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鉄仮面令嬢は完全無欠の若き公爵閣下に溺愛される  作者: 松うみか


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9 エリシアの部屋

 重厚な扉が閉じられる音を背に、エリシアはそっと胸に手を当てた。

 ハルトヴィヒと決めた約束事は、それほど難しいものではなかった。そもそも共同生活の一番初めに約束事を決めようと提案してくれた時点で、彼の優しさを感じる。

 だが――。


(『ハルト様』って呼べなかった……)


 なんの抵抗もなく自然とエリシアの名を呼んだハルトヴィヒに対し、エリシアは気恥ずかしさが勝って彼の愛称を呼べなかった。

 エリシアは長い吐息をひとつこぼす。


「エリシア様」


 ふいに声をかけられ、廊下の片隅に立つ人影に気づいた。そこにはチェルシーが、両手を前に揃えて控えていた。


「待たせたかしら」

「いいえ。 むしろ早速仲を深められたようで安心しました」


 何を勘違いしているのか、チェルシーは満面の笑みを浮かべた。

 

「……深めてないわ。ただ生活におけるルールを決めていただけよ」

「ふふふ。それはそれは、良かったですね」


 エリシアは端的に事実を言う。

 だが、チェルシーはにやにやしたままだ。シェリーに告げ口したくなる気持ちが芽生える。


「それでは、お部屋へご案内しますね」


 エリシアは頷き、チェルシーの後について屋敷の奥へと歩みを進めた。



 エリシアに用意された部屋は、華美な装飾こそないものの、調度品のひとつひとつに上質な素材が使われた品のある空間が広がっていた。

 窓辺には薄いレースのカーテンがそっと揺れ、外の庭園からの緑の陰影を映している。窓から望む庭園には、淡い空色と薄紫の花が咲いており、近くには白いガゼボが見える。あそこで本を読んだり、のんびりとお茶を楽しむのもいいかもしれない。そう思うと少しだけ胸が躍った。

 壁際の小さなテーブルには、白磁の水差しとグラスが置かれており、花瓶に挿されたライラックがほのかに香りを放っていた。

 足元には深い藍色の絨毯が敷かれており、その縁にはさりげなく織り込まれた淡い金糸が、陽の光を受けてかすかにきらめいていた。

 部屋の中心には天蓋付きの寝台が据えられており、その隣には小さな机と椅子が置かれていた。


「エリシア様、見てください! ドレスがこんなにたくさんっ!」


 チェルシーが私室から繋がる扉を開けると、そこには私室よりも少し狭い空間に一人では着られない量のドレスがずらりと並んでいた。

 圧巻の景色に、エリシアは内心唖然とする。


「しかも、どれもエリシア様にぴったりですよ?」

「え?」

「ドレスは持ってこなくていいと仰っていたのは、こういうことだったんですね」


 なにぶん急な話だったため、エリシアは必要最低限の荷物をまとめてきた。その際に、ドレスは公爵家で用意するからお気に入りのものや思い入れのあるものだけを持ってくるように言われていたのだ。

 エリシアはドレスにもアクセサリーにもそれほど興味はなかったので、義姉から贈られてきたであろう未着用のドレスと母の遺品のアクセサリー、それから数冊の本だけを持ってきた。貴族令嬢とは思えない身軽さだっただろう。


「それに、エリシア様好みのシンプルなデザインのものが多いですね」


 確かに、大きなリボンやフリルがふんだんに使われているような今流行の華やかなドレスは見当たらない。どちらかといえばエリシアが好むようなシンプルなドレスが多い気がする。色合いは柔らかなものが多かったが、完全にエリシア好みのドレスだけにすると、紺一色になりうるので仕方ない。

 ドレスはチュールがふんだんに使われているものや、細かい刺繍が施されたものなど、シンプルでありながらこだわりを感じさせるものばかり並んでいた。衣装室にはドレスだけでなく、動きやすそうなワンピースもかけられている。

 これらすべてがエリシアのものなのか疑わしくなるほどの量だ。世のご令嬢方はこんなにもドレスを誂えるものなのか。


「すでにエリシア様の好みも把握されているなんて、さすがですね。エリシア様への愛を感じます」

「た、たまたまでしょう……」


 これだけの量のドレスをエリシアのサイズに合わせて、昨日今日で揃えられるものなのか――――なんだかあまりにも用意周到すぎて怖さまである。


(いやいや、考えすぎでしょう……)


 もともと誰かのために作られたものを、急ごしらえで回されたのかもしれない。もしくは誰にでも合いそうな無難なドレスを備えていたのかもしれない。それがたまたまエリシアと同じサイズだったというだけだろう。そう考えれば、まだ納得できる。いや、そう考えるしかない。


 エリシアはそう言い聞かせながら部屋へ戻ると、寝台に腰を下ろし息を吐いた。

 目まぐるしい一日で、引きこもりがちなエリシアには疲労が溜まっていた。少し横になりたい。

 その様子に、チェルシーは眉を下げた。


「夕食まで少しお休みになられますか?」

「……そうね。と言いたいところだけど」


 部屋の扉を叩く控えめな音がした。

 一人の侍女が姿を現すと、夕食の準備が整ったことを知らせてきた。

 残念ながら、休む時間は与えられなかった。いや、多分、ハルトヴィヒに言えば時間をずらしてくれたと思うが――。


「……参りましょうか」


 エリシアはチェルシーと共に食堂へと向かった。

2025/09/02 加筆修正しました。

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