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6 リヴェール家の食堂

一話抜けていました。申し訳ありません;;

 思わずぱたんと扉を閉めて左右を見渡したが、間違いなくここはリヴェール家の廊下である。ということはこの扉の先は貴賓室ではなく食堂で間違いはないはずだ。

 寝不足で夢と現実の境がわからなくなっているのかもしれない。きっとそうだ。寝ぼけているのだ。そうに違いない。そうであって欲しい。

 そんな淡い期待をこめながら、再び食堂の扉を開けた。


「ここは君の屋敷だよ」

「………………ごきげんよう。アルベルト公爵閣下」


 堪えきれないとばかりにくくっと笑いをこぼすハルトヴィヒに、エリシアは少し間を置いて挨拶をした。

 なぜ昨日の今日で公爵閣下が我が家の、それも食堂にいるのか分からない。昨日のエリシアの無礼な振る舞いに対する抗議をしに来たにしては、何やら機嫌が良さそうに見える。

 いずれにせよ、エリシアが初めに取るべき行動は決まっている。


「昨日は大変失礼いたしました」


 まずは謝罪である。予期せぬ出来事に混乱していたとはいえ、逃げ出したのは良くなかったし、視線に耐えられなかったとはいえ、逃げ出したのは良くなかった。

 頭を下げたエリシアに、ハルトヴィヒは「そんなことか」と呟いた。


「気にしないで。そんなつもりで来たんじゃないから。それにしても今日のリヴェール嬢は一段と美しいね。そのドレス、よく似合っているよ」

「…………ありがとうございます。それで、本日はどのような御用向きで、こちらにいらっしゃるのでしょうか?」


 まさか自分では絶対に選ばないであろうドレスについて感想を言われるとは思わなかった。だが、どうせ社交辞令である。見え透いたお世辞は軽く流した。

 少しだけハルトヴィヒに違和感を抱いたが、その違和感の正体は掴めない。

 そんなことよりも目下確認したいことは、用件である。


「今日何をしに来たのかと問われれば、君との結婚を進めるためかな」


 ハルトヴィヒは指を組みにっこりと笑みを浮かべた。きっと他の令嬢であれば、この微笑みだけで何もかもどうでも良くなるほどの威力があるだろう。そのくらいこの青年は美しい。

 しかし、エリシアは違う。


「それはいたしかねます」

「理由は?」

「我がリヴェール伯爵家にメリットはあっても、アルベルト公爵家にメリットがないからです」


 リヴェール伯爵家にとっては今をときめくアルベルト公爵家と懇意になること自体、特別な意味を持つ。

 この若き当主はかなりの切れ者で後ろ暗い噂もない。さらには王家との繋がりもあり、一目置かれている――となれば、リヴェール伯爵家に限らず誰もがアルベルト公爵家と縁を結びたいと思うものだ。


 しかし、アルベルト公爵家側がわざわざエリシアを――もといリヴェール伯爵家を選ぶメリットはない。

 リヴェール伯爵家は経営こそ安定しているとはいえ、鉱石が取れる領地があるわけでも、武術に長けた家柄なわけでもない。平たく言えば、平々凡々。

 少なくともリヴェール伯爵家には、アルベルト公爵家に差し出せるような価値のあるものは何も持っていない。

 むしろ悪名の付いたエリシアを選べば、アルベルト公爵家の評判を下げてしまうだろう。

 ゆえに、ハルトヴィヒがエリシアを選ぶデメリットはあってもメリットはないのだが、目の前の美丈夫は「なんだそんなことか」と呟くと、安堵したように息を吐いた。


「僕にはメリットしかないんだよ」

「なぜです?」

「だって僕はリヴェール嬢に一目惚れしたんだから」


(一目惚れ?)


 一目惚れとは何だっただろうか。

 もしかしてそれは、一目見ただけで相手のことが好きになるというあれのことだろうか。

 エリシアはぱちぱちと目を瞬かせる。


(それで、誰が誰に一目惚れしたと……?)


「僕がリヴェール嬢に一目惚れしたんだよ」

「はっ!?」


 口に出したつもりはなかったのだが、どうやら出ていたらしい。

 まさかはっきりと言われるとは思わず、珍しく素っ頓狂な声をあげてしまい、慌てて口元を手で塞いだ。


「君ほど美しい人には、今まで出会ったことがないよ」


 ハルトヴィヒはうっとりと恍惚とした表情を浮かべた。


(私も貴方様ほどの美人には出会ったことありませんけど)


 新手の嫌味だろうか。この美丈夫に口説かれたことよりも、エリシアに対して過大評価している彼の目が大丈夫なのか心配になる。


「安心してくれ。僕は両目とも良く見えているよ」

「っ!?」


 声に出したつもりはないのに、 まるで心を見透かしているかのように答えてきた。

 エリシアは普段から何を考えているか分からないと言われることが多いが、エリシアからみればハルトヴィヒもまた何を考えているかさっぱり分からない。


「――――とまあ、そういうわけだから。僕と結婚しよう」

「まだ知り合って二日です」

「そんなの愛があれば問題ないだろう?」

「私はアルベルト公爵閣下をお慕いしておりません」


 エリシアは毅然とした態度で、ぴしゃりと己の気持ちを告げた。

 確かにハルトヴィヒは噂以上に美しく、エリシアも彼を美しいと思っている。しかし、愛しているかと問われれば否やである。

 ハルトヴィヒがどれほど本気なのかは不明だが、ここまではっきりとエリシアの気持ちを言えば伝わるだろうと思っていたのだが――。


「分かった。では、こうしよう」


 エリシアが断ったことなどどこ吹く風で、良案を思いついたと人差し指を上に向ける。


「まずは互いのことを知るということで、僕の屋敷で一緒に暮らそうか」


(だから、なぜ、そうなるの?)


 エリシアは頭が痛くなってきた。


「…………仰っている意味がわかりません。そんなこと出来るわけありません」

「君の懸念は問題ない。リヴェール伯爵の承諾は得ている」

「はい?」


 ハルトヴィヒはにっこりと微笑むと、タイミングを見計らったようにエリシアの父であるリヴェール伯爵が書類を手に、食堂と繋がっている部屋から入ってきた。


「お父様」

「そういうことだ」


 父は手に持っていた書類を広げて見せた。

 エリシアが食い入るように見ると紙には『婚約合意書』と題目があり、三つの条項とハルトヴィヒ、そしてリヴェール伯爵のサインが書いてあった。



 ――婚約合意書。


 一、アルベルト公爵家当主ハルトヴィヒ・アルベルトとリヴェール伯爵家令嬢エリシア・リヴェールは婚約する。

 二、婚約期間は六ヶ月とする。

 三、婚約合意書締結日より公爵夫人としての立ち居振る舞いを学ぶため、アルベルト公爵家で過ごす。



 声に出して読み上げたエリシアは、婚約合意書の日付を確認する。


「――――これ、今日の日付じゃありませんか。本人の承諾なしに、いくらなんでも急すぎです」


 あまりにも性急な話に、婚約合意書から顔を上げたエリシアは父に訴えたが――次の瞬間、父はテーブルを強く叩きつけた。


「何を言っている?」


 冷静にけれど重厚感のある低い声に、ビクリと身体が震える。

 父の顔を恐る恐る見たエリシアは、ひゅっと息を呑んだ。

 エリシアと同じ灰色の瞳には、いつもの温かさが感じられなかった。


 これまでエリシアと父の関係は悪くなかったはずだ。

 不在がちではあったが、父はエリシアを『ユージェニーの忘形見』と言って愛してくれていたし、社交場に出たがらないエリシアに無理強いすることもなかった。

 溺愛とまではいかなくも、兄と分け隔てなく愛情を与えてもらっていたように思う。

 だからこそ、これまで父から冷めた視線を向けられたことのないエリシアは言葉を失った。


「お前は基本的にこの屋敷に閉じこもっているだろう。これまではお前の好きなようにさせていたが、年頃だというのに社交界を避け続けるのもそろそろ限界だったんだ。それに、外の世界を知らなすぎるお前が公爵夫人としての振る舞いを学ぶには、公爵家で過ごすことが一番じゃないか」


 確かにエリシアは滅多に社交界は顔は出さないし、公爵夫人たる器は持ち合わせていない。それは事実だ。しかし、公爵家で過ごしたとて、六ヶ月程度で様になるとは思えない。それに――。


「そもそも私はこの結婚を承諾しておりません。先ほどお断りさせていただきました」

「無駄だ。この『婚約合意書』が結ばれた以上、お前はこれに従ってもらう――――これはリヴェール伯爵としての命令だ」


 有無を言わせぬ物言いに、エリシアの心臓はきゅっと締め付けられる。

 父としてではなく、リヴェール伯爵としての命令となれば、いわゆる政略結婚ということになる。

 父と母は貴族に珍しく恋愛結婚だった。ゆえに、幼い頃から子どもには貴族の政略結婚は望まず、本人の希望を尊重すると言われてきた。兄であるエドワードも義姉とは互いに愛し合って結婚した。

 だからこそ父が政略結婚を口にすることがどうしても信じられない。


「な、何か他に理由があるのではありませんか? まさか…………我が家には借金があるとか……?」


 平々凡々だと思っていたが、それはエリシアの勘違いで、実は資金繰りに苦しんでいるのだろうか。借金の形にエリシアを売るとなれば、この早急な話も分からなくもなかったのだが――。


「「そんなものはない」」


 二人から即座に否定された。

 ならば、本当にハルトヴィヒがエリシアを見初めたというのか。いや、それはないだろう。なにせエリシアは『鉄仮面』なのだから。完全無欠の若き公爵閣下に好かれる要因が何一つ思い浮かばない。


「では、なぜ――」

「もうこれ以上お前と話すことは何もない。今すぐ荷物をまとめに行きなさい」


 まさにとりつく島もないとはこういうことを言うのだろう。父は背を向け、冷たく言い放った。


「お父様!」


 父はエリシアの呼びかけにも応じる気配はない。振り返ることもない。本当にこれ以上話す気はないらしい。

 こんなにも近くにいるのに、父が遠い存在のように感じてしまう。胸が締め付けられるように痛い。けれど、これ以上縋っても父には響かないことだけはわかった。


「わ……かりました……」


 突き放されたエリシアは、絞り出すように返事をするのが精一杯だった。



 出立の準備のためエリシアが退出した食堂には、エリシアの父、ジェラルドとハルトヴィヒの二人だけが残っていた。

 執事も使用人も下がらせたジェラルドは、エリシアが完全にこの場を去ったことを確認してから口を開いた。


「アル…………ハルト君」


 完全無欠の若き公爵閣下を君付けで呼ぶなど畏れ多いが、本人が強く望むのでそう呼ぶことにする。今後のことを考えると早く慣れなくてはならない。


「あの件、リーシャには……」


 恐る恐る、しかし念押ししておかねばと口に出した。

 そもそもあの契約自体身分不相応なのだ。それを隠れ蓑に別でもう一つハルトヴィヒと取り引きをしていた。

 それは絶対に娘には知られてはならないものだった。


「ええ、承知していますよ。僕としても知られるのは本意ではありませんからね」


 ハルトヴィヒは人好きのする笑みを浮かべて頷いた。


 恐ろしい男だ、とジェラルドは思う。

 自分は無害だと言わんばかりの人懐っこい笑顔を振りまいておきながら、腹の内では凡人には到底辿り着けないような策略を練っているのだ。そんな男だからこそ、地獄から這い上がり、伯父から家督を奪い返せたのだろう。

 ゆえに、ジェラルドは取り引きに応じた。

 

「よろしくお願いします。お義父さん」


 ハルトヴィヒが手を差し出してきた。

 まだ婚約段階なのだが、と野暮なことは言わなかった。こちらも愛称で呼ばせてもらうのだから「お義父さん」呼びにも慣れねばならない。

 こちらこそ、とジェラルドはハルトヴィヒの手を握り返した。

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