08 Fazzerror -ファズエラ-
人類はこの地球に生を受けて以来、ずっと何かと戦ってきた。
マンモスなどの大型動物からスズメ蜂のような昆虫まで、自分たちの命を脅かす生物たちと。
彼らは他の生物に勝利した。文明の利器という才能を使うことで。
やがて人類は生物界の頂点に君臨した。敵を切り裂く牙や身体を麻痺させる毒よりも遥かに強力な力を神は彼らに与えた。それを知恵と呼ぶ。人々は目に見えないその武器を使い、地上のあらゆるものを利用、加工し、更にそれを進化させ続けることで、それまで普遍だった弱肉強食のピラミッドに革命を起こしたのだ。
それは生を受けた種の生身の力がそのまま強者となる時代の終焉であり、知恵の時代のはじまりでもあった、
しかし、頭蓋骨の中にある一キログラムの知性は生物界の王者だけでは満足できるほど発達していなかった。
そして始まったのが、人類同士の戦である。
権力、金、血の違い、他の生物には理解できない理由で人間は人間に刃を向けた。やがて刃はより鋭いものになり、素材も金属へと変わった。そして、地球がくしゃみ一つする間に遠距離でも人を殺せるようになり、同時に複数の人間の命を奪うことも可能になる。武器の進化に従い、それを効果的に使用する知恵も発達した。
ファズエラはこれまでに蓄積された人類戦史、兵法、軍事技術それら全ての情報を呑み込んだ人工知能プログラムだと呼ばれている。
開発者はイグサイズ本部研究科長官である儚志徹。
「堂壁純一郎」
中世の日本に見られる荘厳な甲冑に身を包む老将軍。それが人工知能ファズエラのデザインだった。その音声も見た目に合うようにプログラムされている。
威厳のあるしゃがれ声に名前を呼ばれた堂壁は、床中に張り巡らされているコードを踏みつけながら中央にある人型のフォログラフィーの前に立つ。
「戦士の道を選びし者よ。我が前に」
堂壁は躊躇なく前に踏み出し、フォログラフィーと己の身を重ねた。
その光景を、頼は固唾を飲んで見守っている。
「彼は二度目なんです」
「わっ」
耳元でいきなり声がした。
「……亜沙方さんですか」
「驚いてくれました?」
「ええ、お陰様で」
彼女はイグサイズ戦士科の医療スタッフで、比留間とは同期の二十代後半。頼はそう聞いたが、その性格や振る舞いのせいか、彼女の方が遥かにかなり幼く見える。
「あの、二度目って?」
「中等部の二年に上がる前に研究科に転入したんです。正確には移る前に一年休隊したので実際の転入は二年前ですけど」
「……ってことは純一郎君は元々戦士科にいたんですか」
「驚きました?」
「いえ……あっ、でも……僕、彼に全然敬語を使っていませんでした」
「そんなこと彼は気にしないと思いますよ」
「純一郎君のこと、知ってるんですか?」
「まあ、それなりに。でも彼のことは比留間教官の方が詳しいですよ。彼の二年前の副担当教官は彼女でしたから」
教室での堂壁と比留間のやり取りを思い出す。
「心して聞け」
ファズエラが判定を終えたようだった。
老将軍の上部のモニターに、その結果が映し出される。
「身体能力A。精神性Bプラス。攻撃性B。協調性B。堂壁純一郎。お前の戦士としての潜在能力はCランクだ」
「潜在能力、C?」
予想外の結果に、頼は顔をしかめる。
「純一郎君でもこんなに低く出るものなんですか?」
「うーん低くはないかなー。高くもないけれど」
彼女は困ったような顔で視線を反らす。
「能力値が高いからといって潜在能力地がいいってわけじゃないんです。まあ十人やれば九人はCだから、気にするほどのことではありません」
「でも……あの純一郎君ですよ」
そこへ堂壁が戻ってきた。
当の本人はその結果に特にショックを受けている様子はない。
「次はお前の番だ、頼」
「純一郎君……きっと何かの間違いだよ。いくらなんでも君がCだなんて」
「……間違ってはいないさ」
「はい。二年前と同じ結果です」
亜沙方の言葉に、堂壁が反応する。
「おい。亜沙方……」
「あっ、ごめんなさい……もしかして、内緒でしたか?」
堂壁の視線が二人へ向けられる。
所在なさげな二人の様子に何かを察したのか、軽く息を吐き、そして自分の胸の高さにある亜沙方の頭を叩いた。
「きゃっ、いたーい……」
「口は災いを呼ぶ。あまりぺらぺらと喋るんじゃねえよ」
「純一郎君」
「何だ」
頼は何かを言おうとした。
しかし、うまく言葉にできなかった。
「ははっ」
「何だよ、急に笑いやがって」
「ごめん……」
「……ファズエラの判定は研究レポート評価とは違う。ビッグデータに裏打ちされた客観的な分析だ」
「でも……」
「それとも俺が自分の評価に落ち込むような人間に見えるか」
「……それは見えない、けど」
「倉井頼」
「ほら、戦国武将のお呼びだぞ」
「わっ」
堂壁に押し出され、コードに足を引っ掛け転びそうになる。
亜沙方がやれやれと言った様子で握っていたペンを回した。
「……一応言っておきますけれど、D判定が出たら戦士科にはいられませんからね」
「はっ、はい……でも、さすがにそれはないかと」
「おっ、自信たっぷりですね」
「いえ……やっぱりD判定かも」
「どっちなんですか」
『お前は俺の息子だ』
父さんの息子なら、きっと。
豪の言葉を思い浮かべた頼は、姿勢を正しファズエラと向き合う。
いや、でも……だからって僕が戦士の適正なんて。
「戦士の道を選びし者よ。我が前に」
恐る恐る目の前の黒いシルエットに自分の身体を重ねた。
「息を落ち着けて。十秒ほどじっとしていてね」
「はっ、はい」