第94話 別の世界
「動くなぁ!」
爆発でもしたのかと思った。
びくんと体が跳ねる。
耳鳴りと目眩。
それらが落ち着いてきてようやく、今のがお兄さんの声だと気づく。
お兄さんがあんな大きな声を出すなんて……。
というか、人間があんな大きな声を出せるなんて。
相手への警告だろうか。
でも日本語で言っても、通じないんじゃないか。
そう思ってから、さっきの言葉が仲間に向けられたものだと気付いた。
全員が臨戦態勢をとっていた。
武器を抜き、今まさに相手に飛び掛かろうとする姿勢で静止している。
フルアーマーの相手も、背負った大剣の柄に手をやっていた。
お兄さんが止めていなければ、きっと戦闘になり——
そしてすでに終わっていたのだろう。
(お兄さんは、正しかったんだ……)
特殊ダンジョンは、こことは別の世界のダンジョンの出口ではないか。
その仮説が。
筋は通っているとは思っていた。
でもそれは一概にあり得ないとも言えない、というだけで、とんでも論だと心の中で思っていた。
私だけではなく、きっとアマンダさんもアンリもギンも、みんな。
だってそれは、ダ・ヴィンチ異世界転生者説と同レベルの話だ。
確かにそう考えたらいろいろ筋は通るし否定できる材料もないけど……みたいな。
でも違った。
それは筋が通っているだけのとんでも論なんかじゃなかった。
(本当に、こことは別の世界が……)
この世界にやってきた目的は?
ダンジョンを攻略し、あの異形の神すら打ち倒して。
まさか、ただの観光なわけもない。
「……ありがとう、ジロー」
アマンダさんが言う。
「命拾いしたよ。さすがだね」
「……いや、これからだよ」
お兄さんは鞘ごと刀を腰から抜き、地面に投げ捨てた。
「なにを……」
「相手がその気なら、武器なんてあっても意味がないから」
息を呑む。
あのお兄さんがそこまで言うなんて、一体どれほど……。
逡巡するような間があってから、
「私は、お兄ちゃんの判断を信じる」
とアンリが武器を捨てた。
アマンダさんは苦笑して、
「そうだね」
と、どこか開き直るようにそれに続いた。
「ボス……」
「ギンも、早く武器を捨てるんだ」
「……わかりました」
最後にギンがハルバートを手放し、私たちは完全に無防備になった。
嵐の夜に裸で出歩くような……。
心許なさと居心地の悪さを、同時に覚えた。
お兄さんを恐れる冒険者たちの気持ちを、実感として理解する。
相手の人格や性格なんて関係ない。
そこにあるのは、明確な力の差だけだ。
生かすも殺すも相手の気分次第という、厳然とした事実。
相手は大剣の柄を握ったまま身じろぎもしない。
野次馬が押しかけてきて、この膠着した状況を有耶無耶にしてくれないだろうか。
そんなことを願ったけれど、もちろんそうはならない。
こちらが望んだ時には、絶対に現れてくれないのだ。
ただただ人の足を引っ張るだけ。
そういう人種が、世の中には本当にいる。
それも結構な数が。
どれくらい時間が経っただろう。
せいぜい十数秒だと思うけれど、何時間にも感じた。
相手はふと大剣の柄から手を離し、きょろきょろと辺りを見回し始めた。
そして近くの木に手を伸ばし、枝をちぎった。
それから足元の石ころを拾うと、くるりと踵を返して歩き出す。
その所作はどこまでも堂々としていて……。
一周回って、お前らなど眼中にないというアピールにすら感じた。
凱旋するような悠然とした足取りでゲートに向かい——
そのまま、この世界から立ち去ってしまった。




