第96話 別世界のダンジョン
ゲートを越え、特殊ダンジョンに——別世界のダンジョンに足を踏み入れる。
人の気配はない。
俺はほっと胸を撫で下ろした。
すぐにアマンダもゲートを越えてやってきた。
俺と同じで、待ち伏せを警戒していたようだ。
そのことが表情からわかる。
「……誰もいないみたいだね」
「ああ」
通路には身を隠す場所もない。
「行こう」
そう言って、俺はアマンダの前を歩く。
レディファーストは、女性を毒味役や盾役にしたことが起源だという話を聞いたことがある。
俗説というか、ブラックジョークの類らしいけれど、あながち間違ってないんじゃないかと思った。
少なくとも、アマンダを先に行かせる気にはなれない。
そんな俺の意図を察してか、アマンダは三歩後ろを付いてくる。
通路を半ばほど進んだところで、
「ジロー」
と呼び止められた。
振り返ると、アマンダがなにかを拾うところだった。
「これ」
差し出されたのは、ただの石ころだ。
一瞬、意味がわからなかった。
でもすぐに思い当たる。
これは別世界の住人が、牧草地から持ち去ったものだ。
「あれもだ」
アマンダが指差す先には、小枝が落ちている。
「……どういうこと? 俺はてっきり、この世界のサンプルを持ち帰ったんだと……」
「私も、同じように思ったよ。でも違ったみたいだね」
アマンダは顎に手を添える。
「なにかの呪い? それとも……」
アマンダはハッと周りを見て、剣の柄に手をやった。
呼応するように、俺も警戒心を高める。
意識を逸らすための罠——
だとしたら、俺もアマンダもまんまと引っかかってしまったことになる。
あのタイミングで不意をつかれていたら、なすすべもなくやられていただろう。
でもやはり、人の気配はまるでしなかった。
「……すまない。柄にもなく、過敏になっているみたいだ」
「いや、そっちの方が頼りになる」
「とりあえず、これは後で回収しよう。なにかしら、わかるかもしれないからね」
アマンダは石を小枝の横に置いた。
それからまた、通路を進み始めた。
空気が重い。
澱んでいるような気さえする。
ここがダンジョンの最下層だとすれば、それも当然のことかもしれないけど。
(すごいな……)
俺はユリスに——円卓の守護者に、改めて敬意を抱いた。
階段に辿り着く。
通路のように照明は設置されていなくて、ただただ暗かった。
その暗闇の先に、ぽっかりと穴が空いている。
開け放たれたままの、ボス部屋の扉。
「先に登る。少し待っててくれ」
上で待ち構えられていたら、この狭い階段を一緒に登るのは危険だ。
行動が制限されてしまう。
アマンダも当然理解していて、なにも言わずに頷いてくれた。
ゆっくりと、階段を登った。
五感を研ぎ澄ませて、気配を探る。
意外なことに、最初に異変を察知したのは嗅覚だった。
異臭がしたわけではない。
それどころか、むしろ香ばしい匂いが……。
階段を登りきり、ボス部屋に足を踏み入れる。
まず目に入ってきたのは、細切れにされた異形の神だ。
まるでシュレッダーにでもかけられたみたいに、執拗なまでにバラバラにされていた。
「……なるほど」
ボス部屋に入ってきたアマンダが、そんなことを言った。
「なにが?」
「異形の神を傷つけると、そこが目玉に変わって、どんどん死角が減っていく。ダメージを与えるほど強くなるっていう、理不尽な存在だ。でもだったら、下手に攻撃せず、確実に切断していけばいい」
「……その結果が、この惨状か」
「別の世界じゃ、メジャーなモンスターなのかもね」
「さすがだね」
「ん?」
「一目見ただけで、そこまで考察できるなんて」
アマンダは苦笑を漏らす。
「考察はできても、実行する力は、私にはないけどね」
今はまだ、と最後に付け加える。
そういうところがアマンダらしくて、俺は笑った。
それから部屋の隅に目がいく。
火が焚かれ、肉が焼かれていた。
その周囲には、荷物が散乱している。
「……まさか、異形の神を食べようと?」
アマンダが嫌悪感に満ちた口調で言った。
それからハッとし、俺を振り返る。
「ごめん」
「なんで俺に謝るんだよ。さすがに食べないから」
「そう?」
「……ちょっと気になるけど」
でも焚き火に近づいてみると、そうじゃないことがわかった。
どうやら持ち込んだ干し肉を炙っているようだ。
鎧の一部を鉄板代わりして、他の食材なんかも調理中みたいだ。
でも……。
その状態で放置され、せっかくの食材が半ば炭になっている。
なんとなく見ていられなくて、火から遠ざけた。
「やっぱり、パーティで来ていたみたいだね」
アマンダが散乱した荷物を見回す。
「少なくとも四、五人はいたみたいだ。……なのに」
困惑したように、眉根を寄せた。
「どこに行ったんだ? なぜ荷物をそのままにして……」
同感だった。
ボス部屋には、誰の姿もない。
「食材が足りなくて、魔獣でも狩りに行ったとか?」
俺はそう言ってみたが、本気でそう思っているわけじゃない。
狩りに行ったとしても、もとある食材を焦がしてしまったら意味がない。
それに、この状況は……。
「これじゃまるで、取る物も取り敢えず逃げ出したみたいだ」
アマンダの言葉に、俺は頷く。
「なにかトラブルでもあったのかな?」
「さぁ」
俺は首を傾げる。
「異形の神を倒せるようなパーティが、取る物も取り敢えず逃げ出すトラブルってなに?」
「……想像もできない。いや、想像もしたくないね」
アマンダは別世界の住人が出て行ったであろう、開け放たれたボス部屋の出口——いや、正確には入口に視線をやった。
「もしかしたら私たちも今、自覚がないだけで危険の渦中にいるのかな?」
「……どうだろう。もしかしたらダンジョンには裏ボスがいて、襲われたのかもね」
半分冗談のつもりだったけれど、アマンダは笑わなかった。
「……考えるのは後にしよう。頭がおかしくなりそうだ」
アマンダは切り替えるように言う。
「そうだね」
俺たちは遺体の回収に来たのであって、調査に来たのではない。
でも……。
床に散らばるのは異形の神の死体だけで、ユリスたちの遺体はどこにも……。
(やはり、遅かったか……)
ダンジョンは気候が安定しているからか、あるいは微生物が少ないからか、死体は簡単には腐敗しない。
その分、魔物たちに食べられてしまうわけだが……。
ボスはダンジョンの食物連鎖から逸脱した存在だ。
だから食べられずに残っているんじゃないか、と期待していたんだけど……。
「——っ」
アマンダが息を呑むのがわかった。
「……ジロー。あれ」
彼女が指差す先には——




