P.3 仕事場
彼女の働く仕事場は、中心街の大通りを抜けて暫く歩く必要があり、徒歩での通勤には時間と労力を要する。
「あらヴァイオレットちゃんおはよう!」
「マロリーナさんおはようございます。ご機嫌はいかがですか?」
「それがもう昨日教えて貰った薬を飲んだらすっかり元気になったの! ありがとうねぇ」
「ふふっ、いいえ、お大事になさって下さいね」
バスや馬車などを使えば今よりもずっと早く、楽に着くのだろうが、ヴァイオレットはこうして街の人々と他愛のない話をしながら歩くのが大好きだったので、どんなに歩く道のりが遠かろうと、バスや馬車で移動する。という考えは無かった。
「ヴァイオレット、おはよう!」
「アレンおはよう! 今日はどこへ行くの?」
「教会に行くんだ! 楽しみで堪んねぇ!」
「教会に……? あまり騒いだらだめよ?」
「へいへい、俺ももうそんなガキじゃねぇよ」
「ほんとかなぁ……」
短いブルネットの髪に赤っぽい茶色の目、やや褐色の健康的な肌に、くっきりとした目鼻立ち。
口調も相まって一見すると男の様だが、このアレンと言う青年は女である。
「また今日もお掃除?」
「そうなんだよ、全く俺は掃除屋じゃねぇのによぉ……」
アレンは弱々しくそういうと、はぁとため息を零した。
彼女はヴァイオレットと大学の同期で、今は万事屋をしている。
最近はどうやら掃除の仕事しか入らないようで、それが少々不満らしい。
「ま、まぁそのうち大きな仕事が入るよ。今日も頑張ってね」
「ん〜……だな! 今日は汚ぇ民家じゃなくて教会だしなぁ、気合い入れて行ってくるわ!」
不服そうな顔から一転、眩しい程の笑顔を浮かべると、あっという間に走り去ってしまった。
流石だ。陸上競技の首席なだけある。
「……じゃあ、私もそろそろ行こうかな」
一人取り残されてしまったヴァイオレットはくすっと笑うと静かに歩き出した。
街を出て更に暫く歩くと、目的の場所が見えた。
ここまで来ると街の賑やかさも消え、自然の音が聞こえてくる。
川のせせらぎ、風の歌、太陽の微笑み。
ここで微睡んだらどんなに心地が良いだろうか。
お洒落な井戸や、小さな滝を通り抜け、最後に大きな石畳の橋を渡り、ようやく仕事場に到着する。
大きな木造の扉の前までやって来ると、扉より前に迫り出した壁に埋め込まれた、大理石のプレートに彫られた文字をそっとなぞる。
そこには【ヴァイスハイト国立図書館】とあり、文字の下になぞった指跡がくっきりと残った。
指を見てみると、灰色の粉が指先に付着している。
先ずはお掃除が先のようだ。
ヴァイオレットはそう思いながら、扉に手を当てるとぐっと力を込めて前方に押す。
すると扉は重い音を立てながらゆっくりと開いた。
途端にふわりと香る、インクと紙と、少しのほこりの匂い。
優しくて、深みがあって、ヴァイオレットはこの匂いが幼い頃から大好きだった。
今日は、どんなお客さんが来ているだろう。
まだ来ていなかったら、それまでどんな本を読んで過ごそうかな。
今日一日の過ごし方を想像して、彼女は胸を踊らせながら司書室へ向かった。