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聖信  作者: 仁兵衛
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第一話

東北新幹線は、十二時三十九分に新青森駅を出発した。窓の外では、以前まで過ごしていた青森の街並みが流れていく。橋田歩は、小学校教師。転任前は、四年生の担任を務めていた。しかし、夏休み1週間前に、校長から急な転任命令を受け青森から離れ宮城まで移動することになった。

 急な転任を受けたせいで、子供たちとは何も別れの挨拶を交わすことなく消えることになってしまった。生徒とは上手くいってたせいもあり、非常に名残惜しい。手紙みたいに形に残るような思い出の品ぐらい欲しかったなと、心の中で後悔する。

 転任先は精神病院。そこでカウンセラーとして雇われた。鞄から、何度も見返したその資料を取り出し再確認する。

 筒治最終精神病院。それは筒治総合病院の中にあるという。それも『科』としてではなく『病院』として。この筒治最終精神病院では、一般の精神病院では手に負えなくなった患者の『管理』をしている。最終地点なのである。

 最初にこの名前と説明を聞いたときは度肝を抜かれた。『一般の精神病院では手に負えなくなった』、この項目は特にだ。いわゆる精神病院とは、精神障害、といっても睡眠障害や認知障害、依存症など様々だが、それらの患者を治療、ケアするための施設だ。治療法は様々で、薬物を投与することによる薬物療法、心のケアやカウンセリングなどの精神療法などがある。

 精神病院やその患者などの知識は、おそらく有名なものもあるだろう。例えば、精神病患者が描いた絵。不気味で見るだけで鳥肌が立つような、その患者の精神状態が生々しく描かれている絵は見たことのある者も多いだろう。歩もその絵を見た当時は、相当なショックを受けていた。絵ではなくても、その患者の言動なども非常に恐ろしいものである。自分の皮膚をかきむしったり、目をえぐり取ろうとした者や、自傷行為に走った者。筒治最終精神病院は、これら以上の、さらに手に負えなくなった患者を扱っているというものだから、どんな患者なのだろうと、考えるだけでも恐ろしかった。そのせいで、ここ最近は満足に眠れる日が少なかった。

 新青森から仙台まで新幹線で約二時間。駅前の本屋で買った小説を、時間潰しに読み始める。歩はかなりの速読派だ。それも流して読むのではなく、ちゃんと頭の中に入っている。そのおかげでか、小学生時代に図書の貸出ランキングで1位を取ったこともある。

 本は、一般の小説よりも少し薄めなので、仙台に着くまでには読みきれるだろう。柄でもなく、少しかっこつけるつもりで足を組みながら読み始めた。


「まもなく、仙台、仙台」

 仙台駅到着のアナウンスが流れる。本を読んでいて気づかなかったが、外では雨が降っていた。想定してなかったため、もちろん傘は持ってきていない。駅での迎えが車であることを願うしかない。

 新幹線から降り、駅のホームまで行き、そこから南口の出口から出る。集合場所は、整体クリニック『うなばら』の出入り口前だ。なぜこんな駅前付近に建てたのかは謎だ。

 『うなばら』まで、鞄を頭の上に載せ、ゴロゴロとキャリーケースを引きながら駆け足で進む。周りは皆傘をさしていて、非常に目立っている。

 着くころには、スーツはびしょ濡れだった。鞄の中身の資料が濡れてないか焦って確認する。ファイルで守られていて無事だった。『うなばら』の前には、タクシーが一台止まっていた。雨が降っているのに、後部座席の窓が開いていた。中には白いスーツを身にまとった、三十代くらいの女が座っていた。化粧の濃く、作ったような白い肌だ。髪は、後ろで一本に結ばれている。じろじろと見ている俺に気が付いたのか、女がこちらを振り向く。女は、何か気づいたような顔をして、左の胸ポケットから、何十にも折りたたまれた紙を広げて、確認するように歩と紙を交互に見比べている。

「もしかして、橋田歩さんですね?」

 女が、確信を得たようにこちらに問いかけた。

「はい、そうですけど...」

「ですよね、良かった。びしょ濡れじゃないですか、早く入ってください。ハンカチをお貸しします」

 そういって、タクシーの扉を開いた。女は、「病院まで」と声をかけると、タクシーはゆっくりと動き出した。

「ありがとうございます」

 女からハンカチを受け取り、顔にかかった水滴を拭き取る。ラベンダーの香りがした。

「酒林雀と言います。この度は、ご協力ありがとうございます」

 女は、雀と言った。見た目からは、そんなかわいらしい名前が出てくるような性格には見えないなと。啓子とか久美子とかのほうが断然似合いそうだ。

「どうも、橋田歩です。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 そういって、こんな狭い車内のなかこちらを振り向き、肩に当たるんじゃないかという距離まで頭を下げた。

「あの、少しいいですか?」

「ご質問なら病院についてからでお願いします。車内ではなるべく静かにしていただくとありがたいです」

 多分、病院についての話題は、第三者に聞かれるとまずいものでもあるのだろう。病院に着くまでおとなしく外を眺めて待つことにした。

 外の雨は、止むことを知らない。気分まで暗くしてしまいそうな空は、まあ実際だいぶ暗いが、わざわざ宮城にまで転任してきた歩を還元するような感じには見えない。なんなら、憐れんでいるようにも見える。まあ、無理もない。精神病院やその患者などリアルで見たことのない歩にとって、手に負えなくなった患者の相手をするというのだから怖くてたまらない。人は未知ほど不気味がるとはまさにこのことだろう。

 光をも届かぬ、言えば監獄のような場所へと、タクシーは迷うことなく進んで行く。今日はやけに混んでるなと、最後に目をつむった。


「橋田さん、お疲れですか?」

 肩をポンと叩かれたことに気付き瞼を上げた。窓の外には、大きな建物が鎮座していた。建物の上には、大きく『筒治総合病院』と書かれていた。どうやら到着したようだ。

「ああ、はい。ここのところ中々寝付けなくて」

 今日も寝たのは夜の二時くらいだ。そこから六時に起き、学校に最後の挨拶をしてから新幹線に乗った。

「傘はお持ちですか?」

「いえ、今日が雨降るなんて知りませんでしたから」

「なら、入口までお貸しします」

「いや大丈夫ですよ。これ一つしかないんでしょ?」

「濡れると風邪を引いてしまいます」

「それはお互いでしょう。半分中に入れますから入ってください」

「入口まで大した距離はありません。こちらは構いませんので気になさらないでください」

 そういって、酒林は先導を切るように歩より前を歩き出した。本当に傘に入るつもりはないようだった。

 にしても、酒林雀はやけに下手だなと思った。橋田より年上に見えるし、役柄としても断然上だろう。こちらの方が上かのように接してくるので、なぜかこちらも「おい酒林、お前お茶組んで来い」みたいなことを言いかねない。

 酒林は、その1本結びの髪や白のスーツを濡らしながら、傘を差して一切濡れることのない歩を先導しながら病院の入口へと向かった。


 入口に入り、筒治総合病院の大きなエントランスを抜け、階段を間に挟んである2つの通路の左側を渡る。角を左に曲がり奥に進むと、濃い赤文字で『関係者以外立ち入り禁止』と大きく書かれた両開きのドアがあった。酒林は、今度は右胸のポケットから鍵を取り出しその扉の鍵を開けた。そこには、教室ぐらいのスペースの部屋があり、左右にはエレベーターが設置してあった。エレベーター以外には何もなかった。エレベーターの上の立て札には、左は『総合倉庫』、そして右は『筒治最終精神病院』と記されていた。

 もちろん右側に向かい、エレベーターの横側にあったタブレットぐらいの大きさのパネルを操作し始めた。

「このエレベーターは、このタブレットに番号を入力しないと動きません。番号は『2820』ですので、出入りする際はご入力ください」

 そういって酒林は、パネルに『2820』と入力した。すると、エレベーターの扉が開いた。中に入り、行先のボタンを押す。ボタンは、『B1』、『B2』、『B3』とあった。ちなみにこの『B』は『Basement』、地下という意味だ。酒林は『B3』を押した。

「地下三階です」

 と、籠ったようなアナウンスが流れた。エレベーターを出て、酒林に付いていく。そこはホールであり、正面には無人のカウンター、左右に通路が伸びている。右の通路を渡る。壁や床は暗めの白が使われており、扉は黒の木製だ。『事務質』、『管理室』、『倉庫』など、扉の上には立札が下がっていた。

 すると、酒林が止まった。

「ここです」

 その立札には、『客室1』と記されていた。

「時間までこちらの部屋に待機していてください。他の方々も既に待機しておりますので」

 「他の方々」ということは、ここに呼ばれたのは橋田だけじゃないということだ。

「それでは」

 と言って、酒林はその場を後にした。

 コンコン、と『客室1』のとびらをノックしてから扉を開けた。横長の机が横並びに二個配置してあり、左右三つずつ席が置かれていた。右に女二人、左に男一人座っていた。皆橋田と同じ年頃のように見えた。

 部屋の上部中央には移動式のホワイトボートが設置してあり、座席表が張られていた。歩は左側の、男が座っている左隣、席でいうと中央に座ることになっていた。座席表には名前が記されており、左座席から『佐々木五郎』、『橋田歩』、『大林武』、『鈴原セイラ』、『島崎冬音』、『浅本緑』と記されていた。

「どうも、あなたも?」

 席に着くと、座っていた男に声をかけられた。

「ええ、急に呼ばれてしまいましてね」

「同じですよ。まだ終わってない業務もいろいろとありましたのに」

 男性は困ったように腕を組み、ふうと一息ついた。ヤニ臭かった。

「私、大林武と言います。ここに来る前は中学校の体育教師を務めていました」

「自分は橋田歩と言います。来る前は小学六年生の担任を務めていました」

大林武は、褐色でがたいが良く、いかにも体育会系といった感じだ。髪型も2ブロックで、ジェルでセットしたのか右側に流れていた。

「六年生ですか、これはまた大変な時期に」

「ええ、教師になって初めての卒業生でしたから、見てみたかったですよ」

「失礼ですが、おいくつですか?」

「二十六ですよ」

「おお、私もですよ。いわゆる『タメ』っていうやつですね」

多分、ここに集められる、まだ来ていない他の人間もそれぐらいの歳なのかもしれない。

「やはり皆さん同じくらいなんですね」

 と、右側のテーブルの席から声をかけられた。おそらくあちらの女性達も、こちらと同じく自己紹介をしていたのだろう。

「私、浅本緑と言います」

「浅本さんも教師で?」

 大林が聞いた。

「ええ、私は中学校でして、二年生の担任でした」

 浅本緑は、垂れ目で表情のやわらかい人物だ。笑顔を作るとえくぼができていた。髪型は後ろで一本に結ばれていた。

「どうも私は!島崎冬音といいま!す!」

 と、急に椅子を引いて立ち上がり、緊張しているのか、カックリとお辞儀した。

「冬音さん、落ち着いて」

 浅本が振り返り、落ち着かせるよう諭した。

「冬音さんはどちらから?」

「私は!小学校で音楽の教師をし!してました!」

 またカックリとお辞儀した。

 ふと気になったことを、歩は口にした。

「てことは、全員教職員なんでしょうかね」

「多分そうなんじゃないですかね。まだ来てない二名の方も、教師じゃなくてもそれの関係者だと思いますけどね」

 まだ来ぬ招かれ人は、『佐々木五郎』と『鈴原セイラ』。歩たちを招いた招待人は、教職関係者をカウンセラーとして雇おうと思ったのだろう。今いるメンバーでも小学生や中学生の教師だ。きっとここにいる患者も、そういう世代の子供達なのだろう。若くして気の毒すぎるなと思った。


 あれから十分くらいが経った。同じ職でも、分野が全員違うので話は自然と弾んでいた。特に浅本の、生徒から告白された話は異様に盛り上がった。現在の話題は、修学旅行だった。歩は今年行くはずだったがここに来たことによりそれはできなくなっている。島崎は音楽教師なのでそもそも行けないということと、浅本は一昨年の京都に行った話、大林は4年前の福島に行った話だった。やはり教師としていくとなると大変だと言う。浅本に関してはもう行きたくないと言っていた。

 すると、突然扉が開いた。皆それを確認するためか、会話はそこで途切れた。

「......」

 入ってきたのは、男だった。五十代くらいに見えた。全体的にげっそりしており、目に覇気は無い。髪は、うっすらと白髪交じりだが、禿げてはいない。男は、歩たちを横流しに一瞥すると、座席表を見ることなく席に着いた。

「ど、どうも...」

 歩は少し引き気味になりながらも、一様挨拶を交わした。男は、目を合わさず黙って会釈した。

 その男によるせいか、空気が重くなったような感じがした。皆黙りこくり、携帯電話などをいじっていた。歩も、新幹線の中で読み終わった小説を、あたかも読んでいる風にパラパラとめくって時間を潰した。


五分後、またドアが開いた。

 今度は二人の女性だった。一人は秘書と言っていた酒林、もう一人は若い女だった。もちろん島崎や浅本も若いといえば若いが、その少女はまた一段と若く見えた。少女はこちらを見ると、静かに一礼した。手をへその下ぐらいに置き、こちらにつむじを見せるように深々と。まるで営業マン、営業レディのようだった。

「座席表はあちらのホワイトボードにありますので」

 酒林はそう言って促した。

「これで皆さん集まりました。担当を呼んできますので、しばらくお待ちください」

 そういって酒林は部屋を出ていった。少女は座席表を確認すると、その座席の前まで行き、またこちらを振り返り

「こんにちは。私は鈴原セイラと言います。不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」

 と、また先ほどのように礼をした。

「鈴原さんは、どちらからいらしたんですか?」

 多分おそらく全員が気になっているであろうことを大林が聞いた。

「愛知から来ました」

「愛知から・・・ご職業は?」

「大学生です。大学二回生です」

 ここで、佐々木については分からないが、ここにいる者の中では初めての学生だった。

「へえ、大学生。どこの大学?」

「愛教大です」

「へえ、すごいね。頭良いんだ」

 舌打ちが聞こえた。それも歩の隣から。おそらく佐々木五郎だろう。腕を組みながら俯いていた。それが聞こえていたのだろう、少女は申し訳なさそうにもう一度一礼し席に着いた。


 また扉が開くと、酒林の後ろに一人の男がいた。鼻下と顎に髭を生やしており、丸渕眼鏡をかけていた。髪型はセンター分けだが、ところどころ寝癖が付いていた。

「皆さんどうも。私はこの筒治最終精神病院の館長をしております、筒治心と言います。どうぞよろしく」

 筒治という男は、酒林に着いていくように横並びの机の間を通る。酒林は、部屋の隅で重なっているパイプ椅子を一つ取り、筒治を座らせた。

「ではこれより、まあ、なんと言うんでしょう、説明会でいいのかな?まあ、説明会を始めます」

 腕時計を確認した後、筒治が言った。

「まず初めに皆さん自己紹介をしてもらいましょう。名前だけで大丈夫です。では右側から言ってもらいましょう」

 一番右、浅本から自己紹介が始まった。先ほどもしたからか、自己紹介は全員に向かってというわけではなく、筒治に向かってしたという気がした。淡々と過ぎ、歩の番も終わり、最後に

「佐々木五郎といいます」

 礼することもなく、静かに席に着いた。これで全員の底紹介は終わった。

「それじゃあ次は私達かな。先ほども言ったとおり、私は筒治最終精神病院館長の筒治心と言います。今年で三十七になりますね。佐々木さんの後輩ということになりますね」

 それは、まるで子馬鹿にしたような感じだった。佐々木よりも年下の自分は、こんな立場にいるんだぞと。事実笑みを浮かべていた。対する佐々木は見向きもせず、腕を組みながら俯いていた。

「じゃあ次は酒林君」

「はい、自分は酒林雀と言います。筒治心館長の秘書を務めています。よろしくお願いします」

「あれ、年齢言わなくていいの?」 

 筒治がそう聞くと、酒林は黙っていた。

「皆さんお気づきかもしれませんが、私は筒治総合病院館長、筒治弦の息子です。元々ここは精神科だったんです。ですが私の代からは、精神病院と言うようになったんですよ。まあ、自称ですけどね」 

 それはそうだろう。病院の中に病院とはおかしな話だ。館長と名乗るのもふざけているが。だがしかし、何故筒治心に変わってから病院と呼ぶようになったのかは分からない。

「ではまず、皆さんにこれからやってもらう事について説明しましょう」

 そう言って筒治は、酒林から紙束を受け取る。それを一枚めくると

「みなさんは、この筒治最終精神病院の患者のカウンセラーとして勤めてもらいます。まずこの病院についてご説明します。筒治最終精神病院では、一般の精神病院にて完治、治療の完全不能状態の患者を管理するために設立されました。この完治、治療の完全不能状態を我々は『レベルアウト(レベルO)』と言っています。このレベルアウト患者の精神状態を落ち着かせるよう、皆さんにはカウンセリングという形でやっていただきたいんです」

 筒治は手元の資料を一枚めくった。こちらに配るようには用意していないらしい。

「ここには、子供十七名、大人十五名、計三十二名のレベルアウト患者が隔離されています。患者は一人一部屋なので、それくらいの部屋数があるので移動は大変ですがね。まあ、後ほど施設案内ということで、皆さんには館内を見学していただきます。この説明会が終わったら、酒林が担当しているので指示に従ってください」

 酒林が一礼をした。

「では次に仕事内容について説明します。皆さんにはこれから三か月、研修期間として、こちらで決めたペアで、未成年の患者のカウンセリングをやってもらいます。カウンセリングは、お昼後と就寝前にのみ行います。研修のスケジュールは後ほど、皆さんに配られるノートパソコンに送信します。研修期間が終わったら単独に戻てもらい、こちらが指定した患者を担当してもらいます。みなさんの業務はカウンセリングのみですのでそれ以外は自由時間に使ってもらって構わないです」

「あの、良いですか?」

 大林が手を挙げて聞いた。

「大林武さんですね。ええ、なんでしょう」

「その、レベルアウト?の患者って、どんな感じなのでしょう。やっぱり暴れてたりするんですか?」

「まあ、中にはそんな方もいますよ。静かで大人しい方もいますし、症状次第ですね。ただそれは一時的なものなんです。時には暴れて暴力をふるったり、壁や枕を壊したりしたりもします。暴力なんてしょっちゅうですからね。ですから皆さん怪我の一つや二つは覚悟したほうがいいですよ。まあ、余り酷かったら鎮静剤を打ちますが、最近酷く値上げされましたからね、気安くは使えませんが」

「でも、そんなに酷かったらカウンセリングの意味ってあるんですか?もっと効果的な方法があるはずです」

「そうですか?私には思いつけませんが、例えば何でしょう?」

「まず、ここに集められた我々は、皆教育関係の職員ですよね?」

「良くお分かりですね。教職員の皆さん、鈴原セイラさんは教育大学生ですが、まあそのような方達だけを選ばさせてもらいました」

「私達はあくまで教師です。生徒たちの悩みは聞いても、精神障がい者の悩みは聞いたことはありません。もっと専門的な方を雇えば良かったのでは?」

 筒治は大林の質問に、一つ深呼吸してから応えた。

「まあ、皆さんはある意味実験です。ええ、数年前までは専門的な方達を雇っていました。ですが中々効果が薄くてですね、そこで現教職員を雇ってみようということになったんです。少なくとも、子供たちとはカウンセラーの方達より深く関わっていると思いますから、そこで何かが変わるんじゃないかと、希望にすがるようにね」

「ですがですね、我々教職員とカウンセラーとは量と質の関係なんです。確かに教師という仕事は、生徒との関わりはカウンセラーの方々と比べれば広く深いかもしれません。ですがこの場合、相手は精神病患者、いくら色々な生徒を相手にしてきたからと言っても専門職の方には勝てませんよ。仮にもですよ、いくら教職員を雇うとしても我々はまだ未熟ですよ。経験が豊富な方は、私達よりもいるはずです。患者を元気に外に出すには、私達には力不足なのではないでしょうか」

「なんだか失礼じゃないですか、それじゃあ貴方はまだしも、それ以外の方々の能力を否定していることになってしまいますよ」

「・・・」

 大林は黙った。

「それに大林さん、貴方は何か勘違いをしていませんか?」

「はあ」と、気が抜けたように言った。

「貴方の言葉を聞いてると、あたかも患者を救い出そうと、ここから出して普通に生活できるようにする、そのように聞こえますが」

「ええ、あたりまえじゃないですか」

「でしたら何故、ここの患者はここに来る羽目になったのでしょうかねぇ。大林さんが先ほど言った専門職、その専門職の方々をちゃんと雇っている病院なんて、他にもたくさんあると思いますけどねえ」

「・・・つまり、何を」

「私は、一度たりとも患者の治療をお願いするようなことなんて言ってませんが」

「・・・」

「最初に言いましたよね。皆さんには、患者の『管理』をしてほしいと」

 大林は、忘れていたのか、気づいたように視線を逸らした。

「だってそうでしょう。わざわざ私が色んな精神病院、病棟を周って、色んな治療を受けてきた、それこそカウンセリングや薬物療法なども試した結果ダメだった患者を、ここでどうやって直せと言うんですか。こんな地下に閉じ込めて、自分で言うのもなんですが、ここは牢屋と一緒ですよ」

 少し熱くなっているのか、若干早口になっている気がした。

「私は、貴方達には、患者がこれ以上酷くならないよう抑えてほしいんです。患者の異常を治してほしいなど、とっくの昔に諦めていますから。もちろん大林さんの気持ちも分かります。ですがそれはもう、不可能なんです。ここにいる患者がここを出る時は、その患者が死ぬ時だけなんです。生きている間は危険なので外には出せません」

 非常に重苦しい雰囲気だった。ここにいる患者は、日の光を浴びることも、広がる青空を見ることも、永遠に続いているよな水平線も、見ることはできない。死ぬまで、この地下に閉じ込められる。自分がそうなってしまったときのことを考えてみた。歩はスキーが趣味だったりする。なので季節では冬が好きだし、雪が降る日には子供のようにはしゃいでしまう。だが、ここに閉じ込められれば、スキーなどできやしないし、雪なんて触ることもできない。外が一面真っ白になるまで積もった日、凍り付くような氷点下の世界の中、家の中で暖房を聞かせて、さらにはコタツにまで入ってテレビを見たり、そんな生活は二度とできなくなる。そんな小さな幸せさえもできなくなるなど、考えるだけで心臓が苦しかった。

 もう、大林は声を出さなかった。俯いたまま、席に座った。

「もう、大丈夫ですか」

「・・・ええ、すみませんでした」

「いえいえ、こちらこそ雇った身として、少し無礼な態度を取ってしまいましたから」

 筒治も、自分を落ち着かせるよう一つ深呼吸した。

「まあ、説明はこれくらいで大丈夫でしょう。また何か分からないことがあったら、このあと配布されるノートパソコンでメールで送ってください。では私はこれで失礼します。案内、頼むよ酒林君」

「はい」

 そうして筒治はこの部屋を出ていった。扉を開けたとき、誰かがいるか確認するように、ドアから顔だけを覗かせあたりを見渡した。

「それではこれから、管内の案内を始めます。席はそのままで大丈夫なので、皆さん外で待機していてください」

 酒林だけを部屋に残し、六人は部屋の外に出ていく。それから数分後、酒林が部屋から出てきた。

「お待たせしました。では早速始めましょう。私に付いてきてください」

 

「まずここが食堂となっております。自分の食べたいものを、自由に皿に移してもらって構いません。食堂は食事の時のみ開いておりますので、軽食を取られたい方は購買の方でお願いします」

 いわゆるバイキング形式というやつだ。今は夕飯の準備段階だが、それでもそこには焼き魚やフライ物、漬物や煮物、さらにはデザートなども選べて種類が豊富だった。さらには、ご飯かパンか、それに麺類かまで選べるようだった。

「すごい、いっぱいある」

 普段は学食で食べているのか、食堂が学校にある者と全く違うと鈴原セイラが驚いていた。

「夕飯が楽しみだな」

 浅本と鈴原は、まるで姉妹のようだった。初対面というのに、とっくに仲が良さそうだった。

「食堂はこれで以上ですが、次に行っても大丈夫ですか?」

「大丈夫です」と、歩が応えた。


「ここは娯楽室です。ここは就寝時間までならいつでも空いてますので、積極的にご活用ください」

 娯楽室も、これまたすごかった。娯楽室は、まずは教室くらいの大きさのホールが一つあり、飲み物だけでなく、アイスクリームの自動販売機があった。ここで働いている人達か、テーブルに飲み物やお菓子を置きながら楽しそうに話しているグループがいくつかあった。

 娯楽室は、他に部屋が三つあり、ホールとドア越しに繋がっている。まず一つ目は読書スペース。市の図書館ぐらいとまではいかないが、少し大きめの本屋ぐらいの広さだった。ちゃんと、小説、漫画、雑誌、参考書とジャンル分けされていた。本は貸出式で、借りたら部屋に持ち帰って読んでも大丈夫らしい。

 次に二つ目はゲームスペース。教室ぐらいの広さで、テレビゲーム、ボードゲーム、さらにはパソコンまでもあった。テレビゲームも、ちゃんと最新型だった。ここには数人、パソコンでヘッドホンをしながら、ゲームやら動画やら、何かをしていた。

「橋田さんはゲームやられます?」

 大林が聞いてきた。

「いえ、自分はあんまり。もともとゲームはやらない子供だったので、あまり触ったこともありませんね・大林さんは?」

「私は結構するんですよ。というのもね、私陸上部の副顧問をしてましてね、最初はあまり馴染めてないというか、生徒たちと距離があったというか。まあ、それだと指導する身としてもやり難いじゃないですか。やっぱりこう、私も高校時代陸上部だったんですけどもね、好きな先生の時はやっぱりやる気も上がるんですよ」

「分かりますそれ。私も中学時代バドミントン部でしたから」

「でしょ?やっぱり先生によって変わるんですよ。それだとほら、パフォーマンスにも影響しちゃうでしょ?このまんまじゃ駄目だなって思って、もっと生徒たちとの距離を深めるために何かないかなと考えたわけですよ。するとある日、部活の休憩時間中に、何人かのグループでなんかのゲームの話で盛り上がってたんですよ。あの装備が強いとか、あのモンスターカッコいいとか」

 橋田には全然わからなかった。

「なんの話?って聞いてみたんですよ。モンスターを倒すゲームの話って教えてもらって、最初は何が何だか分からなかったんですよ。私もあまりゲームをするタイプではなかったので。話を聞いて、先生もやってみれば?って言われたんです。私はね、これはチャンスだ!って思ってもう電気屋にすぐ行きましたよ。そして教えてもらったゲーム機とソフトを買ってね、貯金は結構ありましたから、そして家に帰ってやってみたんです。そしたらもうハマっちゃってね。気づいたら夜中でしたよ。次の日は部活もなかったんです。そうすると一日休みだったので、もう朝までずっと」

 大林は橋田に向かって話しているつもりだったが、あまりにも声量が大きいため周りにも聞かれていた。楽しそうに話す大林を見てか、酒林も聞いているかは分からないが、次に進むのを待っているようだった。

「そして部活の時、その子達と休憩時間に話したんですよ。するともう盛り上がちゃって。あっという間に気に入られちゃって、おかげで転任になったと言ったら泣いてる子もいましたよ」

 昔懐かしむように言った。

「大丈夫ですか?」

 酒林が、話が終わったことを確認するかのように聞いてきた。

「ああ、すみません。大丈夫です」

「それでは次に行きます」


 そして三つ目は小運動スペースと記されていた。ここには、卓球、ビリヤード、ダーツ、テーブルサッカーなど、旅館に置いてあるような物が置いてあった。四十代くらいの男が、険しい顔で一人でビリヤードをやっていた。歩はビリヤードについてはあまり詳しくない。ボーリングのピンみたいに並べられた球を、棒で狙いながら球を飛ばして穴に落とす、それぐらいのイメージだ。

「卓球のラケットやダーツの矢などは、あそこの棚にすべてありますのでそこからお取りください。なお、、ゲームスペースとここにあるものは持ち出し不可ですのでご了承ください」

 この部屋は歩達と、その男一人しかいなかった。男は、畳まれていたハンカチを手に取り、球一つ一つを丁寧に拭いた。きっと、歩たちが入ってきたことにより、緊張してプレーを辞めたのだろう。それを察せらないためにごまかすように球を拭いている、そんな感じだ。


ホールに戻り、しばらく休憩となった。自動販売機で緑茶を買い、一口飲んでから言った。

「みなさん、なにか気が付きませんでしたか?」

 一つの違和感、娯楽室を見て回ったときに、何かがおかしかった。

「なにかありました?」

 大林が不思議そうに聞いてきた。

「三部屋見て回って、私、一つ気が付いたんです」

 この場に佐々木はいなかった。休憩時間に入った途端、娯楽室を出ていった。それ以外、佐々木以外のメンバーが、歩の話に耳を傾けていた。

「今まで見て回った部屋、もちろんここもですが、異様に人の数が少なすぎじゃありませんでした?」

 ホール、読書スペース、ゲームスペース、小運動スペース、二三人、小運動スペースに関しては、ビリヤードをやっていた男一人しかいなかった。

 浅本が、考えるような素振りを見せていった。

「確かに、みなさん勤務中とか?」

「筒治館長は、カウンセリングは昼と就寝前にのみ行うといっていました。今はまだ五時過ぎです。夕飯は七時からと言っていたので、時間は余裕にあります」

「ここの病院の、ほとんどの人がカウンセラーではない職員だったり・・・」

「ここには三十二名の患者がいます。今見てきた人達だけで回せるわけがありません」

「娯楽室ではない他の部屋にいるのでは?」

「こんなに充実している娯楽室ですよ。仮にそんな場所があったとしても、この場所をそんな二三人しか使わないということなんてありえませんよ」

 言う言葉が尽きたのか、浅本は黙って俯いた。酒林は、十五分後にまた再開すると言ってこの部屋を出ていった。しばらく、沈黙が続いた。

「私、思うんです」

 ここで今まで静かだった鈴原が口を開いた。

「ここにいるのは、普通の精神病院では手に負えなくなった精神病患者だって筒治館長は言ってました。そんな患者を相手にしてるんです、遊べるほど心に余裕があるのか、と思うんです」

 それは、歩の中では核心をついた言葉だった。

「ここの設備、今まで見てきた食堂や娯楽室、それにこれから見ていく場所も、きっとすごく充実していると思うんです。それは、患者の相手をしたカウンセラーやそのお世話をしている看護師の方々のメンタルケアに繋がるのではないでしょうか」

「私も!そう思う!」

 ここで島崎が口を開いた。相変わらず語尾にビックリマークが付いていた。

 ここには充実している環境がそろっている。しかし、利用者が少ない。もったいないと思うのと同時に、この病院の悲惨さがゾクゾクと感じてしまう。本を読んだりゲームやビリヤードをして遊んだりするほど、心や体に余裕が無いのだろう。ではいった、どこで何をしているのだろうか。部屋でずっと寝ているのだろうか。

 そう考えているうちに、酒林が戻ってきた。

「佐々木さんはどちらに?」

 そこに佐々木がいないことに気が付いたのか、行方を聞いてきた。

「酒林さんが出てすぐ後にここを出ていきました」

 数分待っていると、ようやく佐々木が戻ってきた。一言も喋ることはなかった。

「これで全員揃いましたね、では行きましょう」


「ここが入浴場です。二十時から二十二時まで空いています。右側が女湯、左側が男湯となっております」

 青の暖簾には「男」、赤の暖簾には「女」と記されていた。

「今はまだ空いてませんので、時間になってからお入りください」

 

 入浴場を見た後、エントランスに戻り、エレベーターに乗った。エレベーターは、地下二階で止まった。

「この階は社員寮となっております」

 エントランスと同じくらいのホールには、自販機や、ソファーと向かい合わす形でテレビが置いてあった。エントランスの左右には、それぞれ通路が伸びており、その通路の床に緑色の文字で右通路に「女性寮」、左通路に「男性寮」と記されていた。

「佐々木五郎さんは『B010 』、橋田歩さんは『B009』、大林武さんは『B003』、島崎冬音さんは『G004』、浅本緑さんは『G007』、そして鈴原セイラさんは『G009』、今指定したのは自室の部屋番号ですのでどうぞお使いください」

 部屋の中を見てみた。六畳くらいで、右隅にベッドがありその下にテレビ、左下には収納棚があり、その隣に冷蔵庫、左上には膝くらいの高さの長テーブルがあり、ポッドと電子レンジが置いてあった。一人で生活するには丁度良く、まさかテレビまでついていたとは驚きだった。ベッドもそれなりにやわらかく、枕も固すぎず柔すぎずだ。まるでホテルのようだなと思った。


「最後にですが、これから病棟の方に移ります」

 いよいよだった。一般病院では手に負えなくなってしまい、ここで管理しなくてはいけない患者。いったいどんな者だろうと考えてみる。暴れており、言葉は乱雑で、何を話しているのかは分からない。よだれを垂らして、血眼であり、身体は骨のように細い。それが歩にとっての、レベルアウト患者のイメージだった。

 エレベーターで地下三階に戻り、エントランスを抜け、食堂前を通り過ぎ、娯楽室前を通り過ぎ、欲情前を通り過ぎ、そこには、照らされた赤を後ろに、『地下病棟』と記されていた。扉は両開きで、鍵は開いていた。重い鉄の扉を開けると、さらに地下へと降りる階段があった。

 七段降りる。踊り場があり、右に曲がる。そしてまた、七段降りる。

 一直線に通路は伸びていた。その通路の両脇に、部屋はあった。合わせて四十。片方に二十部屋ずつ配置してあった。

 まず感じたのは、やけに臭かった。なんというか、油臭いというか、獣臭いというか、まあ、患者の体臭によるものだろう。ろくに風呂に入っていな、入れないのだろう。せめて濡れタオルで体を拭いているぐらい、この部屋から出ずに体を洗うには、それくらいのことしかできないのだろう。だから臭うのだ。

「やけに静かですね」

 歩がもう一つ考えていたことを、浅本が言った。そう、静かなのだ。

 悲鳴は頻繁で、暴言は絶えず、そこから壁や床を叩く音、それらがあの漆黒のドア越しに聞こえてくる、そういうイメージだった。しかし、実際は、そのドアの先には誰もいないのではないかというくらいに静寂に包まれていた。

「まあそうですね、鎮静剤を打たなければならないほど騒がしいことはほとんどありません。正常な状態だといつもこんな感じですね。ただ暴走すると危険、それだけです」

 酒林は、通路の奥を見据えながら、疲れた感じにそう言った。

「ではホールに戻りましょう」

 まるでさっさとここから立ち去りたいと言うような様子だった。酒林は、多少早足になりながら、コツコツとハイヒールを鳴らしながら計十四段の階段を上った。

 どうも、仁兵衛と言います。小説初投稿です。

 この作品は、『精神病』がテーマになっています。この病院に収容されている患者達の症状、また、それを起こすことになった過去を主軸に物語が進んで行きます。

 今回は第一話目でまだ患者は出てきませんが、これから話が進むにつれてだんだんと出ていく予定です。

 患者以外の、それ以外のキャラクターについても注目して読んでいただきたいです。

 また、誤字や文法間違い、表現が分からないという所があればぜひ教えてください。感想をいただければ嬉しいです。

 読んでくださった方、ありがとうございます。第二話はいつ投稿できるかわかりませんが、その時も読んでくださるとありがたいです。

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