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小さなリサイタル

「お褒めいただき光栄です。私はアリーチェ・クレスターニと申します」


 演奏を中断させられたとはいえ、挨拶はしなければならない。アリーチェは椅子から降り、礼をとる。


「あ、すみません。僕はフランツ・サヴィーノです。アリーチェお嬢様の音楽教師の息子です」


 栗色の髪の穏やかそうな少年はそう名乗った。


(フランツですって?!)


 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン、フランツ・シューベルト、フランツ・リスト……フランツの名を持つ偉大な音楽家は多い。音楽教師の息子である彼のフランツという名を聞き、懐かしさに浸る。


「あの……どうかしましたか?」


 どうやら少し呆けていたようだ。努めて冷静に笑顔を作る。


「ごめんなさい。素敵なお名前だと思いまして。ところでフランツ、音楽はお好きかしら?」


 さっきから自分たちは謝ってばかりだな、と心中で呟く。

 名前が同じだけだ、彼自身が音楽家なわけではない。しかし彼は自分の「エリーゼのために」を聴き、素敵と言ってくれたのだ。


「えっと、父さ……父の教えるのはあんまり好きじゃないです。でもさっきのお嬢様のあの曲はもっと聴いていたいです。なんというか……寂しい感じがして、でも可愛くて。自分でもよく分からないですけど」


 それを聞きアリーチェは目を見開いた。演奏するのは好きだ。練習も嫌いではない。上手く弾けたときの快感は言うまでもないし、それを更に向上させたいと思う。しかし先ほどのフランツの言葉


―― もっと聴いていたい ――

 

 これに勝る喜びはない。

 

  ※

 

 小さな観客を招いてから「エリーゼのために」を最後まで弾き、きらきら星変奏曲も抜粋で弾く。


 きらきら星変奏曲。ヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルト作曲。


 変奏曲とはメインとなるメロディを変奏(リズムや拍子を変えること)して変化をつけたものである。素朴なメロディが輝かしく、壮大に、もしくは陰鬱に目まぐるしく変わっていく。ただし、基となるなるメロディは変わらないのだから、聴き手を飽きさせない表現が必要となる。「きらきら星」と呼ばれているが、本来は「ああお母さん、聞いてください」というタイトルの恋の歌である。「きらきら星」と呼ばれるようになったのはモーツァルトの死後だ。しかしモーツァルトによって手を加えられたこの曲はまさに「きらきら」と輝くようだ。

 そしてモーツァルトの曲の特徴の一つは、ミスがばれやすいということだ。何度試験や発表会で失敗したことか……。素朴、悪く言えば単純な音の構成なので不要な要素が入ると目立ってしょうがない。料理で例えるなら、最低限の材料だけで作られたスコーンやクッキーのようなものだとアリーチェは思う。もしくは、とても繊細なお吸い物。余計なものが一切入っていないからこそ、正確さや技術が求められる。そしてごてごてとデコレーションされてしまっては、モーツァルトとは言えない。

 アリーチェは特に第5変奏が好きだ。音数はとても少なく軽やかさが際立つ。まるで星が飛び跳ねているように感じる。ところどころに入る不協和音も茶目っ気があるようで弾いていて楽しい。

 第11変奏。今までの快活さとはうって変わってアダージョ(緩やかに)。子守唄を歌う気分だ。


(星は夜に輝くから昼は眠っているのかしら?でもそろそろ起きて。最終変奏よ)


 最後の第12変奏だ。テンポをあげ、クレッシェンドで盛り上げる。最も華々しく、最も難易度の高いところ。腕に疲労が溜まってきた。観客の存在で緊張してしまったのだろうか。力んでいてはモーツァルトの軽やかさは出せない。

 

(あと少し……お願い、動いて!)


 左手のオクターブ。右手がそれを追いかけるようにして両手で上向していく。


(リットをしすぎた!!)


 腕が限界だったのだろう。モーツァルトにしては酷くもったいぶった終わり方になってしまった。


 ※


 ぐったりと椅子に座り、蓋をしたピアノにもたれる。非常に疲れたが、心地よい疲労だ。

 小さなリサイタルは好評だった。満足げにアリーチェは微笑む。なんとか弾き切ったきらきら星は、前世の音楽関係者なら渋い顔をするだろう。本人もそこは分かっている。人に聴かせられるレベルではなかった。

 しかしフランツの、まるできらきら星のように輝く顔を見ると嬉しくてしょうがない。

 演奏の後しばらくして、親に連れられフランツは帰って行ったが必ずまた来ることを約束した。


(次にフランツが来るまでにもっと練習しておかないと)


 軽く腕を揉み解す。モーツァルトでこれだけ疲労が溜まってしまっては、ベートーヴェンやリストはとてもじゃないが無理だろう。体力もつけなくてはいけない。ピアノ奏者とは椅子に腰かけ、指先だけ動かしていると思われがちだが、そうではない。大きな音を出すのにも、指先や手首の力だけ使ったのと肩や腰を駆使し上からしっかり押さえた音ではまるで違う。特に小柄な女性は大変だ。当然汗もかくため、夏場などはタオルが必須。アリーチェの記憶にも、ブラームスやベートーヴェンの大曲に挑んだ時はすぐに空腹になりいくらか痩せた覚えがある。

 軽くストレッチをして、部屋を後にする。

 外は夕暮れ。数刻もすればきらきらと光る星々が起きだすだろう。

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