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そうだ、スーパーカブに乗って出かけよう!  作者: だるっぱ
すばらしき日々
9/28

相棒

 発売からどれくらい経ったのだろう。スマートフォンは本当に便利な代物だ。今、書いているこの文章も七割方はこのスマートフォンで書いている。仕事の合間に思いついたことをササっと書く。マンネリ化した日常の中で新しい閃きを感じたときに忘れぬうちに書く。便器に座りながら物思いに耽って書く。ポケットに手を滑り込ませると、いつもそこにあることが、このスマートフォンの強みだ。昔はそうではなかった。書くということはノートに鉛筆だし、たとえノートパソコンであっても大きくて持ち運ぶには不便だった。


 僕が高校を卒業した頃のこと。亀岡にある滑り止めで入学した大学に通い始めた僕は、通学にJRを利用していた。当時住んでいた高槻から京都線を使って京都駅まで行き、次に嵯峨野線に乗り換える。亀岡へは嵐山を越えて向かうのだが、当時は山の中を抜けるトンネルは開通しておらず、今ではトロッコ列車が走っている名勝保津川沿いの崖っぷちをのらりくらりと汽車に運ばれて通学していた。客車の中では、モンペ姿のお婆さんが大きな風呂敷づつみを背負っていたり、山登りの格好をしたグループが駅弁を食べながら談笑していたりして、通学にしては長閑な風景だった。座るのなら進行方向に向かって右側が良くて、保津川の美しい景色を楽しむことができる。車窓を眺めていると、通学しているのか観光しているのか不思議な気持ちになってくる。


 僕は通学の行き帰りの汽車の中で大学ノートを広げる。当時の僕の習慣で毎日日記を書いていた。内容は赤裸々な思いを吐き出すように書いていて、一度書き始めると二頁くらいは小さな字で埋まっていった。そんなノートがまだ二十冊くらい押し入れに残っていて今読み返すと、真面目に悩んでいたんだなーと、若い頃の自分の頭を撫でたくなる。あの頃はまだ頭髪もあった。


 結婚をして長男のダイチが生まれた頃や、フルーツカフェをオープンしてた頃はパソコンに向かってブログを更新していた。僕にとって日記というものは、読者も僕だから何の脈絡もなく自由に書けたけれど、ブログは見えないけれども読者が存在する。誰かに読まれることを前提とする日記を書くということは、革命的な変化でとても刺激的なことだった。誰かに喜んでもらえると僕もとても嬉しい。楽しく読んでもらうために話の段取りを考えることは、まるで中学校の時の文化祭でお化け屋敷の仕掛けを考えた頃と重なって、悪戯心をくすぐった。


 時代は変わっていく。ノートからパソコン。パソコンからスマートフォン。仕事がひと段落した合間に僕はそのスマートフォンを弄っている。今は文章を打っているのではない。スーパーカブの修理にどれくらいの予算が必要なのかスマートフォンで調べているのだ。嫁さんには「修理はそんなに高くないよ」と僕は言ったけれど、実際の相場は全然知らない。太田にお願いをする前に、予備知識を入れておこうと思った。


 スーパーカブのパーツは思いのほか安かった。チェーンは安いもので八百円からある。太田が言っていたギアというのは正式名称はスプロケットというそうで前と後ろの2種類あり、これにチェーンを巻きつけることでエンジンの動力を後輪に伝えることが出来る。このスプロケットにしても、二千円も出せばどちらもお釣りがくる安さだ。交換の方法も動画付きで説明してくれるサイトが沢山ある。基本的な原理は自転車とさほど変わらない。


「自分で直そうかな?」


 そう思ってしまった。これは僕の中のスイッチだ。スーパーカブでカーブを高速で曲がる挑戦もそうだったが、このスイッチが入ると僕はそうせずにはいられなくなる。これまでにも色々なスイッチにお世話になった。田んぼの泥を生成して土器を作ってみたり、その過程で窯に興味がわいて耐火煉瓦を大量に買ってきて焼成窯を作ってみたり。また、書いてしまってはまずいけれど、どぶろく、焼酎、シードル、ワイン等も作ってみた。料理にしてもその派生として、みそ、ぬか漬けなんかも作っている。一番大掛かりだったのが、フルーツカフェのオープンだった。それまでの仕事であったフルーツの知識、焼物の経験、料理の興味を総動員して店のコンセプトを決め、それに合わせるようにイメージBGMを考え、広報としてブログを立ち上げた。ワンオーナーだから当たり前だけど一人で何役もこなし、店の隅々に僕のこだわりを敷き詰めた。特にブログの更新には力を入れていて、当時は食べログの黎明期だったこともあり、店の広報にブログを開設するということが時流に乗った。日々の営業の合間で時間を捻出してブログを更新するのは大変だったけれども、それだけの効果はあった。


 話は戻って、数あるスーパーカブ関連のサイトで特に僕の目を引いたのは、カスタムカブを紹介するサイトだった。モッサリとしたあのスーパーカブが、様々な改造を施されて粋なバイクに生まれ変わっていた。ボディカラーを変更したりシートをタンデムに変更するといった簡単なものから、アメリカンスタイルに改造したスーパーカブ、原型のスーパーカブはどこに行った?と突っ込みを入れたくなるものまで、楽しそうに改造されていた。東南アジアで多くのスーパーカブが利用されていることもあり、ベトナム産のスーパーカブのパーツを中心に日本向けにネット販売を展開しているサイトもあった。


「なんて自由なんだ」


 今のスーパーカブに愛着はあるので無茶な改造はしたくないけれど、可愛がっていなかったことも事実。修理もかねて、ちょこっと手を入れたくなった。


 昼過ぎに仕事が終わると、スーパーカブを停めてある駐輪場に向かった。いつもなら鍵を指してエンジンを掛けてすぐに帰るのだけれど、今まで乗ってきた僕のスーパーカブをじっくりと見てみた。じっくりと見て初めて知った。こんなにも老朽化していたことを。転倒による凹みは随所にみられた。レッグカバーをはじめとするプラスチック系の部品はきめ細かな亀裂が表面に縦横無尽に広がっていた。多分、太陽の紫外線が影響したのだろう。触ると粉になって僕の指に付着した。スーパーカブに特徴的な銀色の細長いマフラーも錆びだらけになっていて、根元の近くに穴が開いていた。後輪のタイヤは何度か交換していたのだが、もうツルツルになっている。太田が言っていた後輪のスプロケットはギアの山が削れて丸くなっていた。チェーンが外れてしまったのはこのスプロケットにも原因があったことを知った。


 ボロボロになっても僕の無茶な運転に付き合ってくれたスーパーカブに、僕は強い愛着を感じた。いや、これは愛情だ。初めは単純に自分で修理をしたいという興味だけだったのだが、これは違う。労ってやりたい。何か、プレゼントをしたい。そんな気持ちが湧いてきた。

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