化を遅らせたり、よそ者の移住を困難にしたりする。
そういった土地のことを、日本ではまとめて因習村と言うのだとか。
和彦たちが住んでいる山村には、幸いにしてそういうものが存在しない。
そもそもが老人ばかりの限界集落であり、そこへUターン組やら冒険組やらの比較的若い世代が入ってきて、そのおかげでなんとかかんとか共同体として成立しているという状態だからだ。
村の掟やしきたりがあったのだとしても、今ではほとんど忘れ去られているし、あったとしても気にしていたら生活が成り立たない。
「なにしろうちのほうでは、村の中心があの九条先生だからなあ。因習とか、唾つけて丸めてぽいっと捨てちまう人だよ」
「確かに」
和彦もつい笑ってしまった。
慌てて、真一を起こしたのではないかと様子をうかがう。
幸いにして真一は、大人たちのひそひそ話を気にせず眠り続けていた。
額の前髪を、和彦はそっと整えてやる。
洞口氏がいとおしげに息子の寝顔をのぞきこんだ。
「親父のこと、許してください。可愛い孫のために何かしてやりたいと、その思いでいっぱいなんですよ」
「いや、こっちはそのおかげで、ロハで旅行ができるわけだから。洞口さんこそ気にしないで」
慌ててフォウが言った。
「とにかく村の様子を見てみて、俺たちに何かできるか考えてみますよ。じいさんの依頼はまた別としてね」
「ありがとうございます」
車内に乗り換えのアナウンスが流れ始めた。窓の外に明かりが見えてくる。駅が近づいたのだ。
「ここからバスで一時間ほど。あとひと息です」
「でことは、真一くんを起こさなきゃな。おい、真一くん。起きろ起きろ」
ことさら陽気に、フォウが声を張り上げた。




