第110話 世界
「まあ、いいさ」
アマンダさんが、全然よくなさそうに言う。
「そんなことより、聞きたいことがたくさんある。このタイミングで現れたってことは、そっちもそのつもりなんだろう?」
「いいや」
ダーリンさんは首を振る。
「悪いけど、逆だね」
「逆?」
「君たちの質問には答えられないって言いにきたんだ」
「……どうして?」
「そういうルールだから」
「…………」
「ほら、今は大変な状況じゃないか。私を探すことに、無駄なリソースを使わせるのもなって思ってね。この世界はダンジョンの攻略も遅れてるし、このままじゃ、あっという間に侵略されてしまう。君たちには、もっと頑張ってもらわないと」
「ちょっと待ってください」
私はたまらず割って入った。
「別世界の目的は、やっぱり侵略なんですか?」
「そうだよ」
ダーリンさんはあっさりと答える。
「なんで……」
「なんでって?」
「だって、なんのメリットもないじゃないですか。わざわざダンジョンを攻略してまで、侵略するなんて……」
「そうだねぇ。別世界の詳しい事情までは知らないけど、でもそれはやっぱり、あれだよ」
「あれ?」
「そういうルールだから」
アマンダさんが、
「ルール」
と呟く。
「ルール、ルール、ルール、ルール、ルール」
繰り返すたびに、その声は怒気を孕んできて——
怯えたギンが、お兄さんの後ろに隠れる。
アンリもお兄さんの裾をぎゅっと握る。
「まるでゲームみたいな言い草だな」
ダーリンさんは動じることなく、むしろ楽しげに手を叩いた。
「ゲームか。なるほど、言い得て妙だね。さすがは世界一の女性だ。まあ、私にとっての世界一の女性は、菜々緒なんだけどね」
冗談っぽく、そんなことを言った。
そんなつもりはないのかもしれないけれど、揶揄っているようにすら聞こえる。
「そういうシミュレーションゲームってあるよね。まあこれは、シミュレーションでもなんでも——」
轟音と閃光。
まるでスタングレネードのような。
それこそ、ゲームの演出で見たことがある。
視界が白く塗りつぶされ、耳の奥でキィンと甲高い音が反響する。
本当にスタングレネードが炸裂したわけではないけれど、私は前後不覚に陥った。
パチパチと何度も瞬きをしてから、ようやく頭が働き始める。
まず目に入ったのは、美しい刀身だった。
アマンダさんの剣だ。
その両端。
柄をアマンダさんが、切先をダーリンさんが握っている。
(あ……。手が切れちゃう……)
そんなことを思ってから、私は遅れて状況を理解する。
斬り掛かったのだ。
ダーリンさんの首を刎ねようと——
そしてその斬撃を、ダーリンさんは素手で受け止めた。
ドクドクドクと心臓が早鐘を打ち始める。
全身から汗が吹き出してくる。
「手首」
やがて、ダーリンさんが言った。
「折れるよ」
アマンダさんは舌打ちし、剣から手を離した。
「大した度胸だ。怖くないのかい?」
「これがゲームだっていうなら、私は有用な駒だろう」
ダーリンさんは満足そうに笑う。
「いいね。君には期待しているよ」
ダーリンさんはハサミを手渡すみたいに、切先を指で摘んで、
「はい」
と剣をアマンダさんに差し出した。
「……」
しばらく無言で見つめてから、アマンダさんは剣を受け取り鞘に収めた。
「それだけの力があるなら、自分でどうにでもできるだろ」
「できないから困ってるんじゃないか」
「ルールだからか」
「そういうこと」
「ふざけるのは名前だけにしておけ」
吐き捨てられたその言葉に——
部屋の空気が張り詰める。
言葉は刃物、なんて言うけれど……。
ダーリンさんは、明らかに気分を害した様子だった。
(斬りかかられても、飄々としてたのに……)
名前がタブーなのは、鈴木家の家訓のようだ。
(なんなん、この家族……)
ダーリンさんが、にこりと笑う。
「そんなに変かな?」
迫力のある笑みだった。
だけどアマンダさんだって、尋常な人ではない。
真正面から睨み返し、
「ああ、変だ」
と言い切った。
しばらく間があってから——
先に目を逸らしたのは、ダーリンさんの方だった。
「そう。私は気に入ってるんだけどね」
アマンダさんは、ふんと鼻を鳴らした。
「だから息子を、ジローラモなどと名付けるんだな」
「ちょ、アマンダさん、アマンダさん。その皮肉は俺へのダイレクトアタックだから……」
お兄さんが泣きそうになりながら、アマンダさんの肩をペチペチと叩く。
ダーリンさんが椅子から立ち上がった。
「ま、そういうことだから。そろそろお暇させていただくよ。ハニーを待たせているし、なにより歓迎されていないみたいだからね」
「アポなしで不法侵入しておいて、歓迎されると思っていたのか?」
「そう言われると、返す言葉がないな。通報される前に退散しなきゃ」
ギンが戸口に走り、扉を開ける。
招かれざる客——
とはいえ客であることに変わりはない。
なによりギンにとっては、恩人と姉御の父親なのだから。
でもダーリンさんは、扉とは見当違いの方に歩いて行く。
窓から外に?
と思ったが、それも違った。
ダーリンさんが向かう先には、ただ壁があるだけで……。
——パキパキ。
音を立てて、世界に亀裂が走る。
ダンジョンに繋がるものと比べると、かなり小さいけれど——
それは紛れもなくゲートだった。
ダーリンさんが、亀裂に足を踏み入れようとした——
その時。
「待て」
その背中を、アマンダさんが呼び止める。
「頼む、待ってくれ」
震えた声。
アマンダさんの、そんな弱々しい姿を見るのは初めてで——
私は勘違いに気づく。
アマンダさんは最初から、ダーリンさんに対して、やたらと攻撃的だった。
私はてっきり怒っているのだと思っていたけれど……。
そうじゃなかった。
あの攻撃性は、怒りからではなく、恐れからくるものだったのだ。
(……でも、一体何に?)
ダーリンさんに対してではないはずだ。
真正面から張り合っていたし、それ以前に斬りかかりすらしたのだ。
今更だけれど、胆力が並外れている。
でも、だからこそだ。
そんなアマンダさんを、ここまで恐れさせるなんて、何が——
「最後に、一つだけ聞かせてくれ」
「何かな」
「この世界を作ったのはお前か?」
私は理解する。
アマンダさんが何を考え、何を恐れているのか。
宇宙が誕生したのが一三八億年前で——
地球が誕生したのが四六億年前で——
生命が誕生したのが三五億年前で——
人類が誕生したのが五百万年前で——
そしてダンジョンと繋がったのが七年前で——
その問いを投げかけるには、かなりの勇気が必要だったはずだ。
それなのに返ってきたのは、どこまでも淡白な答えだった。
「そうだね」
「……いつ?」
「質問は一つじゃなかったのかい?」
「…………」
「まあ、安心していいよ。さすがに五分前なんてことはないから。君が生まれるよりは前の話さ。君の人生も、君がこれまで積み上げてきたものも、間違いなく本物だよ」
ダーリンさんは、
「じゃあね」
とだけ言い残して、ゲートと共に消えた。




