第78話 神殿
階段を上る。
背後でドローンの起動音がした。
ギルド員の誰かが、配信を始めたのだ。
ユリスはカメラの向こうにいる人たちを意識する。
あの人も、観ているかもしれない——
そう思うだけで、勇気が湧いてくる。
階段を上り切ったところに、申し訳程度の空間があって、すぐ目の前には両開きの重厚な扉が。
縦横それぞれ三メートルほど。
ボス部屋の扉にしては、かなり小さい。
ものによっては、縦横十メートルを超えるものだってあるのだ。
ユリスは扉に触れる。
でも微動だにしなかった。
本来なら、開ける意思を持って触れると、ほとんど抵抗なく開くはずなのに……。
「どうした?」
ヤンが尋ねてくる。
「……いや」
ユリスは半歩下がり、全身全霊で扉を押す。
それでようやく、ジリジリと開いていく。
まるで試しの門だ。
なにからなにまで、普通じゃなかった。
中の様子が見える。
赤黒い。
第一印象が、それだった。
篝火。
柱に彫られた奇妙な文様。
ボスの姿は見えない。
人ひとりが通れる隙間ができると、さっと中に飛び込んだ。
刀の柄を握り、攻撃に備える。
——静かだ。
パチパチと火の爆ぜる音だけがする。
ボスの姿は依然ない。
ユリスはふっと短く息を吐き、警戒したまま周囲を見回した。
広い空間だけれど、ボス部屋としては一般的な広さだ。
ただ……。
予想していたことだけれど、人工的な造りだった。
華美な装飾がなされ、豪華な調度品まである。
奥には祭壇のようなものさえ——
「これは……。聖堂? いや、神殿か?」
神が祀られた空間。
他の面々も、後に続く。
「でも、これって……」
エスターが気味悪そうに言う。
その気持ちは、ユリスにもわかった。
華美な装飾品の数々。
でもなに一つ、馴染みのない品物ばかりだった。
「……なんの宗教なの?」
「さーな」
強がるためか、ヤンが吐き捨てるように言う。
「てかお前の得意分野だろ、こういうのは」
「どういう意味よ」
「カルト教団の元女神様」
「あんた、こんな時まで……」
「ま、どっちにしろ、俺は神様なんて信じちゃいねえが」
「私だってそうよ」
視界に入るもの全てが赤黒かった。
最初、篝火に照らされてそう見えるのかと思ったけれど、そうじゃなかった。
壁も床も柱も、全て赤黒く着色されているのだ。
鮮やかに彩色された宗教施設は、いくつか知っている。
金箔に覆われた寺院だって存在する。
でも……。
(全てを赤黒く染め上げるなんて……)
その様相には、荘厳さ以上に、禍々しさが宿っていて——
「気持ち悪い……。まるで内臓みたい……」
エスターの言葉に、ユリスは得心する。
「ああ、そうか」
壁や柱に彫られた奇妙な文様。
まるで血管みたいだと思ったけれど、それはまさしくで——
「どういうこと?」
「ここは体内なんだ」
「はぁ? 体内?」
ヤンが話に割り込んできた。
「そういう見立てだよ。この神殿そのものが、体内を模してるんだ」
「なんだそりゃ。体内って……。一体誰の?」
「それは、たぶん……」
ユリスは神殿を見回しながら答える。
「神様の、じゃないかな」
ヤンの顔が歪んだ。
「神様の体の中に、神様の住処を造ってるってのか?」
「そういう信仰なんだろ、きっと」
そんなフラクタル構造をした神様なんて、聞いたこともないけれど。
ヤンがトーマスに目を向ける。
「おっさん。あんた、確かカトリックだったろ。どう思う?」
「……キリストの系列ではない」
「んなもん、見りゃわかるっての」
「どんなカルト教団でも、なにかしらの宗教や神話を下敷きにしているものだ。エスターのところも、キリスト教が元になっていた。そうだろ?」
エスターが頷く。
「ええ、そうね。パパは自分を神の使徒だって言い張って、キリスト教を邪教扱いしてたけど……。でも明らかに、キリスト教を下地にしてたわ」
それでいうとキリスト教自体、ユダヤ教が元になっている。
トーマスは続けた。
「今の時代に、オリジナルの宗教を作るなんて、まず無理だ。ごく小規模なものは別にして、この規模ともなればな。知識がある者が見れば、なにを下地にしているのか、大体見当がつく。だが……」
相変わらず表情に乏しいが、それでも困惑しているのがわかる。
「なにもわからん。なにを信仰しているんだ、これは」
「おい!」
ヤンが全員に呼びかけるように言う。
「奥に扉があるぞ」
指差す先には、縦横五メートルほどの扉があった。
(この先が、まだあるんだ……)
あの扉の向こうには、なにがあるのだろう。
普通のダンジョンが広がっている?
その可能性も、ゼロではないだろうけれど……。
でも、なんだかしっくりこない。
いきなりボス部屋があって、その先に普通のダンジョンがあるなんて。
それよりは……。
「なんで出口の方がでけえんだよ」
ヤンが悪態をつく。
それからハッと息を飲むのがわかった。
「……もしかしてここって、ボスばっかのダンジョンだったりするのか?」
ユリスも、同じことを考えていた。
あの扉の先には、またすぐに階段があって、次のボス部屋に続いている。
その方が、この異様なダンジョンにはあっている気がする。
入口よりも出口の扉の方が大きい。
それも、この先により強大なボスがいると、暗示しているように思えた。
「はっ、上等じゃねえかよ」
ヤンの声には、少し余裕が戻っていた。
この先があるということは、ここはまだ序の口ということだ。
ゲームで言えば一面。
そう考えると、心理的に楽にもなる。
「俺もそう思ったけど……。あくまで仮説だ。気を抜くなよ」
ユリスが釘を刺した。
「言われなくてもわかってるよ。ボスを倒して先に進んじまえば、すぐにわかることだしな」
ヤンが肩をすくめた。
「で? 肝心のボスはどこだよ。まさか観光にでも出かけて——」
轟音が、ヤンの言葉を遮った。
入口の扉が閉まった音だった。
「おい! なにやってんだよ!」
ヤンの怒声が飛ぶ。
ボス戦に挑む時、退路の確保は最優先事項だ。
勝てないと判断したら、即撤退がセオリーなのだから。
「違いますっ」
扉の前に陣取っていたメンバーが、焦ったように言う。
「扉が勝手に閉まって……」
「さっさと開けろ!」
「それが……」
絶望的な顔。
「びくともしなくて……」
ユリスは歯噛みする。
その程度のことは、想定しておくべきだった。
(これまでの常識が通用しないことくらい、わかり切ってただろ……)
退路を絶たれてしまった。
でもだからこそ、冷静にならなければならない。
「落ち着くんだ!」
ユリスは声を張り上げた。
「ただ扉が閉まっただけだ! なんの問題も——」
「レオン!」
エスターの金切り声が、ユリスの言葉を打ち消した。
「どこに行ったの! レオン!」
エスターは半ばパニックになっていた。
レオンはエスターの側近中の側近だ。
常に一歩引いてエスターを立てているけれど、純粋な強さで言えば、ヤンやトーマスにも比肩する——
いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。
エスターが女神様として崇められていた時代から、常にそのそばを離れず、彼女を守護してきた。
レオンはエスターを救うために、教団を敵に回しすらしたのだ。
そんな彼が、この状況でエスターのそばを離れるだなんて……。
バリッ——
湿り気を帯びた、奇妙な音。
ピチャ、ピチャ——
全員の顔が、音のした方を向く。
部屋の隅の薄暗いところに、人影が。
引っ込み思案の子どものように、壁に張り付くようにしている。
バリッ——
ピチャ、ピチャ——
また、あの音が……。
「レオン! なにしてるの!」
エスターが駆け寄る。
「待て!」
ユリスの言葉は、エスターに届かなかった。
レオンはかなりの長身だ。
百九十センチ以上はある。
でもあの人影は——
二メートルを優に超えていた。
エスターの足音に気づいたのか、人影が振り返る。
近くの篝火が揺れ、暗闇が一瞬だけ照らされる。
陶器のような白い肌。
虚弱児のように痩せ細った体。
長い手足。
そして——
八つの目。
唇のない口周りが、赤黒く濡れていた。
その手には、すでに半分ほどが失われた、レオンの頭部が——
ああ、あれだ。
あれが、この異様な神殿に祀られた……。
——神様。




