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佐田歩の2月14日 ①

 二月の初め。

 佐田(さた)(あゆむ)は、駅直結のデパートの入り口で偶然会ったまや先輩こと、真中亜矢に連れられて、バレンタイン特設コーナーの人混みにいた。


 亜矢は歩を連れて、チョコレート売り場を転々と移動していく。何度も同じチョコを見て、悩みに悩んでいる。亜矢のチョコ選びは、なかなか終わりそうにない。


 亜矢の彼氏かつ、歩の友達の川上恵太に、高級チョコの味の違いがわかるとも思えない。あの男にはその辺で買ったチョコを何個か与えておけば十分だ。

 まや先輩のような人が、こんな人いきれの中で、一時間近くもあいつにあげるチョコを選ぶのは全くもって時間の無駄だ。


 チョコ選びに付き合ってくれたらお茶を奢ると拝まれて、ここまで付き合ってはみたものの、喉が渇いて小腹が空いてきた。

 売り場はたくさんの女性客で前進するのも一苦労。

 しかも、人が多いせいで、暑いことこの上ない。


「まや先輩、暑くないですか?」


 歩が聞くと、次のチョコ売り場を目指して人混みの中を進んでいた亜矢が振り返る。


「え? 暑い? そうかな? 佐田、顔が真っ赤だよ。私、もう少し見たいから、ベンチに座って待っててよ」


 これ幸いと亜矢と別れ、歩は階段近くのベンチに腰掛けた。

 人混みから離れたベンチは嘘のように涼しい。

 視線の先には、世界中から集まったきらびやかなチョコとそれに群がる女性客。


 ……何を原動力にしたら、この人混みに耐えられるんだ。


 つい、冷めた目で見てしまう。考えてもわかりそうにない。歩は携帯に目を落とした。



「佐田、お待たせ」


 携帯をいじること十五分、高級そうな紙袋をぶら下げて頬を上気させた亜矢がやってきた。


「どこいこっか?」


「クリームたっぷりのフラペチーノが飲みたいです」


 遠慮せず主張すると、亜矢は笑って肯定する。

 休日のお茶時の店内は混雑していて、座るのも一苦労だ。それでもなんとか席を確保して、やっと一休みする。


「付き合ってくれてありがとうね。ひとりだったら、もっと迷ってたかも」


 確かに、まや先輩一人なら夕方まで売り場にいたかもしれない。チョコ選びは戦力外だったけど、抑止力という点では、このフラペチーノを奢ってもらうぐらいには、役だったと思う。


 フラペチーノを吸いながら、なんとなく視線を下げると、亜矢のフラペチーノに添えられた綺麗な指が目に入る。


 ……この人、本当に綺麗だな。


 視線を上げ、改めて亜矢を見る。その先輩はと言うと、さっきから、


「恵太君、喜んでくれるかな?」


 なんて照れながら、少しずつフラペチーノをすすっている。

 やっぱりあっちにしておいた方がよかったか、いや、これでよかったんだと、ぶつぶつ言うのを聞いていると、なんで川上なんだろうという疑問がふつふつと湧いてくる。


 この件については、部活のみんなとも意見を出し合ったけど、誰も納得する答えを導けてない。


『なんであの男?』


 歩を含めた弓道部のみんなは、ずっとそう思っている。




「まや先輩、ちょっと聞いてもいいですか?」


 歩がいうと、亜矢は、ん? と言ってサラサラの髪を耳にかけ、上目遣いに歩を見る。

 こりゃ、男は一発で撃沈するわと思いながら、遠慮がちに例の疑問を口に出す。


「ずっと、気になってたんですけど……。なんで川上なんですか? 確かに、あいつ、いいやつだけど、まや先輩なら、もっといい人いるだろうって、思うんですよね……」


 亜矢は一瞬呆気にとられたような顔をして、それから面白そうに笑い出す。


「さぁ? なんでだろ?」


 それが分からないから聞いてるのだ。まや先輩はすごい美人なのに、ちょっと天然なところがあって、どこか憎めない。


「いや、わかりません。わからないから、聞いてるんですよ」


 正直に言うと、亜矢はまた面白そうに笑う。


「私も分からないんだよ。分からないけど、恵太君じゃなきゃ、だめ」


 こんな美人に、あなたじゃなきゃダメとか思われてるなんて、川上は知ってるんだろうか。あいつ、ちょっとぼんやりしたところがあるから、わかってないかもしれない。


「わかんないって……?」


「うまくね、言えないんだけど。理屈じゃないんだ。……私の場合は」


 思わず変な顔をした歩に、綺麗な眼差しを向けて亜矢は続ける。


「佐田の言う通りね、他にもいろんな人が告白してくれたけど……。中には、恵太君よりかっこいい人もいたし、すごい人もいたと思う」


 フラペチーノを握る亜矢の指先に、少し力が入って、容器が軽くへっこんだ。


「四月にね。弓道場で恵太君を見つけた時ね、私の中に衝撃が走ったの。衝撃が走るって、ものの例えだと思ってたんだけど、本当に、衝撃が走ったの。見つけた、今度こそ絶対逃しちゃダメだって思ったの」


 絶対逃しちゃダメだって、ハンターみたいで怖い。

 だけど、フラペチーノのカップがさっきよりもさらにへっこんでいるのに気付いて、歩は亜矢の手にそっと触れた。思いの外、力が入っていたことに気づいた亜矢は、慌ててカップから手を離す。

 カップがべコンと音を立てて元の形に戻った。

 音は、結構大きかった。


「佐田にもあるかもしれないよ? あ、この人だって思う瞬間が。その時は、死んでも食らいつかないとね」


 さっきから、絶対逃しちゃいけないとか、死んでも食らいつくとか、穏やかじゃない。


 だけど自分には、そんな日はこない。


 歩には、そう思うだけの立派な理由があるのだ。

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