佐田歩の2月14日 ②
「歩、それとって」
リビングに入ると、ソファに寝転んでテレビを見ていた一番上の兄が、足先でポテチの袋を取るよう促した。朝から着たままのスウェットに手を突っ込んで、股の辺りをガサガサと掻いている。歩がポテチを寄せてやると、兄はスウェットから手を出してバリバリとポテチを食べ、袋を逆さまにして残りかすを飲み込んだ。
「アイス買ってきてくれた?」
歩の帰宅を嗅ぎつけてリビングに顔を見せたのは次兄。コンビニの袋を無造作に差し出すと、引き換えに一番大きな硬貨を一枚、歩の手に乗せる。
この兄は歩の携帯にGPSでも仕込んでるんじゃないかと疑いたくなるぐらい、ドンピシャで買い物の指令を出してくる。いつも余分にお金を払ってくれる気前の良さはあるが、毎度、人をパシリにする要領の良さは不気味でもある。
ブーっと音がして、リビングにいる全員が嫌な顔をして鼻をつまんだ。
デカくて分厚い体の、餃子耳の男がスポーツドリンクのペットボトルを片手に後ろを通る。大学の部活帰りの三番目の兄は、かすかに雑巾の匂いを漂わせている。小さい頃、そのまんまを口に出したら、いつも無口で優しい兄が目尻に涙をじませて、さらに喋らなくなった。それ以来、さすがの歩もこの兄に対しては言葉を選んでいる。
「ねーちゃん、俺、バレンタインもらえると思う?」
一人だけ年の離れた小学二年の弟は、最近毎日この台詞を言う。他にくれる女子はいないのか? と思うが、弟の顔をまじまじと見て、頭をグシャリと撫で、答えを濁す。
歩の家は、男四人、女一人の五人きょうだい。両親はいわゆる美女と野獣カップルで、歩と二番目の兄は母親似、三番目の兄と五番目の弟は父親似、長兄は両親のハイブリッドといった構成だ。
スーパーで買った普通のチョコをばら撒くだけとはいえ、父親に加えて四人の男兄弟がいる歩には、バレンタインはかなりめんどくさい。歩にとってのバレンタインとは、好きな人にチョコをあげるとか、そんなロマンチックなイベントとは程遠い。
***
2月14日は、あっという間にやって来た。
学校帰り、駅前のスーパーに立ち寄って、兄たちの餌付けに必要な分のチョコを買う。
成長期の彼らを近くで見て育った妹としては、質より量が正義だと思う。特別なのは、彼女から貰えばいい。
慣れた手つきで、豪快にチョコをカゴに放り込む。
甘いの、苦いの、イチゴ味。板チョコ、箱チョコ、袋チョコ。
それぞれの兄の好みに合ったチョコでカゴが満たされていく。
歩の期待を裏切って、股の間に突起物をぶら下げて生まれて来た弟には、チョコの少なめのキャラものを売り切れ前に買っておいた。四月には小三になろうというのに、歯磨きすらおぼつかない弟だ。チョコを与えすぎれば、虫歯になるのは目に見えている。
全員のチョコが揃ったのを確認して、自分用に十円チョコの詰め合わせの箱を買う。
バレンタインの翌日に兄弟と一緒にコタツに入って、自分もこのチョコを食べる。歩の毎年の楽しみだ。
会計し終わった後の買い物袋はなかなかにパンパンで、量が量だけにずしりと重い。帰宅を急ぐ人波に乗り、家の方へと歩き出す。重い袋を持ち替えると、手首にはくっきりと紐のあと。数分おきに袋を持ち替えて歩く。
ふと隣に人影を感じると、スッと手元が軽くなった。
「重そうだな」
歩の買い物袋をぶら下げて隣に立ったのは、ひょろりと背の高いメガネの男。
「山田……。あんた、またでかくなった?」
クリスマスに集まった時よりも、山田はさらにデカくなっていた。デカいと言っても、縦にだけひょろりと伸びて、体は薄っぺらいままだけど。
山田は、細い目をさらに細めてニヤリと笑った。
「おー。伸びてるぞ。もう伸びなくても良いんだけどな」
「今、何センチ?」
「この前測った時は178。でもまだ伸びてる」
「もったいない。バレーとかバスケでもやれば?」
「逆上がりもできない俺に、身長以外に適正があるとでも?」
世の中には文武両道のガリ勉もいるが、山田は潔いぐらい文しかできないガリ勉だった。歩の記憶では、逆上がりができないだけじゃなくて、水に浮くことさえできないはずだ。
クラスのみんなが逆上がりを次々と成功させ、意地悪な同級生にからかわれても、逆上がりができないぐらい、長い人生には些細なことだと泰然と言い放った、チビだった山田。
水泳の時間に、クラスで浮けないのは一人だったのに、全く周囲を気にすることもなく六年までカナヅチで通した山田。
マイペースすぎるといえばそれまでだが、己にできないことを受け入れて、人と比較しないというのは簡単にできることじゃないと、高校生になった歩にはようやくわかる。
もしかすると、山田は頭がいいだけじゃなくて、本当に賢いのかもしれない。
「袋、重いな」
歩がぼんやり考えていると、山田が袋を持ち上げた。
「何入ってんだ?」
「季節のもの」
答えると、山田の顔には大きなはてなマーク。おそらく今日がバレンタインだということもわかってないはずだ。
山田が袋を覗き込む。
「何これ、めっちゃチョコじゃん」
「世間はバレンタインだっての」
「おお、そうか。それで朝、親がくれたんだ」
「お母さんからもらったのに気づかないなんて、やっぱりあんたは山田だわ」
山田は袋の中身をゴソゴソとまさぐる。
「すごい量だな。自分で食うの?」
「なわけあるか! うちには男兄弟が四人もいるんだよ!」
「そうだった。お前ん家、キャラの濃い兄さんたち居たな。弟、大きくなった?」
「次、小三だよ」
「へー。で、これは誰の?」
そう言って、山田が取り出したのは、歩用の十円チョコだ。
「それは私の。いろんな味食べるの楽しみで毎年買ってる」
山田の細い目が、メガネの奥で光る。
「これ、もらって良い?」
「はぁ? あんた、何言ってんの? それは私の年に一度の楽しみなんだよ。返せ!」
十円チョコの箱を歩にとられないように、山田は細い手を真上に伸ばした。歩がぴょんぴょん飛び跳ねても、上に掲げられたチョコの箱には全く届きそうにない。
「山田、返せ!」
「もうこれは俺のもんだ」
「違う! 私のだ!」
今年限定のフレーバーも入ってる。そう簡単に譲ってたまるか。
歩はだんだんと意地になってくる。ぴょんぴょんと飛び跳ね、どう考えても届きそうにない山田の腕のてっぺんを目指す。山田は面白がって、笑いながら公園の中に逃げ込んだ。
「待て、山田!」
必死で追いかけ、山田を捕まえ、肩に手をかけて体をよじ登るようにジャンプした。
歩の動きについていけない山田がバランスを崩して、二人一緒に地面に倒れ込む。
十円チョコの箱が、頭上2メートルほど先に、どさりと落ちた。




