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そうだ、スーパーカブに乗って出かけよう!  作者: だるっぱ
くだもんやYUKKO
14/28

足掻く

 朝の通勤ラッシュの車を交わしながら、僕のスーパーカブは梅田を通過して御堂筋に入る。この大通りは大阪の北と南を繋ぐ背骨のような大動脈で飛行機が離着陸出来るのではと感じるくらいに幅広い。両側には新旧様々なビルが壁のように並んでいて、もし僕がモーゼなら、これは海が割れた様子かなと想像したりする。この大通りの信号がパッと青に変わると、興奮した無数の鉄の車がさながらヌーの大移動のように一斉に南へ南へと走っていき、僕はその間をヒョロヒョロと揉まれ流されていく。本町の交差点を通過してから少し行くと、僕はその大移動から離れ右に曲がる。先ほどとは打って変わった静かな横道を走り四ツ橋通りを越えると、そこに新町がある。くだもんやYUKKOに到着すると、店の角に黄色くカラーリングされたスーパーカブを格好よく停める。このスーパーカブは店のオープンに合わせて購入したのだが、バイク屋さんでカタログを見たときにこの黄色の配色に一目ぼれした。フルーツカフェに停めたらきっとこの黄色が映えるに違いない、そんな風に感じたのだ。


 鍵を取り出すと、裏口からくだもんやYUKKOに入る。まず、ウエストポーチから釣銭を取り出し、レジに収めていく。仕事に取り掛かる前に、自分の為にコーヒーを用意する。これは僕の日課で、コーヒーを美味しく入れることが出来ると僕のテンションが上がるので重要なイベントだ。淹れたてのコーヒーの香りが、僕の鼻孔を軽やかに撫でていく。良い香りだ。鼻の穴を広げて、更に肺一杯にコーヒーの香りを吸い込む。コーヒーを飲み切ると意を決して、朝の準備に取り掛かる。ご飯を研いで釜に入れる。サラダのレタスを千切っていく。


「おはようござます」


 九時半になり、岩崎君がやってきた。


「おはよう、今日もよろしく。準備が出来たらパインのカットをお願い」


 十一時の開店までに、ランチの準備を終えなければいけない。岩崎君はタイムカードを押すと荷物を置き、腰にエプロンを巻き付けると早速作業を始めた。パインは葉っぱを残したまま縦に八等分に切る。切られたパインは芯を取り除いた後、食べやすいように実だけをカットして、葉の付いたパインの皮を皿代わりにしてパインボートを作る。このパインは、当店の「レディースセット」に添えられる。


 「レディースセット」というのは、当店のフルーツキーマカレーを抹茶茶碗に少量だけ盛り付け、後はパインを始めとするカットフルーツを沢山盛り付けたメニューなのだ。今朝、市場で購入したさちのか苺も、このセットに添えられる。見た目のインパクトが凄くて、テレビの取材で訪れたタレントが「すっごいトロピカル、フルーツの森や」とコメントしてくれたこともあり、当店の一番人気商品になっている。それだけに、パインのカットが品切れになると提供が出来なくなるので、優先的に作業を進めている。


 ランチタイムが始まると、僕が中心に接客を行い、岩崎君は調理を担当する。以前ほどの忙しさはないがこの規模の店を二人で回すのはなかなか大変だ。それでも、忙しいのはランチタイムに限られるので準備を整えて短期決戦で乗り切っていく。忙しいランチタイムも終わりに近づいたとき、一人のお客様が不満そうに僕を見た。


「レディースセットは、八百五十円じゃないの」


「ええ、以前はそうだったんですが、今月から五十円値上げをいたしました」


 お客様は納得できない表情のまま、財布から千円札取り出し、僕はお釣りの百円玉を返した。僕は頭を下げてお礼を言いながら、心の中で「このお客様はもう来られないかもしれない。今までありがとうございました」と呟き、見送った。


 先月、スタッフが全員辞はすめてから、僕は新しいスタートとしていくつかの改革を行った。一つ目が、価格の改定。正直、これまでのくだもんやYUKKOは利益率が非常に低かった。売れ筋の柱であるフルーツキーマカレーを売っても売っても利益が残らないのだ。理由は、原価率の高さにあった。飲食店が利益を出すための目安として原価三割という考え方がある。人気のレディースセットを九百円で提供するのなら原価は三百円までということになる。ところが、このレディースセットは三百円なんかでは全然収まっていなかった。利益が出ないという事は、スタッフに満足に給料が払えない。もし、利益が出ていて、スタッフにもっと給料を払えていたら、全員が辞めるという事態は回避できたのではないか。そんなことを考えたりする。でも、全ては後の祭りだ。場当たり的な対応で今回は値上げを行ったが、この中途半端な対応は返ってお客様の反感を買っていることを感じた。


 二つ目の改革は、営業時間の見直しだ。あの、忙しかった夏休みで、スタッフに休憩時間すら取らせることが出来なかったことを悔いていた。せめて、時間的な余裕があったら。そう考えて、十五時から十七時まで店を締めて休憩時間とした。休憩が終わると十七時から営業を再開して二十一時までを夜カフェとしてアルコールの提供も始めたのだ。アルコールは少し凝ったものにしようと考えて、ベルギービールと生果汁のフルーツカクテルを提供することにした。ところが、この試みも上手くは行かなかった。休憩時間中にもお客様は来られるので、僕が休憩中の旨を伝えると怒って帰らせることになってしまった。


 必要な改革だと感じていたのに、なぜこうも上手く行かないのだろう。つまるところ、これらの改革は僕の都合であり、お客様は知ったこっちゃないということなのだ。


 僕はくだもんやYUKKOを一本の木のように思い描いてみた。芽が出て幹を伸ばし枝を伸ばしたくだもんやYUKKOは、僕が創造した。店のコンセプトだけではなく、デザインも、メニューも、器も、隅々まで僕のこだわりを表現した。そのイメージをスタッフの皆と共有して一緒に支えてきた。でも、支えてくれたのはスタッフたちだけではなかった。来店されるお客様も同じように、くだもんやYUKKOのイメージを共有して支えてくれていたのだ。それは、目に見えない根のように、僕の中にもスタッフの中にもお客様の中にも張り巡らされていて、分かつことができない一つのものとして同化していたのだ。今回の僕の改革は、くだもんやYUKKOという木を根っ子ごと引き抜いて、別の土地に移し替えるようなものだ。無理な移し替えは、悪くすれば枯れてしまうし、上手く行ってもそれは根を張るのに時間が掛かることを理解しなければいけなかった。


 ランチタイムが終わり、お客様が帰られた店内で僕と岩崎君は後片付けを始める。僕は、フキンを手に持って各テーブルを拭いていく。店内に陳列している販売用のフルーツも乱れた箇所を整えておく。岩崎君は食事をされた食器を次々と洗っていき、足らない材料を確認して仕込みを始める。しかし、暇な日というのは徹底して暇なもので、やる事をやってしまうと頬杖を付くことぐらいしかやることがなくなってくる。BGMを変えてみたり岩崎君と談笑していると、お客様が来られた。


 そのお客様は、丸坊主で全身黒一色の出で立ちで、格闘家かもしくは漫画に出てくる刺客を連想させるのだが、実はお花の先生だ。オープン当初からのお馴染みさんだ。


「いらっしゃいませ」


 くだもんやYUKKOがオープンした頃、マンゴーパフェを初めて注文されたのが、このお花の先生だ。全身黒ずくめの男性というだけでも目立つのに、一人で入店されたかと思うと女性のお客様ばかりの中で堂々と席に座り、マンゴーパフェを注文した。


 くだもんやYUKKOのマンゴーパフェは、完熟マンゴーをまるまる一個使うので、パフェの器に全部は入り切らない。入り切らないマンゴーはパフェグラスが縦長のお皿の上に乗っかっているので、その受け皿にお刺身のように並べていた。


 女性スタッフがそのビジュアル重視のマンゴーパフェを持ち、黒装束の男性のところまで運んでいくと、店内の女性客達が目を丸くして、そのパフェを目で追っている。僕もスタッフもお客様も注目する中、その黒装束の男性客は何とも美味そうにマンゴーパフェを平らげると、スタッフを呼んだ。


 その男性客は、店内に陳列されているフルーツは買い物が出来るのかと問いかけた。女性スタッフは僕に視線を送ったので、僕が対応することにした。


「ありがとうございます。これらのフルーツもご購入頂けますよ」


 すると、その男性客は次々とフルーツを手に取っていく。マンゴー、桃、ゴールドキウイ、ハウスみかん。


「同じ物を三つ作って袋に入れてくれるか。全部でなんぼになる」


 そのお客様は、それから定期的に来店されるようになった。しかも、いつも全身黒で統一していて、来店するときは必ず美しい女性を伴っている。しかも、いつも違う人。くだもんやYUKKOの中では、長く謎の人物だった。金払いが良くて、とっかえひっかえ女性を連れてくる。悪い想像だけが膨らんでいくのだが、ある時、謎が解けた。


「マスター、あのお客さんテレビに出ていましたよ」


 女性スタッフの話を聞くと、深夜の対談番組で出演していたそうだ。有名な番組の設営で花を生けたり、アメリカ大使館で花を生けたりしているとの事で、連れてくる女性もスタッフ達だった。


「マスター、美味しい林檎が食べたい。カットして持ってきて」


 そのお客様は、フルーツだけを食べられる。くだもんやYUKKOのメニューには見向きもしないで、旬の美味しいフルーツをとても美味しそうに食べる。最も僕が理想とするお客様だ。糖度が高い特別なサンふじをカットしただけでお持ちすると、ふと気づいたように僕に問いかける。


「いつもの娘さんは、今日は居ないの」


 水沢さんのことだ。


「ええ、先月で辞めることになったんです」


「そうか、残念やな。ええ娘やったのに」


 そう言ったきり話が途切れたので、僕はカウンターに戻った。お客様も、お連れの女性客と何やら楽しげに話を始めた。


 強い焦燥感を感じる。その上で、ここからまた立ち上がらなければいけないと自分に言い聞かせる。今の決断で良かったのかまだ分からない。でも、信じるしかないのだ。

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