【chit-chat】魔法使いは喋る聖剣と共にのんびりする、夕暮れの湖畔にて
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【chit-chat】
遠くの峰に夕日がかかる涼しい湖畔で、水鳥がねぐらへと飛び立つ様子を眺めている青年がいた。
音を立てて鳥が去った後の水面の波は、夕陽の橙色を歪ませ、そしてゆっくりと黒く澄んでいく。
長閑な夕暮れの1コマとも言える光景だが、青年は黒い軽鎧を着て、背中には黒い鞘に入ったロングソードを担いでいた。この辺りが安心安全な場所ではない事を物語っている。
まだ新しそうな茶色い鞄、少し髪がボサボサだが凛々しいその横顔。小手を外した腕には筋肉が浮かび上がっており、それなりに経験を積んだベテランバスターのように思える。
「何年ぶりかな。またここに来る事になるとは思わなかったよ。神様のみぞ知るって言うけど、未来の事なんて分からないよね」
「僕はカミサマさんとやらに疎くてね。未来を知っているなら教えてくれてもいいのに」
青年は誰と話しているのか、独り言ではなく誰か別の者の声がする。
「そういえば、昔そんな事を言ってたね」
「うん。残念ながら、僕は『信者』にはなれないからね」
「『信物』でもどうぞ、っていう神様が現われたらどうするんだい」
「まずは僕を信じさせるに値するか、試させてもらうかな」
「おっと、それは手強い」
青年はどこからともなく聞こえる声に応え、そしてまた問いかける。姿の見えない声の主は男性のようだ。
ほんの少し高いような、それでいてどこか無機質な声。ただ機械的でも無感情でもなく、飄々としているという表現が正しいかもしれない。
「だいたい、信じない人は救わないなんて、心が狭いと思わないかい」
「信じてくれない人を助けるよりは、信じてくれる人を助けたいって思うんじゃないかな」
「信じさせようという努力が足りないのを、人間のせいにするなんてね。酷い話だよ」
「いや、そうじゃないと思うんだけど……ひょっとして過去に神様と何かあったの?」
「あるも何も、会った事すらない」
青年と話す姿が見当たらないその声の主は、青年との会話を続ける。旧知の仲だとでもいうように、ごく自然なやり取りだ。やや、ひねくれているようだが。
「まあ、俺も確かに会った事ないし、いるかいないかも分からない。天国とか地獄とかも、見てきた人はいないんだし」
「そもそも君は地獄というものを、いったい誰が判断して落とす場所だと思うかい」
「そりゃあ今の流れで言えば神様、かな?」
「だとしたら、だよ。とあるカミサマさんを信じていても、君が信じていない他のカミサマさんは君を救わない。結局地獄に落とされるわけだ。つまり信じても信じなくてもおおよそ行先は地獄」
「なるほど……その発想はなかったよ」
「そこで、そんな信じ甲斐のないものより君が信じるべきものは! そう、そんな『者』じゃなくて僕!」
「他所でその発言はやめてくれよ、角が立つ。神様を信じて行動する事で、人としての行いを正す事だってあるんだ」
「じゃあ僕を代わりだと思っておくれよ。僕ならはっきり見える、触れる、斬れる! とてもお得だと思わないかい? 実際に役に立っている自信だってある」
青年は背中に担いでいたロングソードの鞘に手を掛け、革の紐を外して自分の膝の上に乗せた。目線をそのロングソードに向けたまま、暮れゆく景色を見るのをやめて笑っている。
「えっと……その場合、信じなかったら?」
「ん~、そうだね。君には地獄が訪れると思う。いざって時にロングソードが言う事を聞かなかったりして」
「やる事が君の言う神様と同じじゃないか」
「僕にお布施として毎年天鳥の羽毛クッションを新調し、毎日綺麗に拭き上げ、モンスターを斬るだけでいいんだ。お金と少しの労力で解決! 我ながら名案だ」
「今までだって毎日綺麗に拭き上げてたけど、それ以上を望まれるとはね。即断するには難しい条件だから、少し考えさせて貰おうかな」
「おっと、それは困る。天国だか地獄だかより、現世で幸せになる方が賢明だと思うのだけれど」
「うーん……あと一押し。クッションは毎年じゃなくて2年に1回新調する、ただし町で定期的にクリーニングに出すってことでどうかな」
「うん、とても信心深いね。よし、それで『柄』を打とう」
ただの価値観の違いなのか、それとも何かが根本的に違うのか、人間同士のやり取りにしては少しチグハグだ。それでも会話はちゃんと成立している。何とも捻くれた内容は、お互いに冗談なのか、本気なのか、その判断が難しい。
「さて、もうじき真っ暗になるから行くとしようか」
「えっと……何処へと伺っても? まさかこの期に及んで信じる明日へ! なんて言わないよね」
「俺が信じるのは神様じゃないよ。いるならモンスターなんてとっくの昔に消してくれて、平和で、俺の実家は魔術書を買える裕福な家庭になってる」
「あっ、そういう事か! なるほど、僕はカミサマさんを初めて信じる気になったよ!」
きっと姿が見えたなら目を輝かせていると思われるその声色に、青年は驚きと同時に少し笑った。
「どうして信じる気になったんだ?」
「モンスターを斬るという喜び、そして一番の存在意義! えっと……カミサマさん、モンスターを創造してくれてどうもね!」
「バルドル、君の信仰は止めないけど……他の人の前では伏せてくれ、本当に。対立する相手はモンスターだけで十分だよ」
「ところで、まさかカミサマさんって……『お父』さんや『お母』さんと同じなのかい」
「神にサマを付けて、神様だよ」
「なんてことだ……僕、何かを信じる自信がなくなった」
【chit-chat】魔法使いは喋る聖剣と共に相変わらずの会話を繰り返す……夕暮れの湖畔にて end.
魔法剣士シークと、喋る聖剣バルドルの、とある何でもない日のお話。