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職場恋愛

作者: 青井青

「あの……部長、これ、判子をお願いできますでしょうか」


 スーツ姿の相川達彦が、所属長である米山部長に届け出を差し出した。


 一瞥した咲恵は、それが有給休暇の申請用紙だとわかった。用紙の印字が赤なのですぐ気づく。


「……すいません。実家の父が手術を受けることになりまして……」


 若手の相川は恐縮して有給の理由を説明する。


「いちいち理由は言わないでいいんだ。18日か……みんなにちゃんと伝えて、仕事の調整はしておけよ」


 堅物の米山部長はしかめ面で言った。


「はい、みなさんにお伝えしておきました」


 有休届に部長が押印をするのを見届け、咲恵はディスプレイに視線を戻す。


 (18日か……たしか上尾さんも休みを取っていたわね……)


 部署のグループウェアをチェックすると、三日ほど前、その日に上尾春菜が有給を申請していた。


(あのふたり、やっぱり怪しいわね……)


 肉で潰れた咲恵の目がさらに細められた。


 そこはY市役所で文化行政を担当する部署だった。


 主な仕事は、市内文化財の調査や把握、及び維持管理、他にも銃砲刀剣類登録に関する業務も担当している。


 市役所内には、同じ部署内で男女交際が発覚した場合、どちらかが別の部署に異動になるという暗黙のルールがあった(慣例では女性が飛ばされることが多い)。


 咲恵は42歳。市役所に勤続20年。役職は主任。ようはヒラだが、年齢とキャリアの長さで部署内で一目置かれていた。いわゆる「お局様」である。ちなみに独身。


 咲恵は離れた席にいる上尾春菜に目をやった。


 26歳。可愛らしい顔をしている。どうにも外面がいいというか、男性職員からやたらチヤホヤされるのも気に入らない。


 以前、給湯室で春菜が他の女性の同僚と話をしていた。


「上尾さん、マッチングアプリやりなよ。絶対モテるよ」


「えー、私なんか全然ですよー」


 咲恵はわざと身体をぶつけ、給湯ポッドにお茶を淹れに行った。


(ふん、見てなさい。そのぶりっこ面、今に泣き顔にしてやるわ……ふたりがデキてる証拠を掴んで、別の部署に飛ばしてやるから……)


 以前は若くて美人の女子職員がいれば、いびり倒して辞めさせていたのだが、世間がパワハラに厳しくなり、路線を変更。「恋愛警察」に生き甲斐を見いだしていた。


 咲恵は職場内での男女交際を嗅ぎつけるたび、上司や人事部に報告し、何人もの職員を飛ばし、役所内で恐れられていた。


 咲恵曰く、職場恋愛をしているカップルには特徴がある。


・付き合ってる相手がした仕事のミスをさり気なくカバーする。


・よく仕事やプライベートの相談に乗っている。


・アイコンタクトが多く、心を許すような笑顔を見せる。


・一緒に残業をしている。


・偶然を装うが、出社や退勤の時刻が同じ。


 高度なものになると、服から同じ匂いをさせていたりとか、同じアクセサリーをつけているとか。

 

 咲恵は猟犬のように男女から〝カップルの匂い〟を嗅ぎつけると、証拠を握ってから上司や人事部に密告していた。


(付き合い始めると、職場で親しくなるっていうけど、私から言わせれば逆なのよねえ……)


 顎に手をあて、相川と上尾に視線を向ける。


(逆によそよそしくなる……付き合ってるから、ふだん職場で話す必要はなくなるのよね……)


 監視対象に置いた後は、それとなく同僚の職員から情報収集をはかる。


「相川さんと上尾さんって仲いいのねえ」


「ああ、なんかふたりとも同じゲームが好きらしいですよ」


「へえ、ゲームねえ……」


 最近はゲーム内のチャットで親しくなることもあるらしい。若い世代の恋愛ツールについていくため、常に勉強は欠かせない。


(だけど、いちばんチェックしなきゃいけないのはコレ……)


 咲恵はデスクの上でそっとスマホを見た。


 相川達彦と上尾春菜のSNSアカウントはすでに突き止めている。別人のアカウントを作り、二人をフォローしている。


(SNSチェック……これが最強の監視ツールなのよ)


 ふたりは週末、同じ映画の感想をつぶやいていた。恐らく映画館にデートに行ったのだろう。


 たまに相川達彦が昨日と同じネクタイをして出勤してくることがあった。背後からさりげなく近づき、クンクンと匂いを嗅いだ。


(上尾さんと同じシャンプーの匂い……昨日はお泊まりね……)


 そうやって状況証拠が積み上がると、いよいよ〝着手〟に移る。


「お先に失礼します」


 その日、相川達彦がいつもより早めに職場を出ると、咲恵も後を追うように席を立った。


(上尾さんは少し前に出たから、どこかで待ち合わせをして、ホテルかどちらかの家に行くはず……)


 ふたりのタイムカードを詳しく調べた結果、決まって第二、第四水曜日に、10分遅れで退勤していることを突き止めた。


(退勤時間をズラしたって私の目はだませないわよ……)


 10メートルほど先を歩く相川達彦の背中を追いかける。青年は会社から離れた場所になる公園に入っていた。


 予想通りというか、ベンチに上尾春菜の姿があった。親しい同僚の姿を認め、うれしそうに手を振る。


(ビンゴ! とうとう現場を抑えたわよ……)


 さっそく物陰からスマホで隠し撮りをした。このままホテルや家まで尾行しても良かったが、気づかれては元も子もない。


(この写真だけで十分。グレーならクロと同じ……付き合っているかもしれない、と人事に思わせれば、異動させられるのよ)


 スマホの画像を確認し、咲恵は暗い笑みを浮かべた。


 ◇


 翌日、咲恵は上司である米山部長に「折り入ってお話があります」と声をかけ、二人は面談室に入った。


「それで――話というのは何かな?」


 米山は四十代半ば。既婚で子供が二人いる。古いタイプの役人で、こういった職場内での色恋沙汰をそもそも好まない。


「相川さんと上尾さんが付き合っています。これが証拠です」


 スマホを見せた。そこには公園で密会している二人の姿が写っていた。


「調べたところ、ここ一年の有給休暇の取得日が75%被っています」


 有給を10日取得していたとすれば、7.5日は同じ日だったことになる。


 スマホの画像を見たまま押し黙った上司に、咲恵はダメ押しをする。


「疑わしき者は異動させる、というのが市役所のルールだったはずです。もし、部長にご決断いただけないのであれば、直接、この写真を人事に持ち込みますが……」


「いや、いい。私の方から人事には話しておく」


 咲恵はにんまりとした。


「上尾さんには社会福祉課などどうでしょう? たしか人員が足りなくて補充を探していたはずです」


 生活保護の受給を扱う社会福祉課は、児童虐待を扱う児童相談所、ペットの殺処分を行う動物愛護管理課とならび、役所の〝三大不人気部署〟と言われる。心を病んで退職していく者も多い。


「彼女、人と話すのが好きだと言ってましたから、ケースワーカーなんて向いてると思います」


「……先方の意向もあるが、話はしてみよう」


「くれぐれもよろしくお願いします」


 咲恵は目を細め、悪意に満ちた笑みを押し殺した。


(ふん、ざまあみろ。あのぶりっこ女、ヤクザの家に生活保護の打ち切りを告げに行って、ひどい目に遭えばいいのよ……)


 また一人、部署から気に入らない職員を減らすことができた喜びに、咲恵は暗い満足感を覚えていた。


 一ヶ月後――


 異動の辞令が貼り出された掲示板の前で、咲恵は呆然としていた。


-------------------------------------------------------------------

 辞令


 久保田咲恵殿


 ××年×月×日付けで、社会福祉課への配属を命ずる。


 ××市長 西本幸二

--------------------------------------------------------------------


 そこには上尾春菜ではなく、咲恵が生活保護の受給担当部署に異動という辞令が記されていた。


 ◇


 ホテルのベッドでは、白いバスローブを着た男女がヘッドボードに背中を預けていた。


 スマホを見ている米山部長の肩に上尾春菜がもたれかかる。


「よかった……あのひと、尾行までするんだもの……もう少しで私と部長が付き合ってることがバレるところだったわ」


 スマホに目を落としながら米山が言った。


「そのために相川をカモフラージュにしていたんだろ」


「ですねー。この一年、彼が有給を取得した日に私も取得するようにしたり、苦労しました」


 実は米山も有給を申請していたのだが、咲恵は相川と上尾にばかり目がいき、上司と部下が不倫をしていることには気づけなかった。


「ねえ、部長、今度、私を主任にしてよ。ね、いいでしょ?」


 耳もとで春菜が甘える。


「そうだな、お局もいなくなって主任のポストが一つ空いたからな」


「うれしいっ」


 春菜は上司の首に抱きつき、やがてぱっと身体を離した。ベッドから降り、スリッパに足を通す。


「じゃあ、私、今日はもう帰るね」


 米山がスマホから顔を上げ、着替えを始める部下に目を向ける。


「早いじゃないか」


「あんまり遅いと明日の仕事に響くでしょ。新主任としてがんばっていかないとね」


 ソファに置いてあったバッグを手に部屋を出ていく。ホテルの玄関から外に出るとスマホで電話をかけた。


「あ、相川くん? 私。これから部屋に行ってもいい?……うん、わかった。じゃあ三十分後ぐらいに行くね」


 スマホを切り、満足げな笑みを浮かべる。


 最初は部長との不倫を隠すためのアリバイ作りに相川達彦を使っていたが、彼が大地主の一人息子であることが判明した。


(素直で優しいし、夫にするには最高の相手だったんだよね……)


 そこで途中から本当に相川と付き合うことにした。この三ヶ月ほどは部長と相川のダブルヘッダーが続き、さすがに大変だったが。


 まずはうるさいお局の咲恵を他部署に追いやった。次に邪魔になったのが――


(あの部長……)


 だが、もう手は打ってある。市役所内で米山が手を出している女は自分の他に二人いる。その女たちと部長の関係を咲恵のメアドに匿名で送っておいた。


(あとは復讐に燃えるお局様が、部長を詰めてくれるはず……)


 部長が左遷されれば、恐らくは課長の小宮山が部長のポストに就く。小宮山は大学の後輩である相川をとても可愛がっている。


(相川くんが出世コースに乗るのは確実……)


 なにより面倒なふたりが部署から消えれば、堂々と相川と付き合える。時期を見て彼と結婚し、寿退職をしよう。


(やっぱり恋愛は職場恋愛に限るよね……)


 仕事を通して人柄がよくわかるし、出世するかも見極められる。


 まったく、と春菜は思った。マッチングアプリなんてやる連中の気が知れない。


(完)

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― 新着の感想 ―
[一言] おもしろかったです わたしは社内不倫を複数人としていて人事権を持っている部長の方が怖かったです。 あと、部長にとりいって出世欲もある春菜さんのようなタイプは寿退社なんてしなくて、育休を取ると…
[一言] これは! こわい((( ;゜Д゜)))
[良い点] 女怖い
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