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 タコ

作者: 藤村綾

 ずっとずっと前から、日間賀島に行きたいね、と、いう話はたまにふいに出ていた。

 出ていたけれど、出るだけでこの時期は寒いからぁ〜、とかあるいは、つりの時期じゃねーし、などと難くせをいくつもつけてうやむやになっていた。

「寒いしねぇ〜」そうなおちゃんにいうもそれはきっと自分にもいい聞かせていたのだと思う。


「さて、行くか」

 土曜日。

 朝なおちゃんは相変わらず早く起きて会社に行った。

 いつものことだからどうせ帰ってくるのは夕方になるだろうと思っていてあたしは9時くらいにうろっと幽霊のよう起きて、裸だったので毛玉のカーディガンを羽織って ー部屋には暖房がともしてあるから寒くはないー 前の日の洗い物を済ませて洗濯機を回し洗濯がし終わるまで布団の中で待機をしていた。

 待機のつもりがうとうとと軽く睡魔に引き寄せられたとき、その声があたしの上から降ってきた。

「どこに」

 ねぼけまなこでなおちゃんを見上げる。洗濯は果たして終わっているのだろか。ブザーの音は耳に入ってきてはいない。

 行くかって、どこに?

「日間賀島だよ」

「えっ」

 つい、甲高い声が出たけれど、「また、ご冗談を」と、いいかえした。

「だって」なおちゃんはつぶやく。「行きたいっていってたっしょ?」と、つづける。

「でも、」あたしはおどろいて起きれずにいたら、早く支度、支度、と、急かすので、うん、とうなずいてから布団から這い出した。

 洗濯はすっかり終わっていてなおちゃんがサササッと干した。干し方はあたしのほうが上手いけれど干すのはなおちゃんの方が早い。


「来週も再来週も忙しいから」

 車に乗り走らせ高速に入ったあたりで口を開く。なおちゃんの支度は早い。着たきり雀だ、と自分で公言しているほど同じ洋服しかきない。作業着を脱いだらもう出かけれる服装になっている。作業ズボンを脱いでジーンズに着替えたら終わり。持ち物は財布、携帯、タバコ、ライターだけ。その点、おんなは誰であろうが荷物が多いしお化粧もしないといけないしそうそう簡単に出かけることがむつかしい。

「ふーちゃんはさ化粧しないの」

 いや、いちおうしているんだよ、これでもね。なおちゃんは、あたしの顔にまなざしを向けると度々思い出したように口にする。

 あたしは、あ、うん、なんとうなくお化粧をしているといえなくて肩をすくめてみせる。

 お化粧といってもお粉をはたいて、色のないグロスを塗って終わり。そんな程度。濃いお化粧は好まない。もしあたしが超濃いめのメイクをしたらなおちゃんは驚くだろうか。わ、まるで福笑いのお面みたいだ、と、笑うだろうか。

 高速道路はとても空いていた。雲ひとつない蒼い空はそれこそ水色の塗装でペンキ職人さんが上手に塗ったような嘘くさい色をしている。

 冬は乾燥しているけれど、晴れた日は空が澄んでいて気持ちが良い。

「あのさ、日帰りだよね」

 一応訊いてみる。当日に泊まれる宿があるとは思えない。なにせ思いつきで行っているのだし。

「……、んー、どうしようか」

 やや考えたのち返ってきた言葉の語尾をあたしに預ける形になっている。なのでこたえた。

「着いたら考えるってことで」

「うん、そうだね」

 軽快に進む車はあっという間に高速船の入り口に辿り着いた。

 トイレに行きたかったので駐車場の前で降ろしてもらい、高速船乗り場に先に行くことにした。

「車停めたら中きてね」

 なおちゃんは顎をひく。「迷子にならないでね」子どもにいうような口調でつけたした。

「もう、子どもじゃないもん」

 頬を膨らませる。なおちゃんはふふふと含み笑いを浮かべた。なおちゃんの前だといつも子どもになる。子どもにさせるのだろう。きっと。いや、まだあたしは子どもなのだろうか。わからない。

 高速船乗り場でトイレを済ませ、先に船の切符を買っておくことにした。

 往復でも安いし近い。師崎から日間賀島までたったの七分で着いてしまう。

 ふと、切符売り場の横に『日間賀島・篠島宿案内所』と書いてある窓口があった。

 訊いてみるか。あたしはまず空いてないだろうと分かっていたけれどとりあえず空き宿がないか訊いてみた。せっかくここまで来たのだ。一泊したい。

「あのぅ」

 窓口にいた案内のおじさんにかくかくしかじかと訳を話して訊いてみる。おじさんは丁寧にかつ迅速に電話をしまくる。

 何軒かお問い合わせの電話をしたあと、あたしの方に顔を向け今にも泣きそうな顔をして首を頼りなく横に振る。

「じゃあ、」と、おじさんに声をかけて一旦言葉を切り「あと、二軒だけかけてください」と、ささやかなお願いをした。

 おじさんはニンマリとしながらオッケーマークを手でつくって笑顔を向けた。

 なんて親切なのだろう。ここに来て人温かさ触れる。

「どした?」

 背後から声がしてなおちゃんが立っていた。背が高いので見上げる形でなおちゃんに向き直る。

「今ねいちおう、」

「あ、今、宿取れました!」

 おじさんの声とあたしの声がうまく重なる。あたしは、弱々しい声音だったのにおじさんの一声で急に病気が治ったような声になって

「宿空いてたよ!」

 なおちゃんの無骨な指を握って蔓延の笑みを浮かべた。そっか、なおちゃんも喜んで、そして、じゃあ、ビール買ってくるぅ、と、ルンルンな足取りで売店に向かった。

「もう運転しないでいいからさ」本当に嬉しそうな顔をして。そうづづけた。

 高速船はさほど揺れなかったけれどいつまでもシツコイほどめまいのような感覚が抜けなかった。

「めまいしない?」

「いいや。なんで? 酔った?」

 酔い? なおちゃんは既に酒に酔っている。

 あはは、あたしは笑った。メニエール病のけがあるのでたまに不明瞭なめまいにみまわれることがある。

 例えばうれしいときとか寝不足なときとか。おこないの最中のときとか。

 

 日間賀島に降臨したときはまだ午後の二時だった。

「どうする?」

 チエックインまでまだ一時間もある。

「体調大丈夫?」

 あまりかんばしくなかったけれど、なんとか、と、嘘くさい笑顔のお面をかぶって元気なふりをした。

 日間賀島は島を一周しても二時間で帰って来れる距離だ。

「歩くか」

「うん」

 いい天気だ。潮の匂いが冷たい風に乗ってあたしとなおちゃんの間をすり抜ける。あたしはなおちゃんの袖を掴む。そうして一歩一歩歩き出した。

 タコ・ふぐの看板が目につく。

「タコとふぐだよ」

「そうだね」

 久しぶりに青空の下歩いている。足がおもたくなっている。運動不足をあらためて痛感した。少しあるくと休み、お茶を飲み、野良猫に声をかけ寄り道ばっかりしていたらまだ島の半分も来ていないのに一時間も経っていた。

「ほら、押してあげるから」

 疲れたよ。あたしはまるでおばあさんのように腰をかがめて泣きそうになっていた。

 そうゆうなおちゃんもおじいさんのような顔になっている。

「結構さ、距離あるなぁ」

「ねぇ〜」

「イカせんべい食べる」

「うん」

 たくさんの漁船を尻目にしてあたしたちは死にものぐるいで島を一周した。

「漁船の街だね。バイクの人が多いね。ノーヘルだしね」

 島の感想をいいあうあたしとなおちゃんは揃ってなんとかとれた宿へとチエックインをした。

 いつもと違う部屋にいるだけで一気との距離がなんとうなく縮まった気がしないでもない。部屋は八畳くらいの普通の簡素な部屋だった。

「お茶でも淹れる」

 机の上に湯のみ茶わんと急須が置かれている。なぜか宿に来るとお茶を淹れないとならないような気がする。

「いらない」

 缶ビールのプルトップを引いたのと同時にこたえが返ってきた。

「そうね。ビール飲んでるしね」

 多分三本目だろう缶ビールを煽るなおちゃんをみつめてから急須にポットの湯を注いだ。急須にはあたかじめティーパックのお茶がしこまれている。

 湯のみにお茶を注ぐ。濃い緑の色をした液体は湯気をもんもんと立ち上げてのぼってゆく。

 湯のみを持ってなおちゃんの隣に越をおろした。

 無駄に大きなテーブルに並んで座る。なおちゃんは、え、なんでいちいちこんなに広いのに隣に来るんだろう? そんなきょとんをしている。

「あのね、なおちゃん」

 テレビのリモコンを手にしたなおちゃんは、あたしの声に一瞬身体をこわばらす。あらたまった声を出すとなおちゃんはたまに驚く。ピクッと身体をふるわす。返事もないままテレビがともされた。わははは、キャー、なにかのバラエティー番組だろうか。あたしはつづける。

「たのしい?」

 そんなことを訊きたかった訳ではなかった。うまくいえないけれどあたしとなおちゃんには変な壁がある。なおちゃんにいつも引っ付きたいと思うしけれどうざったいと思われるのはもっと辛いし。ときおりどうしていいのかわからなくなる。

「うん。先にお風呂入ってこれば?」

「そうね」

 立ち上がろうとしたけれどあたしはなおちゃんの腕に絡みついた。

「どうしたの?」

 どうもしないよ、という声は心の中でつぶやいた。荒れて無骨な手でいつか殺されてもいい。なおちゃんはまだ巻き付いているあたしをはがそうとはしない。


 夕食は宿から数分の所にある居酒屋に行った。夕食なしプランにしたのは酒を飲みに行くためだ。

 たくさん食べてたくさん飲んだ。店は貸し切り状態になっていたけれど、なおちゃんはあまり騒がしい場所を好まないのでちょうどよかった。

 帰ったら布団が敷いてあり、ぎょっとした。

 いつも一緒に眠っているので離れている布団をできるだけくっつける。

「酔ってるけれど風呂行ってくる」

 寝ちゃいそうだから、と、眠そうな顔をしてお風呂に入りに行った。

 

 せっかく二組敷いてある布団でもあたしはなおちゃんの隣におさまる。なおちゃんはなにもいわないけれどなにもしてこようともしない。なにかしてほしいとかそうゆうことではない。ただ一緒にいたい。くっついていたい。あたしどうしちゃったんだろう。なおちゃんがあまりにも心の内をあかさないのでいつもいつでも愛に餓えている。なおちゃんを食べてしまえばあるいは一緒に死ねば餓えは解消をされるのだろうか。あまりにも依存しきってしまい以前なおちゃんと出会う前のあたしはどんなだったのか全く思い出せない。もっとタラのようにあっさりとしていた気がする。けれど今が大トロだ。くどくなっている。

 背中を向けているなおちゃんの背中に腕をまわし手を握る。

 なおちゃんは眠っていても絶対にその荒れた無骨な手で握り返す。うん、わかってるから……、手のひらからそのようなぬくもりが伝わってはくる。

「なおちゃん、前むいて、よ」

 心もとない声は多分彼には届いてはいない。なおちゃんの肩が息を吸い込むたびに上下に揺れ薄いお腹がぺこぺことへこむ。

「このまま、明日なんてこなきゃいい」

 けれど絶対に明日はおとづれるし、朝ご飯はおひつに入った白飯で泊まると朝メシがうめーんだよなぁ、とかいってたくさん食べるに決まっている。

 納豆とか卵焼きとかみそ汁とか、多分、名物のタコが卓に上るだろうとか考えているうちに瞼がひどく重たくなってきた。

 静寂な夜。

 田舎なので空には無数のまばゆい星が降り注いでいる。お昼に見た野良猫どうしてるかな。

 わからない。

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