05 Gou Kurai-倉井豪-
マルスはゆっくりと横を向いた。
そこに立っている男を見て、目を細める。
「……何のつもり?」
「消えろよ。それとも俺とやるかい?」
腰から刀を抜き、構える。日本刀だった。
「……やめとくよ」
一瞬で相手との実力を量ったのか、マルスはあっさりとあきらめたように手を振った。
「それでいい」
男は刀を鞘に納めた。
戦闘服に身を包んだ十数名の男達が中庭にやってきたのはそれから間もなくのことだった。
イグサイズ本部一番隊隊員だった。
「敵は逃げたぜ」
隊員の一人に男が言った時、すでに少年の姿はそこにはなかった。
「追跡しますか?」
「必要ねえ。それよりMHOは?」
「レベル二十オーバー六体。無事、討伐完了しました」
「掃除しとけ。あと、そこに倒れている怪我人を病院まで連れていけ」
「……しかし、これは」
「いいから運べ」
「……了解しました。それで隊長は」
「俺は息子にちょいと話がある」
男たちが担架を広げ、梢を乗せて運んでいく。
「あっ、梢!」
咄嗟に頼も付いていこうとしたが、足が思うように動かない。
「……くそっ、どうして」
「情けねーな。敵の姿にびびっちまったのか?」
「……なんで逃がしたりなんかしたんだよ……父さん」
実の父親に対して恨むような眼差しを向ける頼。
「逃がした? 何言ってるんだ。あいつが勝手に逃げたんだろうが」
「……嘘だ」
頼は地面を這うようにして父親と距離を詰める。
「父さんだったら、きっと捕まえられたはずだよ。なのに……どうして」
物乞いのようにみじめな姿で父親を見上げる頼。
豪はそんな息子を観察するかのように無言で見下ろしている。
「ねえ、教えてよ。どうして父さんは――」
「触るな!」
豪が怒号を上げたのは、頼の指が豪のズボンの裾に触れる寸前のことだった。
「……父さ、ん?」
急に怒鳴られたショックで金縛りのように動けない。
そんな頼を避けるように豪は背を向け、数歩分の距離を取る。
その背中にはピリピリとした緊張感がみなぎり、頼はそれ以上何も口に出せなかった。
遠ざかった二人の隙間を通り抜けていく秋風。
棟内はしんと静まり返っている。中には生徒や教官たちがいるはずなのに。騒ぎの時に全員逃げ出したのか。それともMHOに殺されてしまったのか。
そして梢は……
絶望的な気分に浸りそうになっていたその時、父親の豪が大きく伸びをした。
ゆっくりと深く息を吸い込み、そして吐く。漆黒の軍服に身を包んだ身体が膨張し、そして収縮していく。
それはまるで周囲を包んでいた冷気を根こそぎ吸い込んでしまうかのようだった。
「頼、話がある」
豪は改めて頼と向きあった。
「……何だよ」
「言いづらいことだが、あの子は……もう助からない」
「えっ」
「さっきここで倒れていた儚志徹の娘のことだ」
豪の言葉に頼は無言で視線を降ろした。
そして瞳をきょろきょろと動かし、周囲の風景に目を向ける。
ついさっき、梢がポテトサラダケパンを食べていたベンチ。ぼろぼろに崩壊した研究棟。桜の木。
地面にべっとりとこびりついた少女の血。
「……嘘だ」
頼はふらふらと歩きはじめる。
「おっ、おい、どこへ行く」
豪は心配するように声を掛けるが、届かない。
頼は桜の大樹の前まで来ると、そこで立ち止った。
その大樹は太い枝が数本折れていたが、幹自体は無傷だった。
「……嘘だよね」
背伸びをして、空に向かって精一杯手を伸ばす頼。
そして、何かを掴もうとするかのようにぎゅっと手を握りしめる。
「だってさっき担架で」
「本当はお前も気が付いてるはずだ。残念だが」
「そんな訳ないよっ!」
幹を拳で殴りつけ、頼は叫んだ。
「……だって、僕はまだ……彼女に本当の気持ちを……」
絞り出るような声とは裏腹に、頼の涙腺から大量の涙が流れる。
風景が歪んだ。
「あの子は死んだ。あきらめろ」
悲しみの頂点にいる息子に対して、豪はなおも残酷な現実を突きつける。
淡々とした口調で。
「どうしてもっと早く来てくれなかったんだよ」
「……すまん、これでも全速力で」
「言い訳なんかいらないよ!」
「……憎いか?」
「……憎いよ」
「誰が一番憎い……」
「……梢をナイフで刺した奴」
「なら復讐しろ」
「……どういう意味?」
頼は父親の方へと視線を向けた。
憎しみに歪む息子の顔を豪の目が捉える。
豪は息子の元へ歩み寄り、手を伸ばした。
「頼。俺と同じ戦士になれ。復讐したければだ」