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第127話 悲鳴

 エノフの攻撃が届く直前に、人影が割り込んできた。

 隊長のザガンだ。

 エノフの攻撃を剣で受ける。


「ぐぅっ!」


 だが衝撃を殺すことはできず、ヨルとザガンはもつれるように地面を転がった。

 その間にもエノフの切れ端は寄り集まって、心臓部の鼓動も覆い隠されてしまう。


 ヨルはすぐに体勢を立て直し、倒れ伏したままのザガンをかばうように前に出た。

 ザガンの剣を視界の端で探すが、吹き飛ばされた時に手放してしまったようで、近くにはない。

 手元にあるのは短刀だけだ。

 このエノフの異常個体を相手にするには、あまりにも心許ない。


 だがヨルは慌てなかった。

 こんなことは慣れっこだ。

 油断したわけでも、気を緩めたわけでもないのに、ちょっとしたことで状況がひっくり返る。

 窮地に立たされてしまう。

 ダンジョンではよくあることだった。


 ふっ短く息を吐き、集中を一段深める。

 周囲の景色や音どころか、自分の意識すら消え失せる。

 真っ暗な空間に、自分とエノフだけがいるような、そんな感覚に陥る。


 だがそこでもまた、予想外な出来事が起きた。

 エノフはヨルに目もくれず、あらぬ方向に駆けていったのだ。

 これまでの戦闘で、エノフもヨルの危険性をよく把握しているはずだ。

 こんな絶好のチャンスはないはずなのに——


 もちろん魔物の心理などわからない。

 ヨルよりも楽に殺せそうな相手に狙いを定めたのかもしれない。

 だがそれもまた違った。

 エノフは倒れ伏した殉教者の横を素通りし、そのまま走り去っていってしまったのだ。


 パッケがぽかんとしながら、逃げ去るエノフの背中に槍の穂先を向けた。


「……おい、行っちまったぞ」

「なんだったんだ、マジで……」


 ダックも困惑したように呟く。


「お姉様っ!」


 カッシの心配そうな声。

 それに応えるよりも先に、ヨルはザガンを振り返った。

 駆け寄り、その傍らに膝をつく。


「ザガン——」


 平気か? と続けようとして、その言葉を飲み込んだ。

 腹部の鎧が裂けていた。

 いや鎧だけではなく、肉体もかなりの損傷を負っているようだ。

 腹部を押さえるザガンの手の隙間から、血が溢れ出していた。

 傷口を見なくとも、その出血量から深傷であることが窺い知れた。


「ヨル様、お怪我は?」

「私は、どこも」

「……申し訳ありませんでした」

「どうして謝る?」

「ヨル様でしたらあの程度の攻撃、問題なく対処できていたでしょうに。私が出過ぎたマネをしたせいで、危険な状況にしてしまいました」

「……そんなことはないさ。庇ってくれなければ、確実に負傷していた」

「それならよかった。私の……」


 ザガンは言葉を飲み込む。


「どうした?」

「いえ、その……私の命よりもヨル様の擦り傷の方が一大事ですから、と言おうとして、さすがに笑えないなと」

「……確かに、それは笑えんな」

「ヨル様は、それはそうでしょうとも」


 ザガンは快活に笑い、それから苦痛に顔を歪める。


「もうそれ以上は喋るな。ここまで助かった。他の者たちとともに、すぐに地上を目指せ」

「いいえ、そうは参りません。我々の役目は、皆様を下界にまで案内することなのですから。それに、この怪我では助かる保証もありませんし」

「何を……」

「それに助かったところで、戦線復帰は難しいでしょう。ヨル様も、御明の宿の状況はご存知でしょう?」

「…………」


 殉教者の住まいの御明の宿は、全部で三棟ある。

 そのうちの二棟は、ほとんど病棟のようになっている。

 ダンジョンで怪我を負った者、長年魔物の肉を食べ続けたことで臓器不全を起こした者。

 殉教者たちの互助関係は、破綻寸前にまで来ていた。


 つまりザガンは、こう言っているのだ。

 ここで死なせてくれと。


「だが……」

「エルディ」


 ヨルの言葉を遮るように、ザガンは息子のエルディを呼んだ。

 殉教者たちに指示を出し、取り残されたエノフの切れ端の対処をしていたエルディが駆け寄ってくる。


「はい、ここに」

「六番隊は任せた。みんなを無事に地上まで導いてくれ」


 それだけでエルディは、ザガンの言わんとすることを察したようだった。

 視線を伏せ、けれどそれはほんの短い時間のことで、すぐに父の目を見つめ返す。


「承知しました」


 ザガンが一つ頷く。

 この親子には、それだけで十分なようだった。

 エルディはすぐに部隊の指揮に戻った。


「本当に、それでいいのか?」

「ええ」

「……わかった」


 ヨルは短刀を握り直す。


「今、楽にしてやる」


 ザガンは苦笑した。


「とんでもない。ヨル様をハグレ者にするわけにはいきませんから」

「だが、私は……」

「もう聖女様ではありませんでしょう? 大丈夫です、そのお気持ちだけで。私のことは、ここに置いていってください」

「…………」


 いくら英雄と呼ばれていようと、聖女の立場を捨てたヨルには、何もしてやれることがなかった。


 エノフの切れ端は、本体から離れると急速に力を失うようだ。

 かなりの大きさの塊も、すぐにボロボロと崩れ落ちていった。

 全員の怪我の具合などを確かめ、隊列を組み直す。

 ヨルも自分の大剣を拾った。


 それからザガンを置いて、彼らはその場から離れる。

 殉教者たちの間でもっと動揺や反発があるかと思ったけれど、そんなことはなかった。

 皆、覚悟してここにいるのだ。

 むしろ一番覚悟が足らなかったのはヨルかもしれない。


 自分のせいで……なんて言ったらザガンに怒られてしまいそうだけれど、ヨルをかばったことでザガンは致命傷を負ったのだ。

 そもそも殉教者に協力を仰がなければ……そんな思いが臓腑を満たす。


 隊長が変わったことで、これからの攻略プランについて、エルディと話し合う。

 そんな時だ。


 背後——ザガンを置いてきたあたりから、風の唸りのようなものが響いてきた。

 いやそれは唸りなどではなくて……。

 反響し、くぐもって聞こえるだけで、それは間違いなく人の悲鳴だった。

 これまで気丈に振る舞っていたエルディの表情が引き攣る。


「あの父が、あんな情けない悲鳴をあげるだなんて……」


 ダンジョンは悪意に満ちた場所だ。

 生きたまま内臓を啜る魔物や、鮮度を保つためか何日もかけて少しずつ獲物を齧る魔物もいる。


 だがあのザガンが……。

 短い付き合いだけれど、彼が突出した人物なのは間違いない。

 隊長を任されるような男なのだから当然ではあるが、戦闘能力だけでなく人格も優れていた。

 そんな彼が、一体どんな目に遭えばあんな悲鳴を……。


「……すまない」


 エルディが泣き笑いのような顔になる。


「どうしてヨル様が謝るのですか」

「…………」


 駆け戻りたい衝動に駆られる。

 それを察したようにエルディが、


「行きましょう」


 と歩き出す。

 最後に一言、


「ありがとうございます」


 とだけ言って、彼は持ち場に戻っていった。

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