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限界集落に住むのは、主に老人である。
しかし、長い過酷な冬を乗り切ると村は急ににぎやかになる。春を迎えて人々の気持ちが明るくなるというだけでなく、春には連休がいくつも重なっていて、都会へ出て行った親族たちが小旅行を兼ねて帰郷してくるからだ。
洞口翁の家にも、息子と孫が一時帰還してきていた。
村で細々と牛の放牧をしている独居老人である。息子は大学進学を機会に過疎の村から逃げ出して都会で就職結婚をしていると聞いたことはあるが、その息子が戻ってきたのを見たのは、少なくともフォウと和彦は初めてだった。
「可愛い孫との時間は一瞬たりとも邪魔されたくないんじゃねえのかよ、じいさん」
フォウが納屋の戸の陰で首をかしげた。
洞口爺が急に、九条先生の無線まで使い、フォウをご指名で呼びだしをかけてきたかと思うと、ジープでフォウを村まで送ってきた和彦ともども納屋に引っ張りこんだのだ。
「少なくとも息子と孫が帰ってくるまでは、俺たちにもそう言ってたよな、じいさんは。お前らや牛の顔なんぞ見ている時間が惜しい、牛小屋の修理は連休が終わってからでいいってさ」
親切で農作業の手伝いをしている身としては、いきなり邪険に追い払われて嬉しいはずもない。ましてや、仕事をしないでいいというのではなく、作業の延期かつ工期の短縮までされてしまったのだ。
機嫌をよくしろというほうが無理ではある。
「まあまあ、フォウくん」
苦笑して、和彦がなだめ役に回った。
「牛のお産の予定日は人間の都合で変えるわけにはいかないんだし、だからといって祝日はずらせないだろう。そのしわ寄せは、休日や祝日なんか関係なく暮らしてる僕らが引き受けるというのが、妥当な線だよ」
「ちぇっ。和彦さんは相変わらず誰にでも優しいんだから」
フォウが頬をふくらませた。
「悪いのは、国の決めた祝日にしか旅行をしない日本人ってやつだよ! この国ではどいつもこいつも、たった三日や四日の休みをありがたがって、ギチギチに予定を詰め込んで旅に出るんだから。
せっかくの里帰り、景気よく二週間くらいまとめて休んじゃえばいいのによ。俺たち香港人なら絶対にそうしてるぜ」
そのへんはお国柄といやつで、どうしようもあるまい。
洞口氏の息子はごく普通の会社に勤めるごく普通のサラリーマンだというから、短い連休を利用してでも親の顔を見に帰ってくるということ自体が上出来である。
「いや、そうじゃないじゃ」
普段は苛烈な爺さんが、やけに肩を落として力なく首を振った。
「うちの息子が帰ってきたのは、わしのためじゃない。問題は、孫のほうなんじゃよ」
「へえ?」
フォウと和彦は顔を見合わせた。
「真一くん、だったっけ?」
小学校の高学年だと聞いた。その割には発育の悪い、おどおどしたやせっぽちの少年だった。
和彦たちもついさっき顔合わせをしたところだが、上目遣いでこちらをうかがっているばかりで、ろくに挨拶もしなかった。
礼儀知らずなのではなく、他人に対しておびえていると知れた。
洞口翁は深いため息をついた。
「小さい頃は、活発でやんちゃで人なつこい子だったんじゃが」
「えー? とうていそうは見えなかったけどなあ」
「死んだ母親の田舎に引っ越して以来、暗い性格の引っ込み思案になってしもうたんじゃ。どうも、あちらの風土になじめなかったようでのう」
「あちらって?」
「西のほうの山村じゃよ。この村よりはよほど開けておると息子はいうが、それでもかなりの田舎らしくてな。よそ者にとっては暮らにくいらしいわ」
「そんな暮らしにくいところへ、なんでわざわざ?」
「山村留学、というらしいわい」
日本の政府が導入した学校の制度で、子供の減っている山間部などの学校に都会から一時的に子供の学籍を移して、自然と触れ合いながらのびのびと教育を受ける機会を作るというのが主旨である。
受け入れ側の自治体にとっては、土地に親しみを持つ次世代を獲得するという利点があり、さまざまな支援制度の元で運営されている。
というのはあくまで建前。
実質的には、転地療養を必要とする子供たちにとっての緊急避難の場として使われている、というのが実態だとか。
最も多いのはいじめ事案で、在籍する学校に居づらくなった子供に、少人数でのゆったりした環境を提供するという意義があり、近年になって特に注目されている制度である。
「わしの孫は、いじめとかではなくてな。母親を病気で急に亡くしたことが原因で、暗い打ち解けない性格に変わってしまったのだよ。
学校も休みがちになってしまってな。それを心配した息子が、死んだ妻の実家がある村に山村留学制度があるのをみつけたというわけじゃ。
なつかしい母親の故郷に移住することで少しでも息子の心が癒されれば、と考えてのことだったんじゃが、それが裏目に出てのう」
「はあー……」
フォウはそろそろ、洞口翁の話の迂遠さににじりじりし始めている。
老人の長話に辛抱強く付き合うことはこの村に住む者にとって必須の能力なのだが、いきなり仕事をキャンセルされたかと思うと急にやいのやいのと呼び出され、どんな一大事があったのかとジープで駆けつけてきたら、延々と続く身の上話である。
元よりフォウは気の長いほうではない。
「それで俺たちにどうしようっていうんだよ。孫と一緒に遊んでやってくれ、とか?」
「いや、そうではないんじゃ」
そこで急に洞口翁はがばと身を起こし、フォウの両手を強引に取った。
「頼む、フォウくん! 孫と一緒に、その村へ行ってやってはくれんだろうか」
「……はああ!?」
あまりといえばあまりに意外な依頼に、フォウはその場でひっくり返りそうになった。
もちろん、驚いたのは和彦も同じだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ洞口さん。それはつまり、息子さんとお孫さんが帰るときに、フォウくんについて行ってほしいと? いったい、なぜ?」
「そこなんじゃよ」
洞口翁は二人の驚きにいっさい頓着しない。
自分の思いで頭がいっぱいな様子だ。
「九条先生のところの珊瑚ちゃんに聞いたんじゃが、フォウくんの本業は霊媒師だとかいうじゃないか」
「……えーと。正しくは霊幻道士っていうんですけどね」
「要するに、霊を透視したり、悪霊払いをしたりする仕事なんじゃろう?」
「まあ、するといえばしますけど」
「頼む! 孫が見た幽霊が本当にそこにいることをお前さんの目で確かめて、やつのクラスの連中に証言してやってはくれんだろうか」
今度こそ、フォウは絶句した。
口をぱくぱくさせているのは、爺さんに何かきつい一言をお見舞いしてやりたくて、けれども何も思いつかないからに違いなかった。
何度か発言を試みて、あきらめて和彦を振り返る。
助けてくれという視線を向けられて、和彦も困った。
「えーと」
しかたなく、二人の間に割って入る。
「それはつまり、真一くんがその村で、幽霊を見た?」
「そのとおり!」
洞口翁は力強く頷いた。
「うちの孫は昔から霊感が強くてな。以前の学校では、友達の背後霊を透視したり廃墟で幽霊を見つけたりして、それでかなりの人気者になっておったんじゃ」
「あー」
フォウが唸った。
「言ったもん勝ちですからねえ、そういうのは。というか、学校で幽霊の話をまことしやかに話すやつが人気になるってのは、世界共通の現象なんだなあ」
いかにも眉に唾をつけたそうだ。
香港でもやはり子供の世界では、霊感があることがステイタスで、真偽にかかわらず言ったもの勝ちになってしまうのだろう。
「いやいや、わしの孫には本当に霊感が……」
「ああ、わかった、わかりました」
おざなりな口調でフォウが洞口翁の言葉を遮った。
手をひらひらさせている様子も彼がいかにもうんざりしている証拠だった。
和彦も、以前にフォウか珊瑚へ話しているのを聞いたことがあった。
曰く、自分に霊感があると思い込む者は古今東西絶えることがなく、そいつに本物の霊感があった試しは一度もない。誰もかれも、自分の想像力の中で作り出したものを見たり感じたりしているだけ。いわば幽霊は、それ見た人が心で作り出しているのだ、と。
「おかげで状況はなんとなくわかりましたよ。要するに信一くんは前の学校では霊感ネタで人気者だったけど、引っ越した先でも同じようにして失敗した、ということですかね」
「霊感ネタとは無礼な!」
洞口翁が怒った。
「うちの真一がウソをついているというのかね!」
「いや、ウソというか……」
「移動にかかる費用はわしが全て払う!」
覆いかぶせるようにして洞口翁が怒鳴った。
「フォウくんはただ、息子たちが帰るときに同行して、信一が幽霊を見つけたという廃墟を透視してくれればいいのじゃ。
……よしんばそれで幽霊がいなかったとしても、それでけっこう。お前には本物の霊感がないのだと、真一に告げてやってほしい。さすれば信一も目が覚めよう」
その言葉に、和彦もはっとした。
洞口翁も、孫かわいさに目がくもっているのではないのだ。孫を助けてやりたくて必死なのだ。
和彦はそっと、手をフォウの肩に置いた。
「フォウくん、僕も一緒に行くよ」
「で、でも和彦さん……」
「お前に霊感はない、自分でそう思い込んでいるだけだ……なんて、面と向かって言うのはなかなか辛いだろう? 僕がついていってなんの役に立つかはわからないけれど、君が一人で辛い思いをするとわかっていて、黙ってはいられないよ」
「よしっ、ではこれで決まりじゃな!」
洞口翁がぱんと両手を合わせた。
「和彦のぶんも、旅行の代金はわしに任せておけ。息子たちにもわしから話そう。お前たちは二人で春の小旅行をして、その合間に少しばかりわしの頼みごとを片づけてくれる、そういうつもりでいればよいのだ!」
「いえ、それではあまりに……」
「なんだ和彦、遠慮はいらんぞ。氷浦教授にもわしから話を通しておくからな。さあ、そうと決まったら息子に話さねば!」
老人とは基本的に、言い出したら聞かないものである。戸惑う和彦やフォゥを後目に、元気いっぱい母屋へ駆け戻っていった。
しばらくして母屋から聞こえてきたええええーという大声は、たぶん洞口息子のものだろう。
フォウが肩をすくめて言った。
「和彦さんもたいがいお節介だなあ」
「おや、僕は邪魔者かい?」
「やだなあ、誰もそんなこと言ってねえだろ。あーあ、面倒くせえこと引き受けちまったぜ。俺に言わせれば幽霊なんか、向こうから襲ってくるものであって、こっちから探しに行くようなモンじゃねえんだけどなあ」
「洞口さんは、廃墟の幽霊と言っていたね」
「実のところ、廃墟に住む幽霊は人との交流が少ないせいか魂の消耗も早くて、意外にすぐ塵になって消えちゃうから、滅多に会えないレアものなんだけどね。
それでも廃墟が霊感好きに人気なのは、人が滅多にこない暗くて汚い場所を見ると、誰だっていい気持ちはしねえだろ? なんかいそうだなと思ってるところに風が吹いたり草むらが揺れたりしたら、ほら出たってことになりやすいのさ」
「だったら、真一君も?」
「さあ。それは、行って見てみなきゃわかんねえけど」
そう言いつつもフォウは完全にだれている。
「春の小旅行だってよ。いくら他人のカネで行くとしても、旅行ならちょっとは楽しいことがなきゃ、やってられねえよな。和彦さんが一緒に来てくれてよかったぜ」
「僕が同行することで君が楽しく思ってくれるとしたら、光栄だね」
「そりゃ一人よりは百倍もいいさ! 考えてもみろよ。和彦さんがおせっかいしてくれなかったら、俺はほぼ赤の他人の親子と一緒に旅行する羽目になりかけてたんだぜ?」
君は誰とでもすぐ仲良くなるんだから大丈夫だよ。
そう言いかけて、和彦は途中でやめた。フォウが自分の同行を喜んでくれる。それが、和彦にとっても嬉しかったからである。
春の小旅行。
任務はあれど、少しだけ気分がうきうきしてきた。
「仕事が終わったらさ、帰る道すがら、どこかよさそうな観光地に行ってみようぜ。考えてみれば俺、日本の西のほうってよく知らないんだ」
「僕もだよ」
ときどき氷浦が学会に出席するといって、和彦を連れ出そうとすることはある。けれども和彦は、滅多にその誘いに乗ったことはなかった。つけたりの人生をこの寒村で送る身としては、外界にはなんの関心もなかったからである。
それなのに今は、フォウとちょっとした旅行をするというそれだけのことに、こんなに気持ちが浮かれている。
現金なやつだな、と自分で自分に苦笑してしまう。
「日本の西でしか食べられないものも、いろいろとありそうだよな! 和彦さん、何が食べたい?」
「君はいつも食べ物の話をしてるなあ」
「そりゃそうさ、俺は香港人だもん」
二人が冗談を言い合っている間にも、母屋のほうからはけんけんごうごう、洞口翁が息子と言い争う声が響いてきていた。
だんだん息子の声が小さくなっているところを見ると、説得は成功しているらしい。
「さあ。そうとなったら、信一くんに会って、心の準備をさせておくかな。行こうぜ、和彦さん」
フォウが納屋の柵からぽんと飛び降りた。
汚れた手をぽんぽんと擦り合わせ、自分に気合を入れる。
「あんまり気の進まない仕事をするときは、終わった後で食べる美味しいもんのことを考えるのが一番だぜ。
和彦さん、西日本の甘いものと辛いもの、どっちを調べてくれる?」




