06 Junichiro Doukabe-堂壁純一郎-
イグサイズの研究科生専用寮の玄関口で靴を履き替えている頼に、同じ寮生の一人が声を掛けてきた。
「あれっ、お前」
元クラスメイトだった。といっても名前を知らない相手だった。
そもそも、研究科の中で頼に話しかける物好きはいない。
その青年も頼の暗い顔を見るまで声をかけるつもりはなかった。
「白衣はどうした。今日から授業再開だろ」
「……あはは、先月燃やしちゃって」
頼は作り笑いを浮かべる。
青年はピクリと眉を動かしたが、その場に腰を下ろして靴紐を結んでいる頼の気まずそうな横顔を見て、あきらめたようにため息を付いた。
「何だよそれ……この前、お前の部屋に行った時には大丈夫って言ってただろうが」
「ごめん……あの時はちょっと落ち込んでて……」
「まあ、彼女を殺されたんだから辛い気持ちはわかるけどよ」
「……ごめん」
頼はそう言った切り、靴紐を結ぶ手を止めた。
「……ほら、立てよ。行こうぜ。敵、討たないといけないだろ」
「……うん」
「俺も目の前で友達を食われたんだ。MHOに復讐してやりたい。お前もそうじゃないのか」
「……うん」
「まあ俺たちは戦士じゃないから直接って訳にはいかないけどさ。でも、あいつらの正体を解明したり、すっげえ兵器を生み出すことはできるだろ」
「……そうだね」
「だからさ、生き残った俺達でやってやろうぜ……ってお前名前、何だっけ」
「……えっ?」
青年の顔がみるみる赤面していく。
「しょ、しょうがねえだろ……クラスメイトだって言うのは知ってたけどさ……これまで話したことなかったから」
「……ぷっ」
「おい、笑うなよ」
「……だって、あははははっ!」
頼は声を上げて笑う。
こんな気持ちになったのは何か月、いや何年ぶりだろう。
「……じゃあ、お前は俺の名前、知ってるのかよ」
「はははっ、しっ、知らない」
「なっ、何だよそれ……くくくっ、はははっ」
「あはははっ!」
下駄箱の前で笑う二人に、周囲の冷たい視線が集まる。
「……ってやべっ。こんな所で笑ってたらキモい奴に見られちまうな」
「大丈夫……慣れてるから」
頼は立ち上がる。
「……ありがとう。こんな僕を気遣ってくれて。じゃ、」
「おっ、おい。何だよ、一緒に行こうぜ」
青年はとっさに先に一人で行こうとする頼の肩を掴んだ。
しかし、頼は相手の手をそっと肩から引き離した。
「……ごめん。僕はもう研究生じゃないんだ」
「研究生じゃない? ……どうしてだよ。辞めるのか」
「……僕、戦士になるから」
「……戦士、だって?」
「じゃっ、本当にありがとう」
そう言って、頼はその場から去っていった。
青年は茫然とした表情でその背中を見ていた。
「あいつが戦士だなんて……嘘だろ」
■■■
研究棟の正門へと続く赤レンガ通りを、白衣を着た学生たちが歩いている。
みなその表情は暗く、険しい。
「……僕だけじゃ、ないんだよな」
前を行く白衣姿の少年少女を傍目に見ながら、唯一私服姿の頼がつぶやく。
「みんな、大事な人を失ったんだ。あの時に」
仲間を、恋人を、家族を。
「……梢」
赤レンガ通りの側面を囲う、高さ八メートルの外壁。
この壁の辺りの向こう側が研究棟の中庭。
一カ月前、梢が殺された場所だ。
「……くそっ」
指輪付きのペンダントを握りしめる。
角を曲がってしばらく進むと研究棟の正門。白衣達は警備員に挨拶を交わしながら吸い込まれるようその門の中へと入っていく。
そこを通り過ぎる時、頼は顔見知りの研究生にばれないように門とは逆方向を向いた。一般人は通行禁止のこのエリアでは、むしろ不審に見えるが、その時は無事誰かに呼び止められるようなことはなく、最初の難関を無事通過する。
「……自意識、過剰だったかな」
研究棟のエリアを越え、頼は自嘲気味にそう言ってイグサイズとは反対方向に目を向けた。
十数メートル毎にある有刺鉄線付きのバリケートと肌色の大地。
その遥か南十数キロ先に民間人の住む街がある。
MHOの侵入を防ぐ防衛線上にあるのがこのイグサイズという機関だ。
「……ここが本部」
イグサイズは大きく三つのエリアに分かれている。西に戦士育成棟、東に研究生訓練棟、そしてそれぞれには専用棟が隣接している。
それら四つの建物に挟まれているのが、頼が今見ている関東地区本部が設置されているイグサイズ本館だ。その広さは四つの建物を合わせたものよりも大きく、五百名以上がここで働いている。
MHO殲滅という同じ目的を抱いて。
「ここに父さんが……」
「おい、何一人でぼそぼそと言って」
「うわあっ!」
研究棟を離れ完全に油断していたせいだろう。急に声を掛けられた頼はあまりの驚きに大声を上げてしまった。
「……えっ、君は」
「よお」
声を掛けたのは研究訓練生の不良グループのリーダー、堂壁純一郎だった。
「どうしてここに」
幽霊でも見るような頼の眼差しに、鋭い眼光が更に尖る。
「……悪いか?」
「いや、そんなこと! ……急に声を掛けられたから驚いちゃって……でも堂壁君が何でこんな所に? それにその恰好……」
視線を上下させながら頼は不思議そうに訊ねる。
その大型トラックのような体格にフィットした長袖のTシャツに、だぼだぼのズボン。そしてサンダル。
他人が見たら、浮浪人にしか見えない。
「……フッ、お前と同じだよ」
ズボンのポケットに手を入れて答えた堂壁の表情は、その風貌には似合わない柔和な顔だった。
「戦士科に転属することにしたんだよ」
「戦士科に? ……へえ」
「ん、もっと驚くと思ったが普通だな」
「いや……だって」
むしろこれまでの白衣姿の方が違和感があったし……そう頼は思ったのだが、言うと怒られそうなので心の中に留める。
「でも、僕が戦士科に入るってどうして知ってるの?」
「私服でこんな所に立ってりゃ分かるよ。それに、お前は戦士になるんじゃないかって気がしていたからな」
「えっ……何で?」
「倉井豪の息子に白衣が似合うはずがないってことさ」
頼は何かに耐えるように手の甲に爪を立てる。
「……それを言うなら、堂壁君の方が」
「純一郎」
「えっ?」
「純一郎でいい。俺もお前を頼と呼ぶ」
「……純一郎、君」
「先月、連れの一人が死んだよ」
頼は堂壁の傍にいた二人の不良の顔が頭に浮かんだ。
「そうなんだ。じゃあ堂……純一郎君は復讐のために戦士科に?」
「馬鹿言うな。あいつらが生きようが死のうが俺にはどうだっていい」
「そんな……でも、だったらどうして」
頼が暗い表情でつぶやく。
それを見て、純一郎はふっと気が抜けたように微笑んだ。
「いい風だ」
「……そうかな。ちょっと肌寒いよ」
「だからいいんだ」
「……うん、そうだね」
形だけ同調しながら、頼はその表情から彼の心の内を想像していた。
もしかして純一郎君は最初から戦士になるつもりで研究科にいたんじゃないだろうか。
体型からして研究好きには思えないし、喧嘩の方が向いていそうだし……
僕なんかよりよっぽど戦士向きだ。
「……でも、これからもっと寒くなるんだろうね」
「冬は嫌いか?」
「……嫌いだよ、寒いのは」
頼の歩幅が小さくなり、純一郎と一歩分の距離ができる。
自ら戦士の道を選んだ彼と、父親に命じられるまま戦士の道を歩かされることになった自分。
正反対の相手と足並みを揃えて歩くことに頼は嫌悪感を覚えていた。
「……本当にこれで良かったのかな」
「今さら後悔しているのか」
「自分の大切な人を殺した奴に復讐する。そのために戦士になる。そう決めたんだけれど……でも」
「……引き返すか?」
戦士科の門の少し手前で、純一郎が立ち止まる。
正門には二人とは反対側の道からやってきた私服姿の若者が次々と中へと入っていく。
そして研究棟と左右対称な建物、戦士育成棟へと呑み込まれていった。
「俺は行くぜ」
純一郎はそう言い残し、頼の返事を待たずに彼らの中に紛れていく。
しばらくの葛藤の後、頼もその後を追った。