第107話 名前
「春奈!? どうしたの!?」
アンリが飛んできて、私を助け起こしてくれる。
どうやらひっくり返ったのは私の方らしい。
それも椅子ごと。
体のあちこちが痛かったけれど、まるで気にならなかった。
そんなことはどうでもいい。
「だいじょうぶ?」
心配そうに覗き込んでくるアンリ。
でも私には、返事をする余裕もなくて……。
(グレーゾーン? なんだそれ。どう考えたって——)
アンリに支えてもらいながら立ち上がる。
「あ、あの……。私、ずっと疑問だったんです」
誰に話しかけているのかもわからない。
ただ一人で抱えていられなくて、口から溢れ出ているだけだった。
「なんで二人って、こんなに強いんだろうって。お兄さんはいったん置いておくにしても、アンリがこんなに強いのはおかしいじゃないですか。多分みんな『あのジローの妹だから』で納得してるんだろうけど……。でも私は、先にアンリと仲良くなったんですよ。だから、ずっとそのことが引っ掛かってて……。だから、その、つまり……」
——ジロー様。
——アンリ様。
「二人って、私たちが思ってるよりもずっと、やばいんじゃ……」
本当に本当の意味で、やばい方のやばいやつなんじゃ——
「なに言ってるの、春奈」
アンリが困ったように言う。
「いくらなんでも、大袈裟だって。そりゃ確かに、少しは腕っぷしに自信あるけど」
「なんで少しなのよ! そんなふざけた強さしといて!」
「いや、だって……。私よりアマンダさんの方が強いし」
「ただの女子高生が、UDのボスと張り合えてる時点でおかしいんだって!」
「確かに、最初は驚いたな」とお兄さんが言う。「アンリがあんなに強いなんて知らなかったから」
「……他人事みたいに言ってますけど、お兄さんだってそうですからね」
「え? 俺?」
「やっぱり変ですよ。大して鍛えてるわけでもないのに、その異常な強さは」
「いやいやいや、若い頃にバリバリ鍛えてたから。腕立て腹筋スクワッ——」
「それは一般的な鍛錬です! 大してハードでもない!」
鈴木兄妹は顔を見合わせ、揃って首を傾げる。
「なんで二人は、そうやって……」
そこも、私には理解不能なポイントだ。
常人離れした力を持ちながら、どうして無自覚でいられるんだろう。
意味がわからない。
「私は、私の強さに誇りを持っている」
アマンダさんが唐突に言った。
「今の地位も権力も、私に見合った当然のものだ。いや、見合ってはないか。これでも全然足りない。世界の半分くらいは、私の手中にあってもおかしくないって、本気で思ってるよ。興味がないだけでね」
名前を名乗るのと、なんら変わらない調子で、
「私は世界一の女だからね」
と言ってのける。
「——そう言い切れるだけのものを、私はこれまで積み上げてきたんだ」
でも、とアマンダさんは二人を指さした。
「君たちは違う。君たちの強さは、私のように後天的に身につけたものではなくて、先天的に備わっていたものだ。だからそれだけ無自覚でいられるんだよ。——春奈のいう通りだ。君たちには、なにか秘密が隠されている」
「そんなこと言われても……」
「二人のご両親は、どんな人たちなんだい?」
「両親? いや、普通だけど。な、アンリ」
「うん。普通に、いいお父さんとお母さん」
「なにを言ってるんだ……」
アマンダさんが呆れ顔になる。
「子供に『ジローラモ』とか『アンリエッタ』とか名付ける親が、普通なわけないだろ」
「確かに」
鈴木兄妹の言葉が重なった。
「あ、そういえば……」
私は思い出す。
「父親の名前が変わってるって、昔言ってなかったっけ?」
中学生のころの話だ。
あのころはまだ先輩後輩の関係で遠慮もあったし、色々ゴタついていたから聞けずじまいになっていた。
「なんて名前なの?」とアマンダさんが問う。
お兄さんとアンリは視線を交わし、目元だけで笑い合った。
どこか共犯者めいた空気感が、二人の間に生まれる。
「ダーリン」
矢面に立つように、お兄さんが言った。
「……え?」
「だから、鈴木ダーリン。それが、父親の名前」
「そいつだ」
今度は私たちの声が重なる番だった。




