文章表現のチューニング
読者はきっと、作者が思っている以上に頭がいい。
若者の読解力低下が叫ばれる昨今ではあるが、好き好んで小説投稿サイトの、しかも流行りにそぐわないジャンルのお話を読んでいるような層の方々は、きっと普通に様々な小説を読んでいる上澄の人達だ。
特に自身でも小説を書かれているような方々は、その上澄を蒸留装置で丁寧に精製した精油みたいな方々であろう。
その文章読解力は、きっと香り高く芳しい。
小説の文章って、簡略化しようと思えばいくらでも簡略化できるし、遠回しに説明しようと思えばいくらでもと遠回しに書けると思う。
そしてそれは、読む人の好みとか、文章読解力とかを想定して選定しないと、「えっ? ちょっとまって? ……意味わからんわ」となってしまう。
いや、好みの問題だけなら「言ってる事はわかるけど周りくどくて嫌い」って感じで、内容を理解してくれた上で評価されるのだから全然いい。
問題は「え、マジで何言っての?」って思われちゃう事だ。
文章表現は「具体的」と「感覚的」ってのに分かれるーー気がする。いやここでは別れてるものだと勝手に定義する。
その場合、この二つは相関関係になっていると思う。具体が高まれば感覚が弱まり、感覚が高まれば具体が弱まる。
具体は言い換えると「正確さ」だ。「そういう事ね」ってすっぽりと心の中に収まり、読者への誤解は生まれないものの、読者自身が想像を巡らせる余白はない。
感覚は言い換えると「強度」だ。言葉の意味する所を考える事で、心の中でそいつらが反響し合い、より強い意味となって読者の心に捩じ込まれる。ただ、意味が通じなければその反響も生まれない。
ちょっと具体的な例を挙げてみる。
例えば男が悲しんでいるシーン。
①男は悲しんでいた。
これはめちゃくちゃ具体的だ。悲しんでいることが一発でわかる。
②男が見た空は、暗く濁っていた。
これは若干感覚にシフトするが、かなりわかりやすい。多分一番バランスがいい。
③男が見た空は、全ての絵の具をぶちまけたようだった。
これはさらに感覚を高めてる。ぶちまけるという言葉を加えたことで、男のやるせない感情がプラスされている。全ての絵の具を混ぜるとなんか濁った色になる。
3パターン書いてみた。
幕田は基本的に②から③の辺りで書いていると思う。
好みの問題は色々あると思うが、あくまで「言いたいことを理解してもらえるか?」の観点で考えると、上でも書いた通り②が一番バランスがいい。
しかし③の持つ表現の奥行きも捨て難い。ただ、人によっては「え、何言ってんの?」ってなる可能性がある。
ここで、冒頭の「読者はきっと、作者が思っている以上に頭がいい」に戻る。
きっと幕田なんかの作品を読んでくれる方々は、きっと幕田よりも全然読解力が高い。幕田の言いたい事をさも当然のように理解してくれるし、実際に「書いてる俺より物語を理解してて、上手くまとめてる!」って感想を頻繁にもらう。
だから、少なくとも今自分が属している界隈を対象とした場合、②③のチューニングで書く事に関するデメリットはあまり考えなくていいのかもしれない。
(もっかい言うけど、理解できるけど嫌い!って方は合う合わないの問題なのでしょうがないです……すみません……)。
全ての人に「一番いい」ってチューニングの文章はおそらく存在しないのだろう。
自分が訴求したい読者層に適した文章を選択していく事が大事なのだ。
最近そんな事を考えて、別の読者層に訴求するため、あえて①②のチューニングや、①〜③を織り交ぜたチューニングで書いてる事も多いのである。
複雑に回りくどく書く事で、全ての人が良いと思ってくれるーーそんな単純な世界じゃない!
これだけ歴(小説書き始めて20年以上)を重ねたくせに、そんな事に今更気付いた幕田なのでした。
なんか俺って、こういう「文章表現をどうするか!?」みたいなエッセイが多い気がするなぁ。おそらく幕田は悩んでいるのでしょう(*´Д`*)




