第73話 円卓の守護者
「ユリス」
そう声をかけられた時点で、ユリス・クルーマンは嫌な予感がしていた。
普段はおちゃらけた先生が、やけに真面目くさった顔をしていたからだ。
「なんですか?」
ちょいちょいと手招きされる。
他の生徒に聞かれたらまずい話のようだ。
予感はほぼ確信へと変わっていたが、それでも万が一を期待して……。
「管理局の人が、お前を呼んでる」
期待は見事に裏切られてしまった。
(ああ、やっぱりな……)
ユリスはそう思った。
「……でも、まだ午後の授業が」
「安心しろ。ちゃんと公欠になるから」
そういう問題ではないのだが……。
渋ったところでどうにもならないことを、ユリスは経験則として学んでいた。
諦めて、素直に応接室に向かう。
基本は教師が賓客をもてなすための部屋だ。
生徒の中には、六年間で一度も足を踏み入れない者もいる。
というより、そちらの方が大半だ。
でもユリスにとっては、すでに馴染み深い部屋となっていた。
それもこれも、全部……。
「やぁ、ユリスくん。お久しぶりです」
「……どうも、ヘンドリックさん」
「さ、さ。座ってください」
ヘンドリック・ファン・ルーン。
ダンジョン安全管理局の調整官だ。
管理局と冒険者は、とにかく仲が悪い。
その間を取り持つのが、彼の仕事だった。
ヘンドリックは、申し訳なさそうに頭をかく。
「実は今日、ユリスくんを訪ねたのはですね」
「どうせ特殊ダンジョンの話でしょ」
ヘンドリックは目を丸くする。
「どうしてそれを」
「このタイミングで俺を訪ねてくるなんて、それしかないでしょ」
ヴェルクホーフの牧草地に出現した、異様なダンジョン。
ゲートを超えた先は、王城の地下通路のような様相だった。
その時点で異常なのだが……。
通路の突き当たりには、上へと続く階段があったのだ。
特殊ダンジョンに集まった百人近い管理官が、パニックを起こして大勢の怪我人が出た。
しかもその光景が配信されていて、世界中で話題になる。
急性上り階段リアリティショックなんて呼ばれて、笑いものにもなっていた。
中でも一番盛り上がったのが、自国の——つまりオランダの冒険者たちだ。
管理局を蛇蝎の如く嫌う冒険者にとって、管理官の醜態は最高のエンタメだった。
でも……。
ユリスは笑う気になれなかった。
(……怖いな)
思い出しただけで、身震いする。
ダンジョンに精通している人ほど、あのダンジョンの異常さがよくわかる。
野外で髪の毛が逆立った時、面白い現象だと笑う人もいれば、青ざめて慌てふためく人もいる。
それと同じだ。
きっと、冒険者たちも本当は理解しているはずだ。
あのダンジョンが、どれほど恐ろしいか。
だからこそ管理官を笑い飛ばすことで、内心の怯えから目を背けているのだ。
オランダの冒険者にとって、あのダンジョンは決して他人事ではないからだ。
あの集団ヒステリーの三日後に、新たに調査隊が派遣された。
数がいても仕方がないから、少数精鋭の部隊だ。
彼らは特殊ダンジョンに足を踏み入れ、通路を進んで行った。
そして突き当たりの上り階段に……。
前回はそこで、逃げ戻ってきた。
でもその先を調査するための精鋭部隊だ。
彼らは慎重に階段を上っていき……。
そして扉によって、行く手を阻まれた。
ボス部屋——
結局そこでまた、彼らは引き返してきた。
精鋭が集められて、ただおっかなびっくり階段を上るだけという……。
その光景もまた配信されていて、世界中で話題になってしまう。
これに関しても、ユリスは同情的だ。
調査のつもりで依頼を受けたのに、いきなりボス戦が始まるなんて、いくらなんでも理不尽すぎる。
多種多様な魔物の中でも、ボスは別格の強さだ。
しかもあの異様な特殊ダンジョンの……。
そりゃ誰だって引き返す。
(それにしても、本当になんなんだ、あのダンジョンは……。直線の通路で、上り階段で、しかもボス部屋直結なんて……)
『特殊』なんて言葉じゃ、とても表現しきれていない。
「それで、その……」
ヘンドリックがおずおずと言う。
「あれを、俺にどうにかしろって?」
「……はい。どうか円卓の守護者のお力をお借りしたくて」
「また厄介な話を……」
「申し訳ありません……。私としても、子供にこんな危険な役目を任せるなんて……。ですが……」
ユリスは首を振る。
ヘンドリックはまだ三十代後半だというのに、すでに生え際は後退して、白髪も目立ち始めている。
彼の気苦労は、ユリスもよく心得ていた。
二十も歳の離れたユリスに対しても、この低姿勢なのだ。
そんな彼を、気の毒にすら思った。
「ヘンドリックさんが悪くないことくらいはわかってますよ。……それに正直、こうなるんじゃないかと薄々思ってましたし」
ユリスは諦めたように嘆息する。
「でもこれは、さすがに俺の一存じゃ決められません。あまりにも得体がしれない。メンバーに相談しないと。みんな忙しいから、ちょっと時間がかかるかも……」
「ああ、それなら問題ございません」
「え?」
「メンバーの皆様には、すでに話を通しております。実はアポもとっていて、この後に会合の予定なんですよ。ユリスくんも是非。車の用意もしてありますから」
「…………」
確かにこの人は気の毒だ。
冒険者から蛇蝎の如く嫌われる管理局。
そこで調整官という役割を与えられ、冒険者からの苦情処理や、折衝で日々精神をすり減らしている。
でもそんな状況に揉まれに揉まれて、狡猾とも思えるほど仕事ができるようになった人なのだ。
(いや、逆か? 元々それだけ有能だから、調整官なんて激ムズの仕事を任されているのかもな)
もしヘンドリックがいなければ、オランダのダンジョン制度はとっくに破綻していたかもしれない。
ともかく……。
(この気の毒そうな雰囲気も、こちらが恐縮してしまうほどの低姿勢も、生き抜くために身につけた技能だったりして……)
そんなことを思うユリスだった。




