第101話 アイデンティティ
「……ジロー」
背後でアマンダの声がする。
そこには明らかに非難の色が混じっていた。
アマンダの憤りはもっともだ。
彼女は身を挺して守ってやらなきゃいけないような、弱い存在じゃない。
俺がこうしてかばわなくても、アマンダなら問題なく対処できただろう。
頭ではわかっていたのだ。
でも……。
「ごめん。反射的に体が動いちゃった」
「……」
アマンダが大きな溜息をつく。
「やっぱり、私も……」
「いや、いいよ」
俺は言下に言う。
アマンダが反論してくる前に、
「だいじょうぶだから」
と付け加えた。
人型は、どこか勝ち誇っているように見えた。
俺は訝しく思う。
確かに脇腹を抉られたが、致命傷ってわけではない。
まだそんな余裕を見せられる状況ではないはずだ。
(もしかして、毒があるとか……?)
でもそんな感じはしない。
誘惑に負けてミナゴロシダケに三度も殺されかけた経験があるのだ。
毒には敏感になっている。
それならそうと、直感でわかるはずだ。
(ああ、そうか……)
俺は折れた刀を見た。
(武器をちゃんと、武器として認識してるんだな)
だからそうやって、ヘラヘラとしていられるのだ。
俺は人型の顔を目掛けて、刀を放った。
振りかぶるようなことはしない。
予備動作を最小限に、手首のスナップだけで投げる。
威力も速度も大したことないが、魔物だって生物だ。
反射的に刀を躱す。
顔を右に倒すようにして。
予想通りだった。
そのために左目を狙ったのだから。
一瞬で距離を詰める。
露出した左肩の傷口に、踵を落とした。
傷口は裂け、全身にヒビが広がる。
元からある亀裂と混じり、今まさに砕け散りそうなガラス細工のようになる。
球体がぎゅっと縮んだ。
俺は三歩下がる。
左右の球体が、お互いの攻撃線上にくる位置で立ち止まった。
ギチと、歯車が軋むような音がして、球体が動きを止める。
俺は右の球体を裏拳で殴りつけた。
殻を割るような音がして、赤黒い炎が噴出した。
思いがけず大きなダメージを与えたようだ。
槍を繰り出すタメの最中だったからか、攻撃を無理に止めた反動か。
それとも人型がダメージを負ったことで、球体も弱体化したのだろうか。
なんにせよ、素手でも攻撃が通ることがわかった。
それがわかれば十分だ。
左の球体が槍を放つ。
一度止めた攻撃だ。
威力も速度も大したことがない。
二本、三本と続けて攻撃してきたが、バックステップで難なくかわした。
右の球体が、人型の元に戻っていく。
その動きは酩酊した人間のようにおぼつかない。
人型も、片膝をついたまま立ちあがろうとしなかった。
一番ダメージの少ない左の球体が、かばうように前に出る。
要するに、右腕を負傷したから半身になって、無事な左腕を構える、みたいなことなのだろう。
でも分離しているせいで、寄り添う家族のように見えた。
(……関係ない)
俺は凶暴なモンスターが相手でも、無駄な殺生は避けていた。
特に今は。
例え自己防衛でも、どうしたって八つ当たりの側面が混じってしまう。
それは俺のアイデンティティに関わることだ。
くだらないこだわりだと、自分でも思う。
動物も魔獣も、散々殺して食べてきたくせに、今更なにを言っているんだと。
それでも……。
いや、だからこそ、俺にとっては自分の命と同じくらい大切なことだった。
でも……。
俺の身内に手を出すなら話は別だ。
八つ当たりがどうとか関係ない。
アイデンティティなんてどうでもいい。
相手に突っ込もうと、足に力を込めた時——
左の球体が、鋭角的なキツネの姿に戻った。
(……今更、その形に?)
そう不審に思っていると、人型はキツネに飛び乗った。
そしてくるりと反転すると、一目散に逃げていく。
右の球体が、慌てたようにその背中を追って行った。
(人がその気になった途端に……)
苛立ちを覚え、俺は衝動的に駆け出していた。
でもすぐに全身が萎えてしまう。
惰性で五歩ほど進んでから、立ち止まった。
目を瞑り、一つ大きく深呼吸をして、踵を返した。
「手伝うよ」
そうアマンダに声をかける。
というわけで、ジローのまともな初戦闘シーンでした。
ジローの強さと同時に、彼のパーソナリティを表現できていたら幸いです。




