35 Can wipe, cannot wipe-拭えるもの、拭えないもの-
視界にあるすべての死体を処理し終えると、同じ作業をしていた瀞井と灰加が姿を現す。
二人とも全身を返り血で真っ赤に染めていた。
「二人ともひどい姿だな。まるで小判に斬られた肉のようだぞ」
「……灰加、言えるセリフじゃない」
「そうだよ。君だって血塗れだ」
三人はお互いを笑い合った。皮肉でも嘲りでもなく、胸の奥から込み上げてきた笑いだった。
そして、それは頼にとって初めての経験だったのかもしれない。
少なくとも過去の記憶の中に仲間と笑い合う思い出はなかった。
二人との距離が縮んだ気がした。
「おいおい。これからが本番だっていうのに、なんだその無様な格好は。拭け拭け」
血の付いた羽織を投げ付ける狛猫。
松葉小紋の着流し姿で刀の血を払うその涼しい顔は、今の激戦を駆け抜けた者とは思えないほど静かだ。
人間業ではない。
そしてそれは隣にいる小判も同じことだった。
「やってらんないわよ、もう!」
彼女はさっきから指折り何かを数えていた。
しかし、途中でじれったくなったのか、あきらめたように両手を下ろし、兄を見上げると恨めしげな視線を送った。
「兄兄が美味しい獲物全部殺っちゃったから売り上げが落ちちゃったじゃない。絶対わざとでしょ。アンサミー!」
「答えろ、と言われてもな。大事な後輩候補に返済不可能な負債を抱えさせるわけにはいかないからな」
「そんな綺麗事。本当は私の邪魔をしたかっただけなんでしょ。じゃなければ新しい“股旅”を手に入れてテンションハイになっちゃったかのどちらかよ。違う?」
「感覚を取り戻したかっただけさ。この日のためとはいえ、ずっと生温い毎日だったからな」
生温い生活、とは自分たちの隊長になってからのことを指しているのだろう。
だとすれば、それ以前の呉羽隊長はいったいどんな毎日を送っていたのか。
関東エリアにおいて、出動した戦士が相手にするのはせいぜいレベル三十前後のMHO数体。四十を超えることなど年に数回程度だ。それでも年間で十数名の死者が出る。
立場としては呉羽狛猫もそんな戦士の一人に過ぎない。
にも関わらず、彼のこうも圧倒的な力の理由は何なのだろうか。
彼や呉羽小判の所属しているクストとは一体……
それにクストの敵対勢力であるザポダという組織も気になる。本部も知らないレベル六十オーバーの怪物を複数所有していて、人間の姿で超人的な身体能力を持つマルスが属している。
自分のすぐそばで、巨大な何かが動いている。
研究室に籠っているだけでは決して気付くことができなかったイグサイズの裏側。見えない真実。
「頭は私が貰うからね」
小判が肌色の手袋を嵌めた手をかざす。
ピッという電子音。
壁がスライドする。
敵のセキュリティをこうも簡単に突破するとは、やはり普通ではない。
「文句はないわよね」
「ああ。だがもしマルスってガキが現れた時はここの倉井頼に譲ってやってくれよ。なにせ、こいつにとっての恋人の仇だからな」
「……そうなの?」
それは事実確認というよりも、こちらの覚悟を訊ねているように頼には思えた。
これまでに現れたMHOよりも強い相手にお前は勝てるのか。いや勝てないとしても立ち向かう気があるのか。
頼が取った行動は沈黙だった。
頷くこともなく、自らの意思を言葉にする訳でもなく、今の自分丸ごとを小判の目で判断してもらうことを望んだのだった。
例え力は未熟でも、心が弱くても、今の自分の意思は一つ。
梢の仇を討ち、牧島千鶴を救いだす
小判が背中を向ける直前、頼には彼女の顔が赤らんだように見えた。
「まっ……まぁいーわ。そいつはあなたに譲ってあげる」
「……ありがとう」
「その替わり、いいもの見せてよね。兄兄の期待を裏切るんじゃないわよ」
「ああ。もう、絶対に逃げたりなんかしない。最後まで戦う」
「……もし死なずに帰ってこれたら一千万あげるわ……この戦いが終わったら……わ、私の部屋に取りに来なさい」
「えっ?」
「……嫌なの?」
これは小判なりの激励なのだろうか。
頼は困惑した表情を浮かべる。
元々、報酬欲しさに始めた訳ではない、父親の勧めで止むなく戦士となり、敵討ちを目標に今日まで努力してきた。ここにいるのは単なるその結果だ。
これは誰のためでもない自分のための戦いであり、個人的なエゴを満足させる以上の意味など存在しない。
だからこそ、受け取る訳にはいかないと頼は思った。
「ごめん、小判さん。僕は」
(ここは受け取っておけよ)
灰加が耳打ちする。
(俺達はいいとして、お前金ないんだろ。何千万って金払えんのか?)
灰加は小判への支払いのことを言っているようだった。
具体的な額は不明だが、彼女が倒したMHOの数と、巻物にあった相場か考えて、一人分の支払いは一千万円を軽く超えているに違いない。
無事、生き残ったとしても借金地獄。
こういう金銭面では父親の豪も当てにはならないし……
(どうせすぐに奪われてしまう金だ。だからここは受け入れろ。いいな)
(……分かったよ)
「よし」
「あの、小判さ――」
「三千万がいいってよ!」頼の口を封じ、代弁するように言う。「どうせならそれぐらい貰わなきゃ満足できないんだと」
「さ、三千万分って……今日だけで?」
「そうだ。一括で三千万だ。悪いがふっかけたのはあんたが先だからな」
「そ、それもそうね……」
頼が何も言わない所で話が進んでいる。
ただそれは灰加の親切心によるもの。三千万円あれば、帳消しまでとはいかずとも、彼女への支払いの負担は相当減るだろう。自分のためにしてくれているのだから、有難く思わなければいけない。
小判は要求を受け入れた。
自分の報酬が減るというのに、少し嬉しそうだった。
「じゃ、じゃあこれで話は終わりっ! パパッと敵をやっつけちゃいましょ! ……体力を温存しておかないといけないし」
「体力を温存?」
「こっちの話っ!」
「よく分からないが、とにかく良かったな頼」
「うん……ありがとう。小判さん」
「……っ! もう行く行く行くでおじゃるぅっ!」
小判が先に歩き出した。
さっきから情緒不安定な気がするが、まあそのことは今は置いておこう。
考えるべきことは一つだけだ。
「……こりゃ予測していない奇手だわ」
やれやれといった様子で狛猫も扉の奥へと進む。
彼も少し様子がおかしい。
瀞井も同様だった。
「瀞井、なぜ俺を睨む」
「……灰加の年齢、確か十七」
「そうだが。それがどうした」
「二人とも空気読めなさすぎだ。美少女ゲーで学べ」
身体の血を拭きとった羽織を乱暴に投げ付ける。
瀞井が感情を露わにするのは珍しい。
「おい、瀞井。何だよ、何が不満だ」
一体、何が彼の気に障ったというのか。
灰加が訳を訊ねると、瀞井は二人の前で自分の首を斬り落とす仕草をした。
「……全員、隊長に殺されるかと思ったよ」




