18 Invisible wall-見えない壁-
何も見えない暗闇の中を、僕は駆け抜ける。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
時折、すれ違うのは見たことのある残像。瀞井、村尾君といった戦士科の訓練生に、研究科時代のクラスメイト。下駄箱で僕に手を差し伸べてくれたあの男子もそこにはいた。
「おい、どこに行くんだよ」
「お前はこっち側だろ」
みんな僕の足を止めようとするけれど、どの手も僕の身体をすり抜けてしまって、届かない。
そして僕自身も、そこに留まるつもりはなかった。
「違う。僕は君たちとは違う。僕はSランクなんだ。あの向井豪の息子なんだ……だから」
「頼っ!」
「……純一郎君」
僕の行く先に立って両手を広げている大きな身体。
その腕は僕を抱きしめようとしているのか、それともこれ以上先に進むのを阻止しようとしているのか。
「俺達、仲間だろう!」
「……くっ」
純一郎君の言葉を振り切って、僕は加速する。
彼の身体を突き抜け、なお深い闇の方へと、早く、早く。
どうしてこんなに急いでいるのか、自分でも分からないぐらいに。
「はぁ……はぁ……」
やがて、向こう側に二つの白い光が見えはじめる。
光に追いつこうと僕は更に加速する。
近付くにつれ、それは人の姿に形を変えた。
「やあ、君もついにここまで来たんだね」
「……梢」
光の一つは梢だった。
「……どうせ長くはもたないでしょうけど」
牧島さんがつぶやく。
「私はそうは思わないよ。頼さんはいつかきっと私たちに追いつきます。そう信じてますからっ」
「買い被り過ぎ。いくらあなたのステディだからって」
「ステディってあなた何時代のホモサピエンスなのですかね」
「……ふん」
言い合いをする二人の背中から離されまいと懸命に足を動かす。
その内、梢が少し歩を緩めた。
「頼さん、頑張りましょう」
「梢……うん。僕嬉しいよ。やっと君に追いつけた」
「当然ですよ。私も頼さんも選ばれるべき人間なのです」
「選ばれるべき……人間」
「それは違う」
少し先を走っている牧島さんが言う。
「あなたたちではあの人の元には絶対にたどり着けない」
「そんなこと……きゃっ!」
「うわっ!」
突然、僕らは後ろに吹き飛ばされる。
それは見えない壁にぶつかったような、そんな衝撃だった。
「……何だ、今のは」
上半身を起こした僕を、牧島さんが見下ろしていた。
「あなたたちはここまで」
「そんな訳……あっ、梢!」
梢は僕の真横に倒れていた。
すぐに抱き起そうとしたけれど、僕の手は彼女の身体をすり抜けるばかりで触れることができない。
それどころか、彼女の身体は少しずつ黒ずんでいき、地面の闇の中へずぶずぶと沈んでいく。
「梢っ、行くな! まだ僕は、君を追い付いてすら……」
「何してんだ、頼」
「……父さん」
父さんが牧島の横に立っていた。
「あの……梢が」
「そんなことはどうでもいい」
「どうでもいいって、どうして」
「黙ってさっさとこっちに来い」
「だけれど壁が……」
「壁? フッ、また訳の分からないことを」
「父さんには見えないの? ほら、ここに壁が」
見えない壁を叩き、その存在を伝える。
しかし、父さんは疑う目で僕を見るだけだった。
「……もういい。こっちに来るつもりがねえなら知らん。どこにでも勝手に行っちまえ」
「行っちまえってそんな、僕には居場所なんて」
「豪」その時、牧島さんが父さんの腕に抱き着いた。「行きましょう。私たちの子どもはこんな無能な弱虫じゃない」
「……そうだな」
「本当の私たちの子どもは」顔を赤らめ、自分の腹部をさする。「ここにいる」
「……はっ、何だよそれ。父さん、牧島さんに何を」
「うるせえ。お前なんてもう俺の息子でも何でもねえ。行くぞ。千鶴」
「はい、あなた……」
そうして二人は、僕に背中を向け、歩き出す。
「まっ、待ってよ父さん! 父さんっ!」
父さんの姿が遠ざかり、白い光に変わっていく。
闇に呑まれるように光が小さくなっていく様が、僕には怖くてたまらなかった。
「父さんっ! 僕は父さんの息子だ!」骨が砕けるぐらい壁を叩きながら、あらん限りの声で叫んだ。「Sランクなんだ! ちょっと道を間違えてそのせいで今はこんな所にいるけれど、でも近い将来、僕はきっと強くなれる! 頑張るから! ……だから」
ふらふらと膝を崩し、地面に両手を付いた。
目尻から落下する液体が闇の地面に吸い込まれていく。
顔を上げることはもうできそうもなかった。
「僕を……僕の方を見て」