P.13 黄色いスイセン
「……ところで、エトワールさん。今日はどうしてここへ?」
そう言うと、エトワールは何かを思い出したようにはっとして、それから再びにこりと笑う。
「ふふ、なんだと思うかしら?」
しかし、その笑顔にいつもの温かさが無く、まるで貼り付けたかのような、仮面の如き笑顔であった。
なんだろう。と思ったのも束の間。
ヴァイオレットの瞳にスイセンの花が写ったのだ。
――あれ、どうして? 今、意識してないのに花が見えるんだろう……
エトワールの違和感を覚える笑顔に、意識しなくても見えてしまう心の花。
不思議な事が二つも重なり、困惑したヴァイオレットはただ、
「えと……分から、ないです……」
と俯きがちに一言。
「……ふふ、意地悪してごめんなさい。まぁ、分からないわよね」
その言葉に顔を上げてエトワールの顔を見ると、今度はいつも通りの笑顔だった。
それに安心したからだろうか、ヴァイオレットは急に冷静になった頭で考える。
さっき見えた花は間違えなくスイセンだ。
それを証明するかのように、エトワールの胸元で黄色いスイセンの花がゆらゆらと揺れている。
「あ……」
つい間抜けな声が漏れてしまい、自分でもびっくりして直ぐに両手で口を塞ぐ。
エトワールが「?」とこちらを見つめたが、首を全力で振って「なんでもないです」と返した。
――話を戻すが、スイセンの花言葉の中に「私の元へ帰って来て」と言うものがある。
他にも「愛してほしい」や「愛に応えてください」などがあり、どれも切ないものだ。
そしてそれらは全て「愛」に関する。
先程は咄嗟に「分からない」と答えてしまったが、ここまで考えれば流石に分かる気がする。
とヴァイオレットは光の如き速さで考えた。
恐らく、エトワールが今日ここへ来た目的は――
「今日はね、私の旦那の命日なの」
……やっぱり。
先程の笑顔の違和感は、これだ。
エトワールの愛する図書館に来て悲しみを紛らわそうとしたが、偶然ヴァイオレットと会ってしまい、二人で話している間に本来の目的を忘れていた。
しかし先程、ヴァイオレットがした質問で彼女は本来の目的を思い出してしまい、かつての悲しみがあの一瞬で蘇ってしまった。
だが、ヴァイオレットの前で涙を流して、心配など掛けたくない。
そんな思いで笑ったは良いものの、やはり隠し切れない悲しみが「笑顔」を「笑顔」で無いものにしてしまっていたのだ。
「す、すみません……私、そうとは知らず……」
悲しみを紛らわせる為にここへ来た。
先程まで幸せそうに笑っていたのだから、本人的にはそれで良かった筈なのに。
聞かなきゃ良かったなぁ……と今更ながらに後悔するヴァイオレット。
「『聞かなきゃ良かったなぁ』なんて思ってるかしら?」
「えっ?」
いきなり思っていた事を言われてしまい心臓が飛び出そうになる。
「な、ななな何故ですかっ」
「あら、ふふっ、図星ね? 全く分かりやすいんだから」
「あ、えと、そのっ……」
焦ると言葉が上手く出ず、慌てて噛み噛みになってしまう。
その素直過ぎる様子は、相手に「その推測はあっています」と、直接伝えていると言っても過言ではなかった。
「もう、本当に可愛いんだから……気にしなくて良いのよ? 確かに悲しい事は悲しいわ。でも、いつまでもクヨクヨしていたら天国であの人も同じように……いえ、それ以上に悲しくなって、泣いてしまうかもしれない。……彼は泣きやすいのよ」
エトワールはにこやかにそう話すが、心の花は一本から二本、二本から三本。と花の数を次々に増やしていった。
それは、その気持ちが増幅していることを意味する。
ヴァイオレットは心がぎゅっと締め付けられるのを感じ、この感覚を二度と忘れまいと唇を噛み締めた。
――やっぱり、エトワールさんは本物の大人の女性だ。
強くてしなやかで、優しく美しい。
顔で笑って心で泣く。
すごいなぁ。
「……エトワールさん」
思わずヴァイオレットはエトワールの手を取り、きゅっと軽く握ると
「素敵な本が、あるんです」
と微笑んだ。
「まあそれは……新しいおすすめが見つかったのかしら?」
「ええ……。きっと、今のエトワールさんに気に入って頂けます」
「……ありがとう、ヴァイオレットちゃん」
そう言って、嬉しそうに笑うエトワールの目尻には、小さな粒が控えめに輝いていた。
そして、それから数時間後、周りの景色が暗くなったのに気付いたエトワールは、ヴァイオレットから教えて貰った本を大事に大事に抱えて図書館を去って行く。
――黄色いスイセンの花は、もう無かった。