3 前代未聞のプロポーズ
噂の『完全無欠の若き公爵』と間近で対面した第一印象は、美し過ぎて眩しいの一言に尽きる。まるで星の粒子をまとっているようにキラキラと輝いており、なんなら神々しい後光が見えるようである。
色恋ごとに疎いエリシアですら、ほんの少しだけご令嬢たちがきゃあきゃあと騒ぐ理由が分かった気がした。
とはいえ、エリシアには縁のない話である。
こんな人気者と端からお近づきになろうという気すら起きない。
そもそもハルトヴィヒだってエリシアと懇意になることなど願い下げだろう。エリシアはハルトヴィヒと釣り合う美貌も魅力も持っていない、ただの凡人なのだ。家柄だって公爵家と伯爵家では差があるし、なによりエリシアは曰く付きの令嬢なのだ。数多の素敵なご令嬢の中から、わざわざエリシアを選ぶはずもない。
そのはずだった。そのはずなのに、一体これは何の冗談なのだろう。
視線で人を殺すことはできないが、今なら四方八方から突き刺さる視線で、心臓が止まってしまいそうだった。
エリシアは今、フロアの中央でハルトヴィヒと共にいた。
ただ隣にいるだけでも嫉視を向けられるというのに、ハルトヴィヒはエリシアの手を取り、もう一方の手はエリシアの背に回してしっかりと密着している。
どういうわけか、『誰とも踊らない』といわれるハルトヴィヒ・アルベルト公爵が踊っているのだ。これだけでも奇特なことなのに、ハルトヴィヒ自ら誘った相手が『悪名』高いリヴェール家の令嬢となれば、注目を浴びるのは当然のことだろう。
「周りが気になる?」
「ええ、とっても」
誰のおかげでこんなにも殺意に満ちた視線を向けられていると思っているのだ。突然のダンスの誘いに戸惑いを見せたエリシアにも落ち度はあるが、その不意を付く形で半ば強引にここまで手を引かれてしまった。
恨めがましくハルトヴィヒを見る。
エリシアの直球な返答に、ハルトヴィヒは気を悪くするどころか不敵な笑みを浮かべた。
「そうか。エドから久しぶりの舞踏会と聞いて遠慮していたが、周りに目を向けられるほどリヴェール嬢は余裕があるということだね」
「ちがっ……!」
背に回された手に力が込められ、エリシアの身体がぐいっと引き寄せられた。美しい顔が間近に現れ、思わずどくんと心臓が飛び跳ねる。
その瞬間、楽士の奏でる曲調が変わった。なめらかでゆったりとした三拍子の円舞曲から、同じ三拍子ながらも軽快にくるくると優雅に回る円舞曲に変わり、まるでハルトヴィヒに合わせているかのようだ。もっとも主催はカルデコット侯爵家なので、それは偶然に過ぎないのだが。
(なんで、なんでこんなことに――!)
とにかくハルトヴィヒの足を踏んづけないよう、必死に彼のステップに付いていく。
よもや周りの視線など気にしていられないほど、エリシアの余裕はなくなってきていた。
だがそうしているうちに、気づけば三曲もハルトヴィヒと踊っていた。
苦手意識のあったダンスも、ハルトヴィヒが上手くリードしてくれるおかげで、普段より軽やかに舞えていたように思う。
だからだろうか。あれほど気になっていた周りの視線も、久しぶりで自信のなかったステップも、今は全く気にならない。むしろ――。
「楽しんでくれてる?」
ハルトヴィヒは踊りながら訊ねた。
「……ええ」
エリシアは表情を変えぬまま端的に答えた。なぜだか素直に認めるのが悔しい。
ハルトヴィヒは壁の花と化していた友人の妹を、彼の厚意で半ば強引に連れ出してくれたに過ぎない。まあ、彼に助けられた部分はあるものの、エリシアとしてはダンスなんぞに誘わず、そのまま放っておいて欲しかった気持ちもあるのだが。それでも初めてダンスが楽しいと思えたのは、ハルトヴィヒのおかげなのは確かだ。
他のご令嬢であれば、三回もハルトヴィヒと踊ったというだけで頬を赤らめ、この後に訪れるであろう幸福に胸を膨らませるところだろう。同じ相手と三回、それも連続で踊ることは、相手に対し特別な感情を抱いているという意味になる。今、社交界を賑わせている完全無欠の若き公爵から見初められたとあれば、誰もが期待するだろう。けれど、エリシアは分かっている。ハルトヴィヒはお情けで踊ってくれたのだ。だから勘違いはしない。
それにハルトヴィヒが気を利かせてくれたにも関わらず、エリシアはにこりともできないのだ。さぞハルトヴィヒも後悔しているだろうとちらりと彼の顔を見てみれば、透き通るような青い瞳がエリシアを見つめていた。目があったハルトヴィヒは、嬉しそうに頬を緩めた。
「あっ」
ハルトヴィヒの微笑みは、エリシアのステップを狂わせるほどの威力を持っていた。
足がもつれ転けそうになった途端、甘くて爽やかな柑橘系の香りに包まれた。
「申し訳ありません」
「怪我はしてない?」
「はい。ですので――――そろそろ離していただけませんか?」
そう。今エリシアがどんな体勢かと言えば――ハルトヴィヒにぎゅっと抱き寄せられたままだった。
美しい顔がすぐそこにあり、さすがのエリシアも鼓動が早くなる。
両の手でハルトヴィヒの胸板を押して離れようとするが、鍛え抜いたハルトヴィヒの身体はびくともしない。
再び周囲の視線が、エリシアを射殺さんとばかりに鋭く突き刺してくるのが分かる。それもそうだろう。なにせあのアルベルト公爵様に抱きついているようなものなのだ。「早く離れなさいよ」という声まで聞こえてきそうである。いや、多分言われている。
「あの……アルベルト公爵閣下? 離していただきたいのですけど」
抱きすくめられたまま、エリシアはハルトヴィヒを見上げた。
ハルトヴィヒはにこりと笑みを浮かべると、腕の力を緩めエリシアを解放した――――ように思えた。
「アルベルト公爵閣下!? 何をっ!」
「どうか僕のことは、ハルトと呼んでほしい」
ハルトヴィヒはエリシアの左手を取るとその場に跪いた。途端に周囲からは甲高い悲鳴が上がる。エリシアも悲鳴を上げたいくらいには驚いていた。
気づけばダンスは中断され、踊っていた人々も自然とエリシア達を取り囲むようにこぞって注目している。
ハルトヴィヒの目的は皆目検討もつかないが、とにかく今すぐ立ち上がってほしい。
「アルベルト公爵かっ――」
「『ハルト』と」
「ハ……ハルト様、お離しくださいませ!」
エリシアは取られた左手を引っ込めようとしたが、びくともしない。
ドクドクと心臓の鼓動が早くなる。早く立ち去りたいのに、ハルトヴィヒがそれを許さない。
しばらく様子を伺っていた楽士たちが、穏やかなクラシックを演奏し始めた。
これが静観している側であれば、どれほどロマンチックで心高鳴る場面だったろうと思うが、エリシアは針の筵状態だ。「空気は読まなくて結構です」の一言に尽きる。
なんとか手を離してもらおうとハルトヴィヒの顔を見ると、再び青の瞳と目が合った。
「あの、離して――」
「離したくない」
(なぜ!?)
エリシアの願いはあっさりと拒否されてしまう。そして――――。
「エリシア・リヴェール嬢。僕と結婚してほしい」
ハルトヴィヒは頬をうっすら赤らめて、彼女を希う言葉を紡いだ。