異世界の聖女と結婚すると言ったのに、貴方様とは結婚なんて絶対に致しませんわ。
レティリシア・ハルディ公爵令嬢は、それはもう美しい令嬢だ。歳は17歳。
王立学園で、フェレス王太子の婚約者として、相応しいように努力してきた。
フェレス王太子。銀の髪に青い瞳のその王太子は、とても美しかった。
令嬢達の憧れだ。
「わたくしは貴方様にふさわしいように、毎日努力を欠かしませんわ」
「ああ、とても嬉しく思うよ」
にこやかに微笑むフェレス王太子。
2年前に、政略で結ばれた婚約とはいえ、レティリシアはフェレス王太子殿下を愛している。
だから、ふさわしくあるように努力してきたのに。
フェレス王太子は、レティリシアをとても大事にしてくれている。
お茶の席でも王太子として、共に王国の未来を語り合ったり、王宮で行われる王太子妃の教育の様子を聞いてくれたり、誕生日には豪華な首飾りを、赤の薔薇の花束を添えて。
交流のお茶会でも、いつもちょっとした花のプレゼントを欠かさなかった。
「私は君が婚約者で誇らしく思うよ」
「そう言って下さると嬉しいですわ。わたくしも貴方様に嫁げることをとても幸せに思います」
「レティリシア」
「フェレス王太子殿下」
絡み合う熱い眼差し。愛されていると思っていた。
この王国の未来に共に並び立つと思っていた。
それなのに……
この王国は異世界からの召還を行ったのだ。
異世界人の召喚は過去にもいろいろな王国で行われていた。
異世界人は災厄を呼ぶ。だが、恐ろしい力も持っている。
勇者なら他者より優れた強さを。聖女なら癒しの力を。
その力を欲するが為に危険を承知で異世界からの召還を行う王国が後を絶たない。
だが、異世界人は災厄をも、もたらす。
数年前にとある王国が異世界から勇者数人を召喚して、その勇者達は娼婦達と遊びまくり、性病をうつし、沢山の娼婦達が死んだ。
最近でも聖女召還を行った王国があり、その聖女と交わった王子が、すぐに亡くなってしまった事件があったばかりなのだ。
それなのに、聖女召還を行うだなんて。
フェレス王太子はとある日、レティリシアに言ったのだ。
「実はね。聖女召還を極秘に行って、聖女アヤカは、とても純粋で素敵な女性で。私は彼女と結婚したいのだ」
「え?だって、ガルド王国で事件がありましたわよね。聖女様と交わってすぐに亡くなった王太子殿下がいた事件。聖女様は辺境騎士団に殺されたのでは?」
「そうだ。辺境騎士団は勇者達に懇意にしていた娼婦達を殺されていて、恨んでいるからな。だが、私は聖女アヤカの純粋な心に打たれた。彼女こそ、この王国に癒しと光をもたらす存在だ」
「他国が許すと思っているのですか?また、疫病を流行らせたら。聖女様は凄い力を持っているとともに危険なのでは?」
「それは大丈夫。聖女アヤカは、男性とは今まで付き合ったことがないと言っていた。だから、身体に毒をため込んでいない。清らかな女性だ。私は聖女アヤカと結婚する。他国がなんと言おうと、彼女が清らかな女性であることを説得して、私の伴侶になってもらうつもりだ」
「今までのわたくしの努力は?貴方様に並び立つ為に頑張って参りました。わたくしは貴方様の事を、フェレス様だって、わたくしの事を愛しているって。言って下さったではないですか?」
「ああ、愛しているよ。でも、聖女アヤカはそれ以上に、私の心を掴んだ。だから君とは結婚しない。慰謝料は払うよ。諦めて欲しい」
胸が痛い。今までの努力は何だったの?
そう言えば、聖女を召喚したガルド王国は他国に危険な聖女召還を責められて今、危機的状況にあると言うわ。我が王国とは離れているけれども。
他国に責められる危険を冒してまで、聖女アヤカに心酔しているの?
程なくして、レティリシアとフェレス王太子との婚約は解消された。
レティリシアの両親であるハルディ公爵夫妻は憤ったけれども、レティリシアは過去の事として受け入れることにした。
王太子妃教育で学んだことは無駄にはならない。
自分を高めた事は無駄にはならない。
レティリシアに婚約者を探している家からの釣書が殺到した。
「わたくし、結婚はしたくありませんの」
驚いたのは両親だ。
父であるハルディ公爵は、
「だが、婚約者を決めないとな。いい令息は売れてしまうぞ。それに結婚することがお前の幸せにつながるはずだ」
母であるハルディ公爵夫人も、
「そうよ。結婚が女の幸せよ」
「いえ、結婚しないで、わたくし、学問を究めたいと思いますの」
「へ?」
「ですから、結婚は致しません」
勉強することは楽しい。
結婚したら勉強が出来なくなる。
その勉強を王国民の為に役立てたい。
この王国はまだまだ貧しい人たちがいる。
だから、彼らの為に福祉に力を入れたい。
どうしたら、貧しい人たちが少なくなるの?
農地で沢山、食料が採れれば飢える人が少なくなるかもしれない。
川の氾濫などの災害が無くなれば、隣国との緊張状態が無くなれば。
ああ、やりたいことが沢山あるわ。
宰相子息のアレクトス・リフェリル公爵令息や、他の令息や令嬢達が、王国の未来を考える会というのを作っていて、時々、レティリシアや、フェレス王太子も参加していた。
だが、最近ではフェレス王太子は聖女アヤカに夢中で参加していない。
レティリシアはその会に毎回、参加することにした。
アレクトス達は歓迎してくれて。
「レティリシアともっと話をしたかったんですよ。いつも忙しそうで、なかなか参加出来なかったですからねぇ」
「王太子妃教育が大変だったから。これからは毎回参加致します。このリヘル王国の未来を考えましょう」
他の令嬢が、
「王太子殿下こそ、毎回、参加してもらいたいものですわ」
「そうですわね。殿下こそ、この王国の未来を考えないといけませんのに」
アレクトスが肩を竦めて、
「聖女様の相手が忙しいのだろう。それに、我らはただ未来を考える会というだけであって、正式に政治を行える立場ではない。ただの勉強会だ。仕方ないだろう」
彼らとの討論は楽しかった。
そして、いかにして、リヘル王国の為に、役に立つか。王立学園での勉強が終わった放課後、教室に残って、日が暮れるまで討論した。
楽しいわ。楽しくて仕方ない。
そんなとある日、アレクトスにレティリシアは告白された。
「私は将来、父に習って宰相を目指して勉強している。どうか、私の婚約者になって貰えないだろうか」
「嫌よ。わたくしだって、政治の場で仕事をしたい。妻になったら出来ないじゃない?」
「ああ、そうだよね。でも、私は君の事を諦められない。私が君の事を思っているって覚えていて欲しい」
心に響かなかった。
彼や、政治を考える会の仲間達は志を同じくする友だ。
レティリシアは、ただただ、上へ上へ進みたかった。
そんなとある日の事である。
放課後、廊下を皆と歩いていると、フェレス王太子に久しぶりに会った。
彼は最近、王立学園にも来ていなかったのだ。
「ああ、レティリシア。あの女は私を騙していた。何が男を知らないだ。あの女、清純そうな顔をして、男と遊びまくっていたんだ。神殿で調べて貰ったよ。やはり、私と結婚する女性は君しかいない。どうか、再び婚約を結んでもらえないだろうか」
「嫌です。わたくしは、政治をするために勉強しているのです」
「王妃になったら、君のやりたい事が出来る。目指すは王宮の事務官だろう?王妃の影響力は王宮の事務官になるより政治をやりたい君なら、やりたい事を叶えることが出来る。だから、私と婚約をしておくれ」
確かに、やりたい事が出来るのは、彼と再婚約をする事かもしれない。
王妃としてなら、自分の学んだことが無駄にならず、やりたい事が全て叶う。
でも、わたくしは……
「もう、わたくしの心は貴方にありませんの。ですから、貴方と再婚約なんて致しません」
アレクトスが背後から、
「君は政治をやりたいから、私と結婚出来ないと言ったじゃないか」
「ええ、言いましたわ。貴方の妻になったら、宰相夫人として、社交界で社交をしなければなりませんもの。この王国の王妃ならば、社交より、政治を優先しても許されるはず。現に今の王妃様は、国王陛下と精力的に動いておりますわ。でも、わたくしは、わたくしの心は、フェレス王太子殿下。貴方様の事を許せない。例え、政治が出来るとしても、貴方様と結婚なんて絶対にしないわ。わたくしの女としての心が貴方を拒絶するのです。ですから、二度と世迷いごとは言わないで下さいませ」
そう、わたくしは、貴方だけは許せない。
例え、自分の望んだ政治が出来るとしても、貴方と結婚だけは絶対にしないわ。
フェレス王太子はため息をついて。
「君がそんなに私の事を愛していたとは知らなかったよ」
その言い方が頭に来る。
「それは過去の事ですわ。今のわたくしには、貴方様なんて石ころ以下、道端で踏んでも気が付かない程の存在ですから」
アレクトスが噴き出して、
「負けたな。フェレス王太子殿下の事をそれ程までに、愛しているとは。私の入り込む余地がない」
「どうしてですの?わたくしはフェレス王太子殿下と絶対に結婚しないと」
「君が意地になる位に、フェレス王太子殿下の事を愛しているんだよ。今もね」
ええ、きっと今でも愛している。愛しているわ。
それ以上に、憎んでいる。男の人には解らないでしょうね。
「ともかく、わたくしはお断り致します。アレクトスが何と言おうと、わたくしは貴方様と結婚致しません」
背を向けてその場を去るレティリシア。
後悔はない。そう心に誓ってその場を去ったのであった。
雨が降る。空が霞む程に。
多くの群衆が見物に集まっている。
異世界の聖女が処刑されるのだ。
他国からリヘル王国は責められて、国王は聖女を処刑することを決定した。
聖女アヤカは、広場の真ん中に引きずられて、
「私は悪くないわ。私を連れてきた貴方達が悪いんじゃないっ。家に帰してっ。ここから帰してよっ」
この世界では召還した人を戻すことは出来ない。片道だ。
レティリシアは、両親や他の貴族達と共に、処刑を見物した。
国王陛下や王妃の隣にフェレス王太子殿下の顔が見える。
彼は真っ青な顔で俯いていて。
処刑人が罪状を読み上げる。
「聖女アヤカ、お前は清い身体だと言っておきながら、数々の毒を身体にため込んでいた。この毒で王太子殿下を毒殺しようとしたその罪は重い。よって汝の首を斬り、その身体の毒を封印するものとする」
聖女アヤカは叫ぶ。
「毒ってっ。だって、皆、やっている事じゃない?友達だって沢山の男性と付き合っていて。私だって、ちょっと付き合えば、素敵なバックや色々な高価なものをプレゼントして貰えて。何で、それが悪いのよっ。私は悪くないっ。悪くないっーーー」
処刑人は肩まである金の髪を揺らして、腰を落とし、その青い瞳で、聖女アヤカを見つめながら、
「お前ら異世界人のせいで、俺の大事なメリーナが殺された。お前ら異世界人のせいで、貧しさから一生懸命、働いて生きてきた娼婦達が殺された。お前ら異世界人は罰を受けるべきだ。そうだろう?」
その言葉は、レティリシアの耳にしっかりと届いた。
聖女アヤカは泣きながら、
「知らないわよ。娼婦の事なんて関係ないじゃないっ」
「毒を持ったお前らを俺達、辺境騎士団は許しはしない」
群衆たちが騒ぎ立てる。
いつの間にか処刑場はムキムキ達数十人が現れて、聖女アヤカを囲っていた。
聖女アヤカは、喚きたてる。
「知らないっ。私は知らないわよっーー」
聖女アヤカは押さえつけられ、
処刑人の刀が煌めき、その首は落とされた。
レティリシアはしっかりとそれを見届ける。
辺境騎士団。彼らによってガルド王国の聖女が斬殺されたと聞いた。
勇者や聖女が召喚されるたびに彼らは殺しに来るのだろうか。
いや、それよりも。
国王陛下が叫んでいる。
「フェレスはどこ行った?」
王妃も悲鳴を上げて、
「フェレスがいないわ」
全王国民が納得した。
手ぶらでは帰らない奴らだな。辺境騎士団は。
きちっと土産を持って行ったと。
辺境騎士団。奴らは屑の美男を愛でる変…辺境騎士団なのだから。
いつの間にか雨が止んだ。
処刑場を去る前に、アレクトスが近づいてきた。
「フェレス王太子殿下もいなくなった。まぁ彼の従弟が王位を継ぐことになるか、それとも…聖女を召喚した王族に反対勢力が出るか」
「そうね。フェレス様がいなくなって、心にぽっかりと穴が開いた気分だわ」
「その穴をふさぐ役目を私にくれないか?私はまだ君を諦めていない」
きっと、勉強に励んで、政治に関わりたいと、走り続けていたのは、フェレス様への意地だったのかもしれないわね。
アレクトスが手を差し出して来た、そっとその手に手を添える。
「考えてあげてもよくてよ」
「それでは、ハルディ公爵家の馬車までエスコート致しましょう」
雨は止んで、アレクトスにエスコートされながら、馬車に向かうレティリシアの心は晴れ渡っていた。
愛していたフェレス様。
でも、もう、貴方はいない。
わたくしは、貴方の事を忘れることに致します。
さようなら。フェレス様。