ボレロのように、また一人
フランツはあれから頻繁にクレスターニ家へ訪れるようになった。最近では音楽を聴くだけでなく、簡単な音楽理論などもアリーチェに乞うようになった。フランツの父ルキーノが音楽教師なのだからそちらに聞いたらどうだと最初アリーチェは薦めたが、「父さんのは説明が難しいから嫌です」と笑顔できっぱり言われてしまった。
確かにルキーノの説明は長く小難しい。アリーチェには予備知識があるから平気だが、フランツには難しいだろう。彼が以前「父の音楽はあまり好きではない」というのもルキーノが先に理論から入るタイプだからである。ルキーノの名誉のために言っておくが、彼は間違ったことは教えていない。アリーチェに教えるレベルでつい息子にも接してしまうのだ。
しかしフランツの覚えはとても良いので、もうしばらくしたらルキーノの授業を一緒に受けられるかもしれない。
※
いつものようにフランツと防音室で話していると、少々乱暴に扉が開けられ、一人の少女が入ってきた。見事なブルネットの髪をなびかせ、歩み寄ってきたのはアリーチェの一歳違いの妹、パメラ・クレスターニ。
「パメラ様こんにちは」
「あら、パメラ。どうしたの?」
「ご機嫌ようフランツ。お姉様に申したいことがあります」
パメラは自分で椅子を持ってきて腰かける。フランツが慌てて自分がするから止めさせようとしたが、断られた。このクレスターニ家にはそういった貴族らしさがあまりないのだ。
「私にも音楽を教えてください」
今まで全くと言っていいほど音楽に興味のなかった妹からの頼み。アリーチェの思考は止まってしまった。
※
「いったい急にどうしたのよ?」
時間もちょうどいい頃合いだったため、ひとまず午後のお茶の時間となった。最近ではフランツは教師の息子でも客でもない「友人」として一緒にとっている。
貴族の嗜みとして楽器は少々嗜んでいるが、アリーチェが音楽に没頭するように、パメラはよく絵を描いていた。絵具も使うため、ドレスでなく汚れてもいい作業着のような恰好をよくしている、ある意味この家で最も貴族らしくない人物かもしれない。新人の使用人など必ず一度は、パメラと気づかず気軽に話しかけたりちょっとした用事を手伝ってもらったりしてしまっている。後で気が付いた使用人は真っ青だが、パメラは割と楽しんでいるようだ。
そんな彼女だが、アリーチェのところに来た時の恰好はきちんとしたものだった。ピアノに絵具がつかないようにとの配慮だ。
「リディオ様が以前、お姉様の曲をずっと聴いていらっしゃったから、もしかしたらお姉様か音楽かどちらかに興味があるのかと思いました。なので私にも教えてください。武器は一つでも多いに越したことはありません」
大分簡略化された説明だがよく分かった。グラツィアーニ侯爵家長男リディオ。パメラが彼に惚れていることは、クレスターニ家では周知の事だ。そして恥じらうとか隠すといった様子が全くない。
「恋敵かもしれない相手に頼むのはものすごく癪ですが、いたしかたありません。お姉様に追いつけそうだったら私も何か楽器を極めますし、無理だと思ったら別の方向から攻めます」
「あなたのその率直すぎるところ、私大好きよ」
「僕もです。」
ここまで明け透けな言い方をされると却って心地よい。そしてクレスターニ姉妹はこれで仲がいいのだ。アリーチェはたまにパメラの絵を見に来て、気に入ったものがあったら譲ってもらう。今この場にも、パメラの描いた絵が額に入れて飾られている。そして万が一、リディオとアリーチェの婚約話などが上がったとしても、パメラは「悔しいが自分の魅力が足りなかった。リディオ様よりもっといい人を見つけてくる」とあっさり引き下がるだろう。
「ありがとうございます。ですがこれに関してお姉様とフランツに好かれても意味がないので、お姉様、よろしくご教授願います。あと私もお二人のことは大好きです」
こうして音楽仲間が一人増えたのだった。