Landmark-01
【17】Landmark~かつての悲しみを越えた場所~
雨が多くなる季節、いよいよこれから暑くなってくるというある日。
人々は時折空を見上げていた。時計台越しに見える東の空は、灰色と青色が混ざり合って不安を煽り始めている。半日も経てば雨も降るだろう。
そんな天候の日でも旅立つ者はいる。商人、バスター、それからシーク達だ。
「イヴァン、準備は出来た?」
「出来ました。シャルナク姉ちゃん、行ってきます」
「ああ、みんなきっと待っているよ。わたしも元気だと皆に伝えてくれ」
シャルナクは管理所の制服に身を包んでいる。ビアンカはポニーテールをやめ、髪を肩までの長さに切り揃えた。シークも耳が出る程度に髪を切り、ゼスタの髪は触ればチクチクする短さになった。
「シャルナクは本当に一緒に来なくて良かったのか?」
「わたしだけ何度も暇を貰う訳にはいかない。故郷に帰りたい者はわたし以外にもいるんだ。わたしは獣人の皆の道標になるのが使命」
「クルーニャさんにも負けていられないもんね。ゴブニュさんの事は……お気の毒だったけど」
「家族の事に口は出さないが、もう気持ちは切り替えたようだ。彼のハンマーにもう迷いはないよ」
今日はイヴァンがムゲン自治区に戻る日だ。シーク達がイヴァンをサウスエジン国の港、バンガまで送る。船で海を渡ってコヨに着けば、ナン村に駐在しているバスターと、村にいる母親が迎えに来てくれる。
この2ヶ月程の間、イヴァンはシャルナクやマーク夫妻から、みっちりと金勘定や文字の読み方を教わった。難しい状況判断を伴わない限り、困る事はないだろう。
勉強への意欲も剣術への興味も旺盛なイヴァンは、まだ村に帰ってもいないのに「早く帰ってきたい」と宣言し、周囲を笑わせる。
「ディズ達とはお別れを言ったかい」
「はい、昨日みんなで。ディズ達はリベラに向かって出発しました。リベラからヴィエス、ヴィエスからカインズ……そこから南のホープに向かうそうです」
「最近新人の間では、4魔が討伐された場所を巡るというのが目標になっているんだ。もっとも、どの場所もモンスターが強い。そのために強くなると言って、どの町でも新人の動きは活発だ」
「そういやあ、テレスト方面やイサラ方面に行くバスターがえらく増えたよな。前まではホワイトに上がればリベラから汽車に乗って移動ってのが殆どだったのに」
「ゼスタ達の軌跡を見て、自分達がいかに自分の足で歩いていないかを知ったのさ。この世界を自由に動き回れるのに、同じルートを馬車や汽車で行ったり来たり。彼らは通り過ぎた場所の事を何一つ知らないからね」
シャルナクはバスターをよく観察し、よく相談に乗り、よく褒める。そんな誠実な姿勢は、このギリングの町でとても好評だ。
幼い女の子が母親に手を引かれ、「我儘言ってるとシャルナクちゃんのようになれないわよ」と言われている場面も、シークは何度か見かけたことがあった。
「この町を紹介したのは私達だもの、私達もまた帰って来る。シャルナクが装備を作ってくれる日が来れば、打ち合わせもしなきゃ」
「ああ。アンナやミラ達も旅立ったし、わたしも少し寂しいが……またきっと新しい出会いもある。ムゲン自治区の狭い世界では、出会いと別れというものは滅多になかった。これも世界なんだ、きっと」
「シャルナクのこの達観、ほんと敵わねえ。獣人との交流も、そう時間は掛かんねえかもな」
獣人とどう向き合い、学校や職業校の経験がない獣人がバスターを目指す場合、どうするのか。バスター協会と各主要国家が話し合った結果、その方針が先月ようやく決まった。
ナン村、キンパリ村それぞれに幼年学校を開設し、5年間は10歳を超えていても年齢を問わず受け入れる。幼年学校卒業後、職業校相当の訓練を受け、原則17歳以上で卒業資格を得た者がバスターになれる。
つまり、特別扱いはしないという事だ。
「管理所が教育やバスターとしての活動を後押ししてくれることになって、本当に世界は開けていくんだと実感しているところだ」
「イヴァンが特例でバスターになるのは無理だったけど、17歳ならもうすぐだ。案外みんな先に魔法が使えたりして」
シーク達の働きも勿論だが、ゴウン達がムゲン自治区から魔王教徒を完全追放出来た事が最も大きい。1年後、2年後、獣人の姿を各町や村で見かける機会もあるだろう。
「じゃあ、行きますか!」
「行ってきます!」
「ああ、頑張って。イヴァン、元気で」
「シャルナクも頑張ってね!」
シーク達は晴れやかな表情で管理所を後にし、今日は東の雲から逃れるように西門へと向かう。しかしその中で1人……いや、1つだけ曇り空を全力で引き連れようとしている「物」があった。
「ハァ、もう暫くアスタ村には帰らないのですか?」
「アレス。僕から言わせてもらうとすれば、持ち主以外にうつつを抜かす剣なんて腐った木の棒以下だね」
「そういう訳じゃないんです。でもシークさん、テュールも一緒に、いやチッキーさんを連れていくことは無理なのですか?」
「絶対にダメ。チッキーは小麦畑の事しか頭にないし、テュールは農業を極めるつもりで鎌になったんだ」
アレスはテュールと離れ離れになるのが寂しいらしい。テュールの方も寂しい気持ちはあるのだろうが、今朝の見送りはまるで親と子供のようだった。
イヴァンはバスターではない。だがアレスはイヴァンが所持してもいいと正式に決まった。
アレスはほぼアダマンタイト製で、バスターの所持等級制限に掛からない。イヴァンはかつてシークがアスタ村の警備で武器を扱っていたように、報酬を受け取らない戦闘はこなすことが出来る。
「まったく、アレスちゃん。あんたは昔から何かあったらテュール、テュールち、しゃっちが覇気がない事ばっか言う子やったけど、全然変わっとらんごとあるね」
「も、勿論イヴァンさんをムゲン自治区に連れて行って、バスターにする使命があるのも分かっています。イヴァンさん、ボクの忠誠はイヴァンさんだけのものですから」
「疑ってないよ、アレスがなかったら……多分バンガまでも迎えに来て貰わなくちゃいけなかったし。頼りにしてる」
イヴァンは2か月の間、シーク達やシャルナク、それにマーク夫妻……のんびりして穏やかな面々の世話になった。その影響を受けたのか、今では明るさを取り戻しつつも、穏やかで優しい雰囲気の男の子になった。
獣人に対しての感情が概ね好意的なのは、シャルナクに加え、イヴァンまでもが良い子だったからだ。
イヴァンの背に彫られた術式は、残念ながらケアを唱えても消える事はなかった。時間が経ち過ぎていた上、魔力痕として焼き付いている。
しかしそのおかげか、イヴァンとアレスは共に旅をする仲になれた。今やイヴァンにとって背中の傷痕は絆の証だ。
「……ボアだ」
「ぼくに行かせて下さい! 特訓の成果をお見せしたいんです!」
「俺達はいいよ。その、バルドル達が不平不満を言わないならね」
「ボアはいいぜ、譲ってやろう。でもオーク以上は俺っちにまかせろ! ボアまでは譲る、譲る……」
「正直に言おう、僕は斬りたい。現れたモンスターは全部斬りたい。シークが後先考えず駆け出して、一撃で真っ二つにしてくれるんじゃないかって、今も願っている所さ。でも僕は『忠剣』なんだ……主に従うよ」
「後でちゃんと戦うよ、バルドル。沼地の傍も通るから、キラーアリゲーターくらいなら」
「仕方がないね。それで『柄』を打つよ、シーク。お替りは自由かい」
「偶然遭遇すればね」
「順番だぜバルドル!」
「あたしも一突きしたか!」
「あー! ボクもキラーアリゲーターは譲れませんよ!」
武器達は久しぶりの長旅にウキウキだ。一方のシーク達は、まだ町の門も見えているというのにもうため息をついていた。