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「駄文作家」

作者: 秋定弦司

 あの夜のことを、どうしても忘れられない。

 胸を切り裂くような言葉と、かすかな救いの一言が同じ場所に混じり合っていた夜。創作をしている限り、避けようのない出来事なのだろう。


 自分の書いたものが「駄作」と笑われる痛みは、今でも沁みついている。けれど同時に、「よくできている」と囁かれた温もりもまた、消えることはない。あのとき私は、言葉が人を殺しもすれば生かしもすることを、はじめて身をもって知った。


 これは、そんな記憶の断片を掬い上げた物語だ。

 誰かに読んでほしいというより、むしろ自分自身に言い聞かせるために書き残したものに近い。忘れないために、そして書き続けるために。


 そして創作に関わらずすべてのモノを作る方々へ……。

 あの夜のことを、今でもよく覚えている。

 いつものように常連たちが笑い合う小さなバーに、ふらりと俺は足を踏み入れた。安酒を頼む声が、少しだけ震えていたのを自分でも感じていた。作家だなんて、とても胸を張って言えるような人間じゃない。ただ、ブログに小説めいたものを並べているだけの、半端な物書きにすぎなかったから。


 バーテンは優しかった。「よくできてる」と言ってくれた。ほんの一言だったけど、その温かさが胸に残った。


 だが、あの空気は一瞬で変わった。

 「駄作だな」――そう吐き捨てる声が響いた瞬間に。


 理由もなく、読むまでもない、と断じられた。心の奥を冷たい手で掴まれるような感覚だった。悔しさもあったが、それ以上に、何も言えずにいる自分が情けなかった。


 その場を救ってくれたのは、他の常連たちだった。マスターは「初作なら及第点」と言ってくれ、現役の作家は具体的な改善点まで示してくれた。あの言葉に、どれほど救われたか分からない。


 けれど、ただ「駄作」とだけ言い残した男は最後まで何も語らなかった。謝罪とも言い訳ともつかぬ言葉を残し、夜の闇に消えていった。


 数日後、彼が店に顔を出すたび、マスターは「貸切だ」「今日は閉店だ」と言って追い返した。理由は言わない。だが空気が全てを物語っていた。


 ある夜、客が引けたあと、マスターは煙草をくゆらせながら俺にだけ打ち明けてくれた。


 ――あのバーテンは、元脚本家だと。


 「よくできてる」という一言には、裏打ちされた経験があったのだ。


 マスターは最後にこう言った。


 「モノを作る人間に最低限の敬意も払えない奴は、黙ってりゃいい。駄作と笑うだけの奴より、作り続けるお前のほうがずっと遠くに行ける」


 あの言葉が、今も胸に残っている。

 あの夜を境に、俺はようやく――小さな一歩を踏み出せた気がする。


 この物語の核となった出来事は、決して作り話ではありません。


 創作に携わる人間にとって、「駄作」という一言は刃物にも似ています。理由もなく突きつけられれば、ただ傷だけを残し、何も育まない。けれど同じ批評であっても、相手を尊重し、少しでも良くしようという気持ちが込められていれば、それは救いとなり、前に進む糧になります。


 私はこの体験を通じて、作品の価値は誰かに決めつけられるものではなく、自分の歩みの中で少しずつ形づくられていくものだと学びました。未熟さを恥じるより、続ける勇気を大切にしたい――そう思えたのです。


 創作に関わるすべての人が、互いを尊重し合いながら前へ進めるように。

 この小さな物語が、その願いの一端となれば幸いです。


秋定 弦司

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