Misty Forest-10
* * * * * * * * *
3度目の大森林突入から5日が経った。
シーク達は今、大森林を横断する山脈を縦断している所だ。遅れを取り戻そうと、彼らは毎日毎日、朝から晩まで歩き続けていた。かなり疲労の色が滲んでいる。
「ねえ、今日はお風呂の日にしようよ、お風呂入りたい! もう体中が汗と埃でベタベタ!」
「そうだな、革の部位もちょっと臭うんだよな……生乾きみたいな」
全員で動き回るのは効率が悪い。そこで一行は二手に分かれた。
ゴウン、カイトスター、レイダーの3人は山脈沿いとその周辺を探索する。残りのシーク組は山脈を縦断して南下、シュトレイ山脈まで行く計画だ。
付近は岩石の質が植生に合わないのか、登山道を歩き始めるとすぐに木々が姿を消す。硬い石がゴロゴロと辺りに転がって、雑草程度しか生えていない。
「お風呂って言われたら、必然的に俺がアクア唱えて準備する事になるんだけど……でも、確かに2日置きだと疲れがたまるね」
「どこかいい場所ないかな!」
「……聞いてる?」
大森林では木々の青臭さや、葉や樹液が腐ったカビにも似た臭いが鼻にまとわり付いていた。今は砂埃の乾燥した臭いが全身に張り付いている。
ビアンカは元々不衛生な状態が得意ではない。風呂に入りたいと言い出すのは時間の問題だった。
「全然モンスターに遭遇しないから、僕は全然疲れないよ。ああ疲れたい。僕も疲れたいな」
「疲れたいなら今日の晩御飯のシカ肉を切る時は宜しく頼むよ、バルドル。これは君にしか出来ない事なんだ。切り口の状態まで教えてくれるし、何より食材専門の包丁も降参する程の切れ味!」
「ん~、褒められているはずなのに、どうして僕は嬉しくないんだろう」
「君が難しく考えすぎなんだよ。それにしても本当に疲れたな。結構順調に歩いたつもりだけど、テディさんが言った1日なんて距離ではなかったですね」
「そうね、身を隠しながらもかなり走っていたはずよ」
「咆哮が聞こえたのはこの山脈で間違いねえよな。弱いモンスターが一斉に逃げ出すって、一体どんなモンスターだ」
シーク組に山越えコースを推したのはバルドルだった。見通しが良く、戦う条件は森よりも格段に良い。それに強弱様々なモンスターが山を下りた今なら、咆哮の主にさえ遭遇しなければ危険性も低い。
「アークドラゴンの手先のモンスターのどれかだったりして。その、シュトレイ山のヒュドラみたいな」
「やめてよビアンカ。そうだったらお風呂どころの話じゃないよ」
最悪の事態を想定し、一番に心配するのが風呂の事でいいのか。シーク達の会話が予想外の展開に向かう度にリディカが笑い、危険なはずの山越えはなんとも長閑に進められていく。
予定ではエバンの町へ戻るのは1ヶ月後。約3週間後には洞窟を見つけても見つけなくても、再び山脈北側の登山口に集合しなければならない。
「300年も経って、言い伝えの域になったレインボーストーンが採れる洞窟、か。そんなに簡単に見つかるとは思っていなかったけど……」
「ん? 誰? どうかしたの?」
「え? ビアンカ、誰かいた?」
「今、誰か何か言った? うう~って。てっきり足でも挫いたのかと」
「は? ……みんな無事みたいだけど」
ビアンカがふと誰かの声に反応した。しかし該当者はいない。右手には見上げたら首が痛くなるほどの絶壁、左手にはなだらかに下る小さな瓦礫の斜面が広がる。前も後ろも誰かが身を隠せるような場所はない。
「……あ、聞こえる、ビアンカ、この音じゃない?」
今度はシークがここまでで聞いたことのない音を拾った。シークは田舎育ちで目も耳もいい。吹き抜ける風の音ではなく、その風に何かの音が乗っている。それは地鳴りのようでもあり、動物が威嚇する際の唸りのようにも聞こえた。
「そう、これよ。まさかこの先に強いモンスターがいたりしない……よね」
「シュトレイ大森林にいるモンスターは、ウォートレントが一番強いはずよ。ビッグキャットの声とはちょっと違うわね、これが……モンスターが全く現れない原因かしら」
リディカは周囲を警戒しつつ、全員に念のため防御魔法を掛ける。
「ってことは、遠くにシルバー以上の強敵がいるってことですか」
「だとしたら私も初めて見るモンスターかもしれない。用心して進みましょう、場合によっては登山道を少し離れた方がいいかもしれないわね」
4魔のうちの1体が、もしかしたらこの近くに本当にいるかもしれない。シーク達の歩幅は狭くなっていく。
音もしくは声のようなものは、その後も何度か聞こえた。しかし幸いにもモンスターには遭遇しなかった。
休憩をはさみながら数時間歩き続け、ようやく斜面に大きな岩がゴロゴロと転がって身を隠しやすい場所に出た。だんだんと陽が沈んでいく付近の崖を見つめながら、リディカがこの場所で1晩休むことを提案した。
人間の背丈程もある岩があちこちにあれば、万が一強敵が現れたとしてもやり過ごす事が出来る。3方を囲むように岩が並んだ場所を見つけ、4人は深いため息と共に荷物を置いた。
真上からは丸見えだが、人間よりも大きな魔物は入り込めそうにない。
「じゃあ、お風呂作ってあげるからちょっと待ってて」
「やった! お風呂!」
「すぐ上がってよ、今日はゴウンさん達もいないんだから見張りも十分じゃないし」
「分かってる!」
シークは付近の岩を調べ、上が窪んでいるものを探す。もしあれば、まずそこにアクアを唱えて水を張る。次にファイアで焼石を準備して、転がし入れたら即席露天風呂の出来上がりだ。
シークが数分探しまわるうちに、やや浅い窪みがある巨石を見つけた。一応の目隠しのためか、シークとゼスタが上下に分かれて岩を乗せ周囲に積んでいく。そうして30分もしないうちに露天風呂が出来上がった。
「アクア!」
シークがアクアを唱えると、岩の窪みにみるみる水が溜まっていく。座って足を伸ばしたら肩が出てしまうくらいの深さだが……贅沢は言えない。
土埃が溢れる水で流され、次第に水が澄んでくる。シークは周囲に並べていた拳大の岩を幾つかファイアを唱えて熱し、水の中に蹴り入れた。
「ビアンカ、準備できたよ。ちょっと熱いかもしれないけど、リディカさんも」
「やった! リディカさん、入りましょう!」
「頑張って作ってくれた2人より先に入っていいのかしら」
「ご心配なく。さあ、モンスターの気配がないうちに」
リディカとビアンカが岩をよじ登り、湯がめいっぱい張られた即席風呂を見て嬉しそうに微笑む。
「あー、駄目だと思っていても覗きたいって思うよな」
「分かるよ、ゼスタの気持ちはよく分かる。でも明日からも一緒に行動するんだし、気まずいし……駄目だ駄目だ」
「そこなんだよな。この大森林の次は南に行こうぜ。堂々と薄着になれる場所なら……あわよくば水着姿とか見れちゃったりして!」
「水着なんて着てる女の人、実際に見た事ないんだけど」
「俺もねえよ。でも南国のリゾートでは当たり前らしいぜ」
普段真面目なはずのシークの顔も、ゼスタの熱弁につられ思わず口元が緩む。けれどそんな貧弱な知識で精一杯描いた2人の妄想は、バルドルの一言によって一瞬で散ってしまった。
「あのー、淑女のお2人さん。あまり長湯をされると、ここにいる2人の頭ものぼせてしまうよ。早めに切り上げてくれると助かるのだけれど」
「ば、馬鹿! バルドル黙ってろよ!」
「ははは、何言ってんだバルドル、み、見張りしてるってのに、いったいな……何にのぼせろって言うんだよ、なあゼスタ?」
「お、おう! バルドルったら冗談きついぜ。な? な?」