29 MHO
そこは人通りのない街の一角にある道路沿いの小さな墓地だった。
木の柵で囲まれた十メートル四方の大地に、木材を紐で縛っただけの簡素な十字架が突き刺さっていた。お参りをしている人も数人いて、水の入ったバケツと花を持った老婆が念仏らしきものを唱えている。
「倉井君はここで」
墓地の入り口で牧島が言ったが、頼はできれば一緒に手を合わせさせて欲しいと頼んだ。牧島は驚いた顔をしたが、拒絶しなかった。「ありがとう」と申し出を受け入れた。
大中小とサイズの異なる十字架が横一列に並んでいた。板の表面にマジックで書かれた名前から、ここに眠っているのは両親と妹なのだろう。
「良かったわね。この人からの贈り物よ」
風船の紐を結び付けるのを見て、頼も同じように風船を十字架に捧げた。不思議そうな目で見られたので、「青色は好きじゃないかな」と訊ねた。牧島は首を振った。
線香も捧げる花もなく、二人は静かに手を合わせる。
頼は何も考えず、無心に祈った。胸の内の重たい空気が、鼻孔からゆっくりと抜けていく気がした。繁華街の方から楽器の音がかすかに聞こえていた。
目を開けても、牧島はまだ手を合わせていた。
頼は何も言わず、その場を離れた。
「そういえば母さんのお墓は萩にあるんだっけ」
山口県萩市。そこには祖母が暮らしている。といっても関東から離れたことのない頼は、祖母の顔を写真でしか見たことがない。
「……作戦が終わったら行こうかな……ん?」
道路を挟んだ向こう側の歩道に頼は目を止めた。
マントで身を包んだ、見るからに怪しい人影がそこにいた。
顔をフードで隠し。歩き方がやけにぎこちないのは怪我でもしているのだろうか。片足を引きずるようにしてゆっくりとこちらに近付いてくる。
「……あれは」
腰の銃に手で触れたのは無意識だった。
実際は何事もなく、このまますれ違うだけに違いない。
姿を隠しているのは、人に見られたくない傷でもあるんだろう。
そうさ。そうに決まっている。
だってここはイグサイズの保護下……
「キャーッ!」
「動かないで!」
耳に届いたのは墓地にいた女性と牧島の声だった。
反射的に振り向いた。
すると、さっきまでの閑散とした墓地の風景が、目を疑うようなものに変わっていた。
「……嘘だろ」
そこで起きていた現象について、頼は知らない訳ではなかった。
浮遊する人間の死体の映像なら、イグサイズの授業で幾度となく見ている。
だから、目の前で起きているそれが何なのか、頭では理解できる。
気泡のように土が盛り上がり、弾ける中から浮き上がってくるのは黒、茶、紫色の混じり合った人間の遺体。まだ人間の形が残っているものもあれば、そうではないものもあった。
「うっ」
胃の内容物が喉の方へと逆流してくる。柵に凭れ、吐き気に耐えようと口を押える。
「倉井君!」
浮遊する肉塊の中を牧島が墓地にいた人たちを伴って駆け寄ってきた。
「牧島さ……うっ」
「しっかりして」
頼の腕を肩に回して、立ち上がらせようとする。
「ひっ、ひいいっ!!」
牧島の背後にいた男性の一人ががヒステリックな声を上げながらその場から走り出す。
「ひっ、ひいいっ……!」
「ダメッ、動かないで!」
「た、助けてっ!」
牧島の言葉を無視し、街の方へと逃げ出す男性。それをきっかけに残りの二人の民間人も男性を追うように走り出す。
「お願い、止まって!」
「……助けて」
「……倉井、君?」
頼が牧島の膝に手を巻き付けてきた。がっしりと掴んで離そうとしない。
「こんな時に何をしてるの。離して」
「嫌だ……僕を置いていかないで」
「……あなた、どうして急に」
「ウワアアアアッ!!」
「ギャアア——アッ!」
前方で断末魔の悲鳴が周囲に広がった。
そこには胸を触手のようなものに貫かれ、宙に持ち上げられている人たちがいた。
「……こんな所に」
数本の触手はどれも一か所から伸びていた。その中心にはさっき頼が目にした黒マントが立っていた。
牧島はちらりと墓地に視線を送った。次々と浮かび上がる亡骸達。断片を除いてもその数は全部で十から二十体以上。
「あれと融合する前に片付けないと」
膝下からスカートをまくり上げ、ガーターベルトに装着した小銃を抜いた。
牧島の瞳の色が暗くなる。
パンパンという軽い音を立てて数発の弾丸が放たれる。黒マントに穴が空き、耳慣れた悲鳴が鳴り響く。
「ヒイイイィィィ」
苦し気な声にも牧島は眉一つ動かさなかった。指を止めずに機械的に引き金を引き続ける。
「……牧島さんっ!」
「きゃっ!」
ふいに頼が腰に飛びついてきた。照準がずれた弾があさっての空へと飛んでいく。
「牧島さん、お願い……死にたくないんだ
「……邪魔、しないでっ!」
牧島は苛立ち、覆いかぶさってくる頼の腕を掴み、投げ飛ばした。
「うあっ! ……うう、痛い、痛いよ牧島さん」
地面に突っ伏した頼が恨めし気に牧島を見る。
「あなた……頭おかしいんじゃないの?」
「そんなこと言わないでよぉ。怖いんだからしょうがないだろ……あっ、ああああっ!」
頼の表情が恐怖で歪む。
触手にやられた人達の遺体が熱を浴びたように溶け始めていた。
そして他の触手も肉を求め、墓地のある牧島たちの方へと伸びはじめる。
「食われてるんだ……このままじゃ、きっと僕も……」
「……させない」
牧島が動いた。
頼を持ち上げ、道路の向こう側へと走り出す。
「ま、牧島さん……」
「ハァハァ、本部に応援を要請して」
「本部に?」
「アレを倒すための武器が今の私たちにはない。でも墓地の遺体を全てのみ込むまで少なくとも七、八分はかかるはず。その間で私はMHOの足止めを……あれは」
「牧島さん?」
バス停のそばで頼を降ろすと、牧島は建物のある方へと走り出した。
「牧島さん……何を?」
頼の視線が墓地の方角に向けられる。
触手は墓地に浮遊する遺体に次々と手を伸ばしていた。本体も膨張をはじめ、包んでいたマントが容量を超え、弾ける。そこから更に新たな触手が出現する。
「……け、携帯」敵の姿に恐怖した頼は慌ててポケットというポケットを叩きはじめる。「……ない。一体どこにっ……まさか落としたのか。そんなっ!」
なおも探し続ける頼、その間に牧島は一件の民家へと向かっていた。
その家には大きな車庫があった。
「ごめんなさい」
一言謝って、車庫の鍵を銃で破壊し、シャッターを持ち上げる。そこには泥にまみれた軽トラック一台とトラクターが置かれている。
「エンジンを掛けるまでに六十秒」
そうつぶやき、軽トラックの運転席側のドアノブに手を掛ける。鍵は掛かっていない。
すぐさま乗り込むと、キーが差さったままだった。
「……不用心ね」
ぼそりとつぶやいた後、持っていた銃を助手席に転がし、キーを回した。




