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1 エリシア・リヴェール

 ――これは夢だ。それか何かの間違いだ。そうでないのなら、この状況は一体何だというのだろう。



 エリシアは舞踏会の中心で、周囲の視線を一挙に集めていた。

 事の元凶は、彼女の目の前で跪いているこのひときわ美しい青年である。

 彼の前にいるのがエリシアでなければ、どれほどロマンチックだっただろう。どれほど祝福され、どれほどあたたかな拍手で包まれていただろう。出来ることならエリシアは傍観者でいたかった。

 けれどエリシアは紛うことなき当事者であり、悪名高い伯爵令嬢。対する青年は社交界一の若き人気者公爵。

 周囲の反応など、火を見るよりも明らかだった。


 針の筵状態のエリシアは表情を崩すことなく、しかし内心頭を抱えたのだった。




 事の発端は数時間前に遡る。


 絢爛豪華なシャンデリアの輝きが大広間に降り注ぐ。楽士たちの奏でる優雅な音楽に合わせ、美しく着飾った令嬢達のドレスが軽やかに翻る。

 その様子を伯爵令嬢エリシア・リヴェールは、フロアの隅で一人眺めていた。


 社交界デビューを果たした令嬢であれば、将来の伴侶探しや社交界でのコネクションを築くために積極的に行動するのだろうが、エリシアはいわゆる社交の場が大の苦手だった。

 人付き合いが苦手なことも一因なのだが、一番の理由はどういうわけか毎回ハプニングに見舞われるという災厄体質であることだろう。


 きっかけは、エリシア六歳の誕生日パーティー。

 主役だというのに、階段から派手に転げ落ちたエリシアは、全治三ヶ月の大怪我を負った。

 他にも噴水に落ちてびしょ濡れになったこともあれば、躓いてドレスが破れたり、頭から派手に飲み物がかかったこともあった。だが、今となってはそれらはまだ可愛いものだったと言える。

 極め付けは、社交界デビューを果たしたデビュタントの日。息抜きにと散策していた庭園で、今にも息絶えそうなほど血に塗れた男を見つけた時には、エリシアの心の臓が止まってしまうかと思うほどの衝撃を受けた。


 正直なところ、社交界で様々な交流を重ねるよりも、屋敷で新聞や本を読んでいる方がよっぽど楽しく有意義な時間を過ごせると思っている。エリシアの災厄体質も相まって、年々社交界へ赴くのが億劫になっていた。

 だから、こういう場所に行かなくても良いのなら極力行かないようにしているし、今日のようにどうしても行かざるを得ない場合は、目立たないよう壁の花になりやり過ごしている。まさに今も壁の花になりきろうとしている最中である。

 できる限り存在感を薄めようと、今日は紺地のシンプルなドレスを見繕った。さすがに紺一色というわけにはいかないので、アクセントにエリシアの髪色と同じ白銀の糸を使った刺繍が入っている。

 エリシアは気に入っているが、今はフリルがふんだんに使われた華々しいドレスがトレンドであるがゆえに、同じ年頃の令嬢からは「地味」と称されるだろう。もっとも、人付き合いの苦手なエリシアには、話し相手と呼べる年頃の令嬢は一人もいないのだが。今さら友人がいないくらいで傷ついたりはしないので何の問題もない。

 現にこの瞬間もエリシアなどこの場に存在しないとばかりに、ご令嬢三人組がエリシアのすぐ近くで談笑を始めた。


「アルベルト様はどこへ行かれたのかしら?」

「本当ね。ここのところめっきりお見かけしなかったから、もっとあのご尊顔を拝みたいわ」

「ああん! わたくし、アルベルト様と踊りたいのにっ!」

「あら、知らないの? アルベルト様はその美貌からどなたともお踊りにはならないのよ。遠目から見るだけでも魅了されてしまうのに、彼の手が触れることを考えたら……! わ、私はこのままでいいわ!」


 盗み聞きをしたいわけではないが、会話の流れからして、社交界で知らぬ者はいないであろうハルトヴィヒ・アルベルト公爵の話をしているようだった。




 ハルトヴィヒ・アルベルト。

 年齢はエリシアより四つ年上の二十ニ歳。


 二年前彗星の如く社交の場に現れた彼は、没落寸前の公爵家を建て直した天才といわれている。

 若くして公爵の名を冠した彼は、先代の負の遺産を次々と精算していった。

 例えば、贅沢三昧で無法地帯と化していた領地経営を、一から徹底的に見直した。それが功を奏し、荒んだ領地は活気に溢れ、人が増えていったのだという。

 また、以前まではお世辞にも治安がいいとは言えなかったが、ハルトヴィヒ自ら領内の治安維持に努め、今はこのイベルタ王国で一、二を争うほど安全な場所となっている。

 こうした改革を積み重ねた結果、地に落ちていたアルベルト公爵家は、瞬く間に威厳と信用を取り戻したのだとか。


 そんな彼は、夜空に輝く星々のようなきらびやかな金の髪を持ち、美しい顔には人好きのする魅力的な笑みを浮かべている。

 透き通った淡い海を閉じ込めたような青い瞳と左目の下にある泣き黒子が、彼の端正な顔立ちを引き立たせている要素の一つになっており、背はすらりと高く、その身体は鍛えられていて剣術の腕も群を抜いているらしい。


 現在は、公爵家を建て直した功績と剣術の腕を見込まれ、領地経営の傍ら王国軍の外部顧問としても活躍している。

 さらにイベルタ王国のレオナルド・ルイス・イベルタ王太子とは再従兄弟であり、幼い頃から密に交流があるのは有名な話である。


 頭も、顔も、腕も良くて、更には王族とも血縁関係にある。

 彼が『完全無欠の若き公爵』と呼ばれるのも当然の事であろう。




「ところで――――」


 ご令嬢三人組の他愛ないおしゃべりは終わらない。

 いくらエリシアにその気はないとしても、いつまでも聞き耳を立てるように話を聞くのは憚られた。

 少しだけ外の空気を吸おうと、バルコニーへ向かって歩き出したその時――――赤髪の青年と目が合い、エリシアの肩がわずかに揺れた。


(……マルコ様だわ)


 青年はその顔に笑みを浮かべると、エリシアの方へ向かって歩き始めた。笑みといえど、そこには親しみの欠片もない。その表情は嗜虐性を孕んでおり、エリシアは歩みを進めることもままならず背筋に冷たいものが走る。



 エリシアと赤髪の青年――マルコ・サルバドル侯爵令息は幼い頃から交流がある、いわゆる幼馴染だ。

 それこそ出会った当初は親同士の間で「将来の伴侶に」なんて話も出ていたらしいが、その数ヶ月後には白紙に戻された。

 

 あの時エリシアがどれほど安堵したか、きっと誰にも分からないだろう。


 マルコはまるで獲物を見つけた肉食獣のような目で、エリシアを捉えたままこちらへ向かってきている。

 目が合った以上、踵を返すのは失礼である。かといって対峙するのも気が重い。本来であれば顔を合わせずに済んだはずなのに、なぜこのタイミングなのだろう。運が悪いにも程がある。


 どう切り抜けるべきか、と頭の中でぐるぐると考えを巡らせている間にも、マルコは人をかき分けどんどん距離を縮めてくる。


(ああ、もう来てしまう。どうすれば…………)


 いつもの癖で視線を下げるように俯き、思わず目をぎゅっと瞑った。

 そしてエリシアを覆うように影が落ち――――低い声がエリシアの名前を呼んだ。


2025/6/30 以下の誤字の修正を行いました。

イベルダ王国、レオナルド・ルイス・イベルダ王太子

→イベルタ王国、レオナルド・ルイス・イベルタ王太子

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