Top Secret-05
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シークが目を覚ましたのは、すっかり外も静まり返った夜中だった。
海風への対策なのか、軒を低くした屋根のせいで、窓を開けても空の様子は分からない。
ドドムで一般的な赤茶色のレンガの家は、窓が大きく風をよく通す。しかし今日のドドムの夜は30℃を下回っていない。風が吹いても蒸し暑く、シークは二度寝に入る事を断念した。
「……何時だろ」
シークは夕食も食べずに眠っていた事に気付き、ハァっとため息をついた。時間通りに起きられたなら、久しぶりにゆっくりと美味しい食事にありつけるはずだった。
「まったく。僕をほったらかしにしたまま、君は何時間眠れば気が済むんだい、シーク」
「ん~……今何時?」
「ここからじゃ時計が見えなくてね、自分で見てくれるかい」
シークは起き上がり、壁に近づいて時計を凝視する。午前2時を指していることが分かると、もう一度深くため息をついた。
「あの……もしこのまま二度寝に入るのでなければ、僕の手入れをしてくれても?」
「ああ、ごめん。部屋でやると音がうるさいだろうから、外でしようか。防具は……明日水洗いしよう」
「君だけ先にさっぱりして寝ちゃうんだから」
「だからごめんってば」
シークは部屋をそっと抜け出した。玄関の扉は閉まっており、仕方なくロビーのソファーに座る。鞘をローテーブルの上に置いて、革布と洗浄液でバルドルを優しく拭き始めた。
「はぁ、刀身がサッパリする」
「まあモンスターとも戦ったからね、しっかり拭かせてもらうよ。これからはもっと戦わなくちゃいけないな」
「君には負荷が掛かり過ぎているけれど、僕は指導の『柄』を抜くつもりはない。ソードじゃないからなんて言い訳はしないって誓っておくれ」
「……分かった。魔法は自分でなんとかするしかない、剣術の指導をお願いするよ。気力の使い方も、まだ使えない技も全部」
バルドルの手入れなど慣れたものだ。最初の頃よりも随分と短い時間で鍔まで丁寧に仕上げ、洗浄液を少し垂らす。そして次に伸縮する長い棒状の刷毛を鞘に差し込み、鞘の中まで綺麗にしていく。
1人と1本にとっては当たり前の光景だが、鞘の中まで完璧に掃除するバスターなど、実はそんなに多くない。バルドルがどれだけ嬉しく思っているか、きっとシークにはその気持ちの半分も伝わっていないだろう。
シークはバルドルを膝に乗せたまま「こんなもんでどう?」と尋ねる。「悪くないね」というバルドルなりの賛辞を受け取り、ゆっくりと鞘の中にバルドルの刀身を納めていく。
「眠くないし、お腹もすいたけど……ここにいても仕方がない。戻ろうか」
シークがそう言ってバルドルを片手に持って立ち上がろうとする。
幾何学模様が編み込まれた赤い絨毯と、深紅に染められた革張りのソファーの組み合わせは、バスター用の宿にしては高級感がある。しかし、シークはその美しさや座り心地を堪能するつもりはないらしい。
「もう少し、いいかい」
バルドルはそんなシークを引き留めた。
「……何? こういう時、バルドルはあまり呑気な発言をしないからちょっと心配なんだけど」
「君の悪い予感は良く当たるね、大正解」
「嬉しくないよ。それで……何か話があるのかい」
身振り手振りが出来ない上に、こんな時までバルドル節を披露するため、いまいち深刻さが伝わらない。苦笑いするシークに対し、バルドルは真面目な声で話し始めた。
「レンベリンガ村で、アダムに色々と話を聞いたんだ。……君に話すかどうかは迷っていた」
「今更何を聞いても驚かないよ。どうぞ」
シークのいつも通りな穏やかな声に、バルドルは少し『鍔』の力を抜く。
「僕は、君と一緒にアークドラゴンを倒したい。絶対倒さなきゃって思っているんだ」
「それは俺も同じだよ。もしかして、倒せないかもってこと?」
「違うんだ。その……」
バルドルが珍しく言い淀む。シークは今の状況やアークドラゴンの心配などではなく、シーク自身にとって良くない事なのだろうと察した。
「アークドラゴンの封印はアダムの魔力で保たれている。それをアダムが解く事になる。そのまま倒す事が出来れば何も問題はない」
「うん、そうだね。そうなるように努力してる」
「けれど……倒せなかった時は、再び封印しなくちゃならない」
「うん、そうならないように努力する」
そんな事かと胸を撫で下ろしたい所だったが、この程度の事ならバルドルが躊躇うはずはない。
シークはバルドルが言い出せるタイミングをじっと待っていた。数分の沈黙が続いた後、バルドルは覚悟を決めたように思いを言葉に乗せた。
「アダムの力では次の封印が難しい。そうなると……僕が封印の役を担う事になる。その可能性は君も考えていたと思う」
「うん。でも俺はバルドルと一緒に旅を続けたいと思ってる。封印になんて使わせない」
「とても嬉しいよ、どうもね。けれど事はそんなに簡単ではなくてね。アダムが死んでしまったら、僕の中からアダムの魔力が抜けてしまうんだ。アダムの次の体はまだ見つかっていない。アダム自身も、もう探すつもりはない」
「えっ、じゃあアークドラゴンが復活しちゃうじゃないか。何でそんな重要な事を黙ってたんだ」
次こそ倒せなければ、世界は本当にお手上げとなる。
だがバルドルが本当に伝えたい事は他にある。どれから先に言うべきかを悩みながら、薄暗いロビーの中、ゆっくりとシークへ願いを打ち明けた。
「封印の魔力は、シークが僕に込めてくれないかい」
「えっ?」
「そうすれば君が生きている間、僕は封印を保っていられる。やり方はアダムから教わっているよ、僕の柄巻を解けば術式が刻まれている。君がその名の部分だけ刻み直すんだ」
「そんな事をしなくても必ず倒す。そのために君の力を借りるんだから」
「そうじゃないんだ。どうしても君に刻んで貰いたいんだ。アダムではなく、君の魔力で戦いたい。魔法をライバルだと思っている僕が言うのも変な話だけれどね」
バルドルが何にこだわってるのか、シークは今一つ理解が及んでいなかった。それを察したのか、バルドルは念押しのようにお願いと言い、その理由を説明する。
「僕は……アダムの魔力が抜けると、喋る事が出来なくなる」
「えっ!?」
「僕は……嫌なんだ。君と話が出来なくなるのは嫌だ。君の武器になると決めたからには、アダムではなく君が僕に力を与えて欲しい」
「そんな話はもっと先にしてくれよ、だって……」
シークは静かなロビーの中で思わず声を荒げる。すぐにまずいと思って辺りを見回すが、宿泊客を起こす事はなかったようだ。
「きっと共鳴をするにもアダムの魔力が干渉しないから、もっと力を発揮できる。頼みを聞いてくれるかい」
「出来る事は何でもする。それに、俺もバルドルと喋れなくなるのは嫌だ」
「どうもね。これで文字通り一心同体の共鳴が出来るし、僕は君の忠剣として君に生かされることになる。嬉しいよ」
「でも、それじゃあケルベロスやグングニルは? アレスやアルジュナやテュールも喋れなくなるの? みんなに俺の魔力を込めても、俺が死んだら喋れなくなるよ」
「アダムは気力でも出来ると言っていた。魔力と原理は一緒だって」
どうせならバルドルだけでなく、他の武器にも持ち主との旅を楽しんでもらいたい。シークは皆にも話してみようと提案する。それから「あっ」と閃いたように付け足した。
「ねえ、バルドルに名を刻んでいる間……共鳴して俺の体の中にいれば、万が一の時も安心だよね。失敗してやり直したとしても、君を元通り呼び起こせるか分からない」
「共鳴……そうか、その『柄』があった! 君は天才だよ、それなら気力を込めて刻む事も出来る! ケルベロス達にも応用が利く! ああ、今からでもやって欲しいところだ!」
バルドルが先程のシークよりも大きな声で喜ぶ。シークは慌てて人差し指を立て、シーっと諌めた。