推しに会いたくて待ち伏せすることにしてみた
お読み下さりありがとうございます。
※誤字脱字報告ありがとうございます。
m(_ _)m
頭から被っていたブランケットをハラリと剥がされると、黒いブーツが目に飛び込む。
――やっと、やっとだわ
逸る気持ちを抑えながら、視線をゆっくり上へとずらす。
視界に映るのは、筋肉質な脚だと分かるピタッとした皮のパンツ。次にシルバーのベルトの隣に大きな手で握られている小型のナイフ。理想のくびれの上には、細身であるがちょっぴり厚い胸板の筋肉に広い肩幅。黒地のシャツの上からでも分かる鍛えられた体型が視界に入ると心拍数が増す。
そこから、白く細長い首の上に更に視線を移動すると、数え切れない魔石のピアスが着けられた耳。顔に視線をずらせば、漆黒色の前髪の隙間から柘榴のような深紅色の瞳が細められ私を見下ろしていた。
彼と視線が重なり私の時間が止まると、待ち焦がれた美しい芸術品のような彼を下から上までゆっくり堪能し満たされたことで、陶酔している私の口から甘い吐息が漏れ出る。
「はぁぅ♡……尊い」
「……?」
私の言葉に、彼は右眉を上げ少しだけ首を傾げると無言で立ち尽くし冷淡な表情を浮かべ私を見下ろす。
その様子に、私はゆっくり両手を上げて敵意がない事を伝えた。
彼に見られているだけで、胸は高鳴り……歓喜に満ち溢れ、体の震えが止まらない。
「……貴方様にお会いしたくて、ここで待っていました」
震える声でそう言えば、頬を染める私の姿に彼は冷淡な表情を崩すと、好奇の眼差しを向けてきた。
私はレティシーナ。プランケルト公爵家の次女である。そして、前世は日本人。
トラックにぶつかった次の瞬間、目を開くと生まれたばかりのレティシーナ・プランケルトとして生を受け、この世界に転生していたのだ。これには流石に驚いたっけ。
レティシーナとしてプランケルト公爵夫妻の元に生まれてすくすくと育った私は、外見は子供だけれど中身は大人。その為、兄様や姉様は私よりも体は大きいが、てんでガキンチョ。
ウェーブがかった金色のゆるふわな髪に淡いブルーの瞳は、兄妹皆同じ色。姉様の髪だけストレートなのが羨ましい。
公爵家の令嬢として生まれたために厳しい教育を受けるも、兄妹と仲良く一緒に過ごす日々の中で、私は大変なことに気がついた。
大変なこととは、前世での『推し』の存在。
それは、ある日の夕食の席でのこと。
父様が大きなため息を吐いた後に、母様が隣から労いの言葉を掛けた。
「アービル侯爵は、今後は更に警備を強化すると言っていたが……」
「盗賊は何を盗んだのでしょうか?」
「あぁ、何も盗まれていなかったらしい」
「今回もですか?」
「これで3軒目だ。全ての家が荒らされただけで、何も盗まれていないと言っている」
「まぁ。大変なことになっているのですね。調査尽くめで体を壊さないで下さいね」
両親のそれだけの会話で私はピンときた。
――盗まれたって言えないはずよ
だって、盗品が無くなったのですもの
彼は家宝を取り戻しているだけよ
彼は好きになった女性の為に身分を取り戻したいだけだった。だから盗まれた家宝を取り戻し、身分を証明したかったのよ。
あら?どうして私は知っているのかしら?
……って、嘘でしょう?
この世界、私がプレーしていた乙女ゲームの世界だわ。自分の名前でどうして今まで気づかなかったのかしら?
……何も盗まない盗賊
まさかのまさか!彼の居る世界に転生していたなんて!なんて幸せ!なんてラッキーなのかしら!
でも、彼は最後に捕まって処刑されてしまうのだったわ。もしかして? もしかしなくても? 私がこの世界に転生したのは彼を救う為? 推しの運命は私にかかっている?
そして、最後のそれは我が家にある。
彼は最後、盗みを終えて邸から出て行くときに護衛から放たれた弓矢が足に刺さったのだったわ。2年後に私だけが彼を救い出すことが出来る!……そう、推しには幸せになって欲しい。と言う事で、待ち伏せをして推しを堪能しちゃいましょう!願わくば、ちょっとだけでも触りたい!
思い出してみると、ゲームの中での私は悪役令嬢という立ち位置だった。だからといって、そんな事はどうでもいい。私の未来?『ノンノン!』生推しに会えれば、それだけで十分。
そして推しの存在を思い出した私は、既に第二王子マーティガン殿下の婚約者となっている。その為、できるだけゲーム通りに進行することにした。未来が変わってしまわないようにだ。
「レティシーナ!またナイチェルを虐めたのか?」
「いいえ。トワイラント公爵令嬢のエリザ様がナイチェル様にマーティガン殿下との距離が近過ぎる事を指導しただけですわ。私もその場に居合わせましたが、その様子を見ただけです」
「レティシーナ!ナイチェルを階段から突き落としたというのは本当か?」
「いいえ。私は悲鳴が聞こえたので振り返っただけですわ。階段の下から私が彼女を突き落としたとナイチェル様ご本人に指を差されましたが」
ナイチェル様とは、マーティガン殿下の恋人だ。殿下はゲーム通りに、私が彼を慕っていると思っている? いいや、思っていないだろう。私が彼を見ているときの視線で気がついているはず。どうでもいい男だと――。
ゲームでは、確かに私がナイチェル様に危害を加えていた。そして、学院の卒業式に婚約を破棄されたのだが。
今回私は、その場にいただけだ。
王子妃となる予定の私には、王家から遣わされている二人の護衛も常に付いている。その護衛達も私の言葉に頷けば、マーティガン殿下はそれ以上は何も言えなかった。
そして、その日がやって来た。
推しが我が家を訪問するのは、私が学院を卒業する2週間前頃だったと記憶している。
正確な日にちが分からないため、私は毎日張り込みをすることにした。
父様の指輪を執務室から拝借すると、私はそれを持って宝物庫へと向う。指輪を扉の差し込みに入れて鍵を開ける。入室すると奥にある棚まで進み装飾細工の見事な小箱を取り出した。
あとは、それを持ってブランケットを羽織り彼が来るのを待つだけ。
約2年間、実物の推しと会うのを楽しみに……いや、彼を救うのを目的として生きてきたのだ。
……一度くらいは触ってみたいな。
などと妄想しながら彼を待つ。
そして5日後、排気口の柵がカタカタと小さな音を立てる。ウトウトとしていた私に緊張が走ると、それは壁からカタンと落ちた。
頭からブランケットをスッポリと被り、ゆっくり呼吸を整える。心臓の鼓動は強く波打ち音が聞こえてしまわないか不安になるが、タンと彼が床に足を付けた音の後にビクリとすると体を縮こませる。彼が室内をガサゴソと漁りだすと、私は床を叩きわざと小さく物音を立てた。
ピタリと音が止まると、静けさを取り戻した室内には何の音もしなくなる。
そして私の視界が開放された。ブランケットを剥がされたのだ。
爪先が少し尖った光沢のある黒いブーツが目に飛び込んでくると、心臓が一気に跳ね上がる。
視線をゆっくり上へとずらすと筋肉質な脚。シルバーのベルトの隣に見える手首には数珠で作られているような黒い腕輪。その大きな手で握られているのは小型のナイフ。引き締まった腰回り、細身であるがちょっぴり厚い胸板の上に広い肩幅。黒地のシャツの上からでも分かる鍛えられた無駄のない体型に心拍数が増す。その後で、白く細長い首の上に更に視線を移動すると、数え切れない魔石のピアスが耳に着けられ漆黒色の前髪の隙間から柘榴のような深紅色の瞳を細めて私を見下ろしている。
そして、彼と視線が重なり私の時間が止まると、待ち焦がれた美しい芸術品のような彼を下から上までゆっくり堪能し満たされたことで、陶酔している私の口から甘い吐息が漏れ出た。
「はぁぅ♡……尊い」
「……?」
無言で立ち尽くし冷淡な表情で私を見下ろす彼が右眉を上げ少しだけ首を傾げると、私はゆっくり両手を上げて彼に敵意がない事を伝える。
彼に見られているだけで、胸は高鳴り……歓喜に満ち溢れ、体の震えが止まらない。
「……貴方様にお会いしたくて、ここで待っていました」
震える声でそう言うと、頬を染める私の姿に彼は冷淡な表情を崩すと好奇の眼差しを向けた。
「待っていた?どうして、俺がここに来ることを知っていた?」
――初めて見た推しの生顔に、
低音のハスキーボイス……死ぬ♡
「えっと……私は転生者でして、この世界のことを少しだけ知っているのです。ですので、推し……貴方に会いたくて、待ち伏せしてました。信じられなくても、嘘は付いておりませんわ。ただ、この後の近い未来をお教えしますと、このままここを出て行くと矢が放たれ足に直撃します。邸の警備をしている騎士に捕まり、最後に処刑される運命になっています。ですから、今夜はここから出てはなりません。明日、朝日が出るまではこの邸に留まって下さいますか?」
「邸内のどこに居ろと?」
「……そうですね。私の部屋?私の部屋なら安心ですわ!……それでは、移動しましょう」
「捜し物がある。それを見つけなくてはならない」
「あっ、忘れていましたわ。はい、これですわね」
「な、なぜ?……これを」
「ですから、少しだけ知っていると言いましたでしょう。さぁ、見つかる前に移動いたしましょう」
思いの外、邸内の警備に出会わすこともなく私室まで戻ってくる。移動する際、彼に被せておいたブランケットを取るとソファーへ促した。
「夜中なのでお水しかないのですが、飲まれますか?」
「あぁ、いただこう」
部屋に戻ると窓のカーテンを開き月の明かりで過ごすことにする。
カーテンを開け振り返ると、月光を浴びた彼の妖艶な姿に生唾を飲む。
――あぁ。尊い♡
グラスに水瓶から水を注ぎ彼の前に差し出すと、私は先に自分の分の水を口に含んでみせる。水に毒が入っていないことを知らせると、彼は柔らかな笑みを零した。
――はぁぅ♡
心臓が持ちそうにないわ
「夜明けまで時間がある。君の話を聞かせてくれ」
彼がグラスを手に取ると水を一気に飲み干した後で、脚を上げソファーへ横になる。その姿に心の中で悶えながらも彼を安心させるかのように私は自身を語りだした。
「私は転生者でこの世界を少しだけ知っているとお伝えしたことを覚えていらっしゃいますか?」
「あぁ」
ここは、私の転生前のゲームの世界。ゲームは私が第二王子マーティガン殿下の婚約者となったところから始まり、私が婚約を破棄されヒロインのナイチェル様とマーティガン殿下が結ばれる事で終了、エンディングを迎えることを彼に告げる。その為に、それ以前も、その先の事も分からない。
推しはゲームの中ではサブキャラにもなれなかった人物だ。
マーティガン殿下の側近の家に盗賊として侵入することで、側近達の家を紹介するためのような人物だった。
そして、登場してきた盗賊の彼は、私の邸プランケルト公爵邸を最後に捕まって処刑されるのだ。
そんな彼について、ゲームのエンディング後の登場人物紹介で分かったことがある。
「ザックリーク・ファース。貴方はファース伯爵家の令息だったのよね。貴方がまだ10歳の頃、ファース伯爵家夫妻と令息の3人は領地からの帰り道で事故にあい、令息の遺体だけが発見出来なかった。その令息が貴方だった」
そして、事故にあった時に領地から持って帰ってきた家宝と国王陛下から賜わった伯爵家を示すエンブレムを盗まれた。
――好きになった女性の為に身分を取り戻したくて、盗まれた家宝を取り戻し身分を証明したかった。
「その事を知っている私が、貴方を助けられれば……貴方の未来が変わると思ったの」
(絶対に言えない事もある。前世で、就職してから推し活に夢中になっていた私。そうそう、給料は推し活で使い果たしていたわ。だって、ザックリークのグッツは販売していなかったから作ってもらうには多額なお金が必要だったのよ。ザックリークの為に働き、ザックリークの為に生きていたなんて……ドン引きされるわね)
「君は婚約者が居たのか。しかし、なぜ婚約を破棄される?」
眉間にシワを寄せ私を見る彼の表情も……す・て・き♡
「ゲームの中での私は、第二王子が好きだったの。第二王子は私ではない令嬢に恋をしていたのよ。それが許せなくて嫉妬で意地悪をしてしまったの。そして、愛想を尽かされた私は学院の卒業式に婚約を破棄されたわね」
「その後、どうなったんだ?」
「その後……さぁ?分からないわ。だって私が婚約破棄をされると、ゲームは第二王子とその令嬢のハッピーエンドで終わったし」
ただ、転生した私はマーティガン殿下を慕っていなかった為に、その令嬢を虐めることはしていないから……この後で、どうなるかは分からない。でも、あまりにストーリーを変えてしまうとザックリークを助ける事も出来ず婚約が破棄されないかと思い、虐めることはしなかったがその場に居るようにしたのだと言うと、彼は眉尻を下げながら何かを考えているかのようだ。
「あっ、心配は要らないわ!だって、婚約を破棄されても私は平民として生きていけるから!」
前世では働き尽くめだった。そう、推し活のために……ありとあらゆるバイトをしていたのだ。
「前世では、この世界でいうところの平民だったから、働くことは当たり前だったしね」
この2年間で、まとまったお金も貯めたのだと告げたが、彼の顔は浮かない表情のままだった。その表情は私の胸を貫く程で、この世界に携帯が無いことが悔やまれた。
――動画が欲しい!
外から降り注がれる光で彼の美しい顔がハッキリと見えるようになると、既に太陽が顔を出し始めていることに気がついた。
彼は窓の外に視線を向けるとソファーから立ち上がった。
これが推しとの最後の時間だと思うと切なさが募る。
「ザックリーク様。最後に握手をしていただけますか?」
そう、私はまだ彼に触れていない。一生の思い出に、どうしても触りたいのだ。
手を差し出し勇気を出してそう言うと、彼は私の手を握りふわりと引き寄せ腕を私の背に回す。
「今夜はありがとう」
そう言った後で、窓からバルコニーへ出た彼は一瞬で姿を消して……居なくなった。
――い、今のは……彼の爽やかな残り香が……
香りの中で死んでもいいわ!
幸せすぎる♡私の推し!最高♡
達成感に浸りながら懐かしいゲームのエンディングを口ずさむ。
嬉しいと、やり遂げた思いは心の中から溢れ出る思いのはずなのに、彼がこの後で好きな女性と結ばれることにちょっぴり胸が痛くなる。
推しの幸せが、私の幸せなのに……。
気を取り直し、私は推しへの想いに一時蓋をすることにした。
残り2週間。今度は自分の人生の事を考えなければならないのだ。
――さて、どうしたものか
推しを助けたことでゲームの内容が変わってしまったし、この後で私の未来も変わってくるはずよね。ならば、もしも? を考えて……遺書も書いた方がいいかしら?
この後の断罪に備え、トランクの中にワンピースを数枚。それと、下着と靴、お金を入れる。
チラリとソファーに目を向けると、ザックリークが寛いでいた面影が蘇る。私はハサミでソファーの布地を切り取り御守を作ってトランクに仕舞った。
その日の朝は快晴で、緩やかな風がふわりと頬を伝うと、私は卒業式の会場の扉をくぐった。
キョロキョロとマーティガン殿下を探すが、姿が見えず。ナイチェル様の姿もない。
護衛にマーティガン殿下の居場所を確認するよう伝えていると、トワイラント公爵令嬢のエリザ様に後ろから声をかけられた。
「レティシーナ様。マーティガン殿下をお探しでしたらこちらですわ」
そう言われ、彼女について行った先は生徒会役員の控室だ。下級生の役員が扉を少し開けたところで彼女は私を中に誘った。奥から聞こえてくる声はマーティガンとナイチェル様のようだ。
「先ほどから、こちらで言い争っていますのよ」
呆れ顔を浮かべたエリザ様は小声で私と護衛の二人にそう告げると、薄笑いをする。
「内容を聞いてから声をかけた方がよろしくてよ。驚きの内容ですわ」
「マーティガン様の嘘つき!私を妃にして下さると言っていたではありませんか」
「そんな事を言ったことはない。ナイチェルの覚え違いだろう?俺の妃は、レティシーナと決まっている」
「では、毎回好きだと言ってくれたのは?」
「友人として好きだと言っていたんだよ」
「こんなに私は貴方に尽くして差し上げたのに……あんまりです。私の体が目的だったのですか?」
「違う。体を重ねたのは、ナイチェルが誘って来たんだろう? それも、レティシーナと初めてを迎えるときに、もたついて恥ずかしい想いをしない為にって……君がそう言って脱いだんだ」
「だからと言って――」
そこまで聞いてから、私は奥の扉をノックした。
「誰だ!控室には誰も入らないように言っておいたであろう」
「マーティガン殿下。レティシーナ・プランケルトですわ。扉を開いても宜しいでしょうか」
「だ、だ、駄目だ……」
「では、そろそろ卒業式が始まるようなので、わたくしは先に会場の中央へと移動させていだだきますわね……どうぞ、ごゆるりと――」
そうマーティガン殿下に告げた後で、エリザ様にお礼を言い私は控室を後にした。そして、護衛の一人に今見聞きしたことと卒業式の後でこの内容について話し合いをしたい事を、式が始まる前に国王陛下に報せるように告げる。
思ってもいなかった事に、私は歓喜で体が震える。なんて、ラッキーなのかしら。
卒業式が始まっても私の元にマーティガン殿下は来なかった。しかし、卒業生の答辞では壇上へと現れたことで、式には参加していたらしい。
式が終わると護衛と共に会場の貴賓室へと向かう。入室の許可を頂き中へと足を運ぶと両陛下の対面のソファーにマーティガン殿下が座り、その奥にはナイチェル様が顔面を蒼白にして佇んでいる。
私はソファーに促されたが、あえてマーティガン殿下の隣には座らず1人掛けソファーへと腰を下ろした。
国王陛下から発言を許されたことで私は、マーティガン殿下との婚約を破棄したい旨を話す。
俯いていたマーティガン殿下は、私の言葉に驚愕の表情を浮かべるが、国王陛下が承諾したことで唇を噛んでいた。
私は婚約破棄が成されたことで、その場から退出すると今までお世話になった護衛の二人にお礼を告げる。
会場を出ると馬車へと向かい歩き出す私の腰に後ろからスルリと腕が回された。そのまま抱きかかえられると馬車へと乗り込み座席に下ろされる。
顔を見ようと振り返れば、白いシャツにトラウザーズ姿のザックリークが微笑んでこちらを見下ろしていた。
「お、お、推しっ?」
「毎回、オシとは何のことだか分からないが。やっと、迎えに来れた」
「……やっと?……迎えに?」
そう言って、彼は私の前に跪く。
真っ赤な茹でダコのようになった私の顔を、彼もまた真っ赤に頰を染めて。
「やっと、爵位を取り戻すことが出来た。レティーのお陰だ。そして、レティーをやっと迎えに来れた」
――はぁぅ♡ 頰を赤らめる姿……可愛い♡
でも、何を言っているのか分からない
意味不明なのですが?
推しがなぜ私を迎えに来る?
なぜ推しが私を愛称で呼んでいる?
「レティーが王子と婚約していたと聞いたときは、焦ったが。婚約破棄が待っていたなんて驚きだったな」
クスクスと笑いながらそう告げる彼の笑顔の破壊力で私の身が危ない。
「レティーは、俺と結婚するはずだったんだ。俺と湖の前で約束していたのに第二王子だかなんだか知らんが、人のものに手を出すなんて……チッ……まぁ、殺さずに済んだがな」
キョトンと彼を見上げていると、私の隣にドカリと腰を下ろし腕を腰に回される。
そして、私の耳元に顔を埋め低音のハスキーボイスで物騒な言葉をサラリと言った。
彼の声音には何かの魔法がかけられているのだろうか? 私は声だけであの世へ連れて行かれそうに――。……ん?……今、なんて言った?
私の頭の中の、過去のあらゆる引き出しを引っ張り出す。
――これだ!まさか?
彼とは幼いときに会っていたのだ。というか、あの男の子が彼だったのか!
それは、領地の湖で遊んでいたときのこと、私が兄様に連れられて釣りをしていたときだった。バシャバシャと水の跳ねる音が煩く、魚が居なくなってしまうじゃない!と、音がする方に顔を向けた。
「あっ! 兄様! 巨大魚よ! 捕まえて!」
「巨大魚? なわけあるかー!……ぎゃぁー、子供が溺れてる!」
そして、兄様が泳いで彼を助けたのだが、湖の水を大量に飲んでしまっていた。
兄様は大人を呼んでくると言いながらその場を離れたが、私は前世の記憶から人口呼吸を施したのだ。
次の日、その子は両親と共に領地の邸へと昨日のお礼を告げにやって来た。
そこで仲良くなった彼に前世の話をペラペラと話した記憶がある。
――だからか
ちょっぴり不思議だったのよね
盗賊なのに、私を警戒しなかったし
すんなり信じてくれた
そして、言われた通りに
朝まで私の部屋にいたのは……
「思い出したわ!……貴方が爵位を取り戻したかったのは……もしかして……私?」
「ハハッ、今更かよ」
そうそう、人口呼吸の責任をとると言った彼に私は首を左右に振ったんだ。事故だったからファーストキスのカウントにならないと――。
そしたら、何度も唇を奪われたのだったわ。
「数え切れないほどの責任を僕は取るね」
そう言っていたっけ。
と、いうことは?
――ぎゃぁー!お、お、推しと?
推しと私はチュッとしていたわけ?
な、何と!
それも、数え切れないほど?
思考を飛ばしていると、柔らかくて温かい物が何度も唇に触れている。我に返ると推しの柘榴色の瞳が目の前に――。
そこで私の思考は停止した。
「そうか、卒業式でマーティガン殿下とそんなことがあったのか」
父様の言葉に彼は頷きながら私の頭を撫でている。
馬車の中で気を失った私は先ほど起きたのだが、彼の膝枕を堪能したくて目を開くことが出来ないのだ。……出来れば一生このままでいたい。
「プランケルト公爵様。お願いがあります。レティシーナとマーティガン殿下の婚約が無事に破棄されたことで、当初の約束通り――」
「ハハッ。それ以上言わなくてもいいよ。君とは10年以上前に約束をしていたからね。レティーが君との婚姻を望むのであればだがね」
「望みますわ……あっ」
起きていたのを分かっていたかのような二人の視線に、私はまた彼の膝の上へと頭を戻す。
「では、邪魔者は退出するとしよう」
扉の音がすると父様は部屋から出て行ったらしい。
そして、彼は寝た振りをする私の頭を撫でながら愛を囁いた。
「ずっと、レティーのことが好きだった。俺の奥さんになってくれるかい?」
「はい、もちろんです。私は、推しの為に生きているので――」
彼の言葉にパチリと目を開き返事をすると、彼の腰に両手を回し力いっぱい彼にしがみつく。
「……? レティー? 体調が悪いのか? 鼻息が荒いぞ」
「只今、推しを堪能中♡」
そして、今度は残り香ではない彼の香りを嗅ぎまくることで、私は幸せを噛みしめている。
誤字脱字がありましたら
申し訳ございません。