個人授業 in 図書室
金曜日、理科室へ移動する途中、後ろから服を引っ張られた。
振り向くと、そこには、まや先輩が立っていた。一緒にいた友達は、突然現れたまや先輩に驚きながらも、口々にこんにちはと挨拶する。
「恵太くん、ちょっといい?」
まや先輩に言われ、恵太が頷くと、先輩は恵太を廊下の隅まで引っ張っていく。
「あの、恵太くん、今日、また一緒に帰れない?」
水曜日、恵太の話ばかり聞いてしまって、肝心のことが聞けなかったのだろう。
もちろん、恵太は、了承の意味を込めて頷いた。
「いいの?」
まな先輩の顔がパッと明るくなる。
「あ、でも、生徒会の用事が少しあって。あまり待たせないから、図書室で待っててもらってもいい?」
恵太がまた頷くと、まや先輩は嬉しそうに携帯を取り出した。
「連絡先教えて?遅くなりそうなら連絡するから」
侑斗目当ての女子に、これまでも連絡先を聞かれたことはあったが、一度も連絡なんて来たことがない。
おそらく、これは社交辞令で、たとえ教えても、連絡先は一度も使われることはないはずだ。
恵太は、軽い気持ちで連絡先を教えた。
放課後、図書室で宿題をしていると、まや先輩から連絡がきた。
-ごめんね。すぐ行きます。
可愛いスタンプが押されている。恵太は、OKとだけ返した。
図書室の扉が開いて、まや先輩が息を切らして入ってくる。きょろきょろとあたりを見回し、恵太を見つけると、足早にこちらにやって来た。
まや先輩は、耳元で静かに、『ゴメンね、待たせちゃって』というと、隣にストンと座った。
「なにやってるの?数学?」
まや先輩は、恵太のノートを覗きながら、思いっきり体を寄せてくる。
腕に胸が当たるぐらい近寄られて、恵太はちょっと腕を引いた。いくら妹が二人いて、女子に慣れているとはいえ、こうもあからさまに当たるとさすがに困る。
「わからないところある?」
そういうと、まや先輩は、今度は恵太の腕に触れた。
恵太はさりげなく椅子を空いた方へ寄せる。まや先輩も、恵太の方へ椅子を寄せた。
誰にでも距離が近いタイプの人は一定数存在する。
おそらくこの人は無意識にやってるに違いない。
まや先輩は、顔だけじゃなく頭もいいらしく、教え方が上手かった。理系の恵太が聞いても、わかりやすい説明だったので、思わずまや先輩のペースで数学を教わってしまう。
下校時刻の鐘がなった。
日が暮れかかって、少し肌寒くなり始めている。
「もう帰らなくちゃね」
まや先輩が微笑みながら言った。
「すみません。すっかり教えてもらっちゃって。でも、何か話したいことがあったんですよね?」
今日も侑斗の話ができなくて、恵太はまや先輩に申し訳なく思った。
「いいの、いいの。恵太くんの役に立てたんならそれで」
まや先輩が、席を立つ。恵太もそれに続く。
「さ、帰ろ?」
帰り道、またもや裏門から出て、とりとめもない話をしながら歩いた。
結局最後まで、侑斗の話は、一つも出なかった。