P.4 ヴァイスハイト国立図書館
「サリエル館長、おはようございます」
「あぁヴァイオレット、おはよう。いつも朝早くからありがとうね」
ヴァイオレットは「Sariel」と銀のプレートの下がった部屋をノックし、挨拶を済ませた。
入口から暫く歩くと、吹き抜けの読書スペースが大きく構えられており、更にその奥。
吹き抜けのスペースとガラスで仕切られた廊下を進むと、彼女達の部屋――通称「司書室」がある。
司書室には、お客様をお通しするための客間と、いくつかの個室があり、ヴァイオレットは贅沢にも外の庭と繋がっているベランダ付きの個室を館長から頂いていた。
季節によってこの庭の見せる顔は異なる。
因みに、今は秋。
大きな窓に掛かったカーテンを開くと、そこに広がるのは、燃えるような赤や、眩しいほどに輝く黄色の葉をその身体に取り付けた木々たち。
「綺麗……」
この大きな庭は、四方をこの図書館の北館、南館、西館、東館に囲まれていて、外には出れないため親の付き添いとして来た子供たちの遊び場所や、その風景の美しさから恋人たちのデートの場となっている。
今日は因みにまだ誰もいないようだ。
開館時間は朝の10時半だが、今は9時50分。
それまで館内のお掃除をしていよう。
うん、そうしよう。
ヴァイオレットは司書であることを示す腕章を付け、髪を一つにして結い上げると掃除用具を持って司書室を出た。
「うんと、どうやって掃除すれば良いのかなぁ」
考えた結果、ヴァイオレットは「あっ」と思い付き、アレンに最近教えてもらった『掃除は奥から手前、上から下、水周りから始める』という方法を実践することにした。
まず東館から始め、お化粧室の状態を見る。
この図書館を使用する人が少ないせいで全くと言っていい程使われない化粧室は、見てくれる人がいないのには残念過ぎる程無駄に美しいデザインで、ヴァイオレットは毎度「本当に此処は化粧室なのだろうか……」と疑わずにはいられなかった。
「うぅん、やっぱり綺麗だなぁ……」
取り敢えず見回ってみたが、汚い箇所は見当たらない。
男性の方は館長が見てくれているはずなので中には入らず、綺麗であることを祈った。
お化粧室の掃除を早々に切上げ、メインスペースに戻って来ると、奥から順に箒で床を掃き始める。
東館は、落ち着いた色を基調とした館となっており、大量の横長テーブルと椅子、高い天井から下がったモダンなデザインのシャンデリア。
背の高い本棚が壁に沿うようにぎっしりと並べられ、その上には高窓、一番奥は芸術品が多く飾られた鑑賞スペースとなっている。
ここに揃う本も、勉学に関するものが多いのが東館の特徴だ。
「よいしょ……」
芸術品に触れないよう細心の注意を払いながら奥の方を掃き終えると、軽い動きで途中の汚れと合流させながら箒を進め、出入口の扉を開き汚れを外に掃き捨てた。
「ふぅ、やっぱ広いから大変だなぁ……今度アレンに頼んじゃおうかなぁ」
アレンの『俺は掃除屋じゃねーよ!!』というセリフが頭を過り、ヴァイオレットはくすっと笑う。
「よしっ、じゃあ次は南館に行こうっと〜」
出入口は東館にしか無い為、ついでにそこも掃除してしまうと、ヴァイオレットは良い気になってうっかり扉を開けたまま南館へ歩いて行ってしまった。
「わぁ、やっぱり綺麗だなぁ……」
こつこつとヴァイオレットの足音だけを響かせて移動し、気が付けば此処は南館。
南館は、この図書館の中で最も美しいと言われる場所だった。
アーチを描く天井は、天使や女神などの神々しい絵で埋め尽くされ、壁の至る所に高級そうな額縁に入った大きな絵が飾られている。
そして、正面には美しいステンドガラス。
側面の壁には高窓が並んでいて、まるで宮殿のようだ。
部屋全体が凡そ黄金色の南館はいつ何時入っても同じ輝きを所持している。
「よしっ!」
東館の時と同じように、一番奥まで移動するとぐっと拳を握り、掃除を開始しようとするも、右手に違和感を覚えた。
「……あれ?」
……なんで拳が握れるんだろう。
再び手を開き、閉じる。
右手は空を掴んで、しっかりと握れた。
「……箒、は……?」
……しまった。やってしまった。
どうやら先程の出入口掃除の際、埃の着いた壁を磨こうと箒を手放し、そのままにしてしまったらしい。
折角長い廊下を渡り移動してきたのに……
とヴァイオレットはがっかりしながら元来た道を戻って行く。
漸く再び東館に戻り、壁掛け時計を見ると、既に長針は3を指していた。
「あ、わわわ、時間が……!」
このままではこの図書館内全てを掃除するなんて不可能。
焦ったヴァイオレットは駆け足で扉へ向かった。
「わぁっ!!」
がしかし、突如現れた硬い肉の壁にぶつかり、ヴァイオレットは後ろに倒れてしまう。
「あいてて……」
強く打ったお尻をさすっていると、目の前に紳士的な手が差し伸べられた。
「ん……?」
色々な疑問が頭を駆け巡り、戸惑ったヴァイオレットはその手を握ることもせず、ただ呆然とその相手を見る。
肩まで伸びた長い赤毛に、優しい緑色の瞳。
すっと通った鼻筋、その表情こそ穏やかだが引き締まった目元。
少し長い前髪は右に流し、右目が隠れてしまっているものの、それも一つの魅力として機能している。
彼のパーツ一つ一つが、それぞれ目を引く美しさだ。
必要以上に整った顔面に、どきりと胸の鐘を高鳴らせていると、青年は低く伸びる声でヴァイオレットに優しく語り掛けた。
「すみません、大丈夫?」