16 Training-訓練-
「研究棟襲撃があった日から二か月の間で、MHOの出現数は二十八%も上昇している」
黒板に貼りだした首都圏地図の上を指示棒でなぞりながら比留間が話している。
「最も多いのは本部北側、川を越えた先の埼玉浦和地区だ。現在、この辺りにマルスの本拠地がある、というのが本部の見解だ」
「教官」一人の女子生徒が立ち上がった。「その……研究棟を襲ったマルスという者がMHOを生み出した張本人である可能性もあるんですよね?」
「……本部の中にそう主張している者は少なくない」比留間が微笑する。「だが私はそれを単なる希望だと思っている」
「希望……ですか」
「MHOの発生原因について、それは我々人類のブラックボックスだ。何が入っているか分からない箱の中身。よいものが入っていると思いたい気持ちは分からないでもないだろう?」
「人為的にMHOが生み出されていることが希望って言うんですか?」男子生徒が勢いよく立ち上がる。
「そういう意味じゃねえ」
教室の後ろから声がして、何人かが振り返った。
「堂壁さん」
「戦士の目的はMHOの殲滅。ざっくり言えば、早くこの戦いを終わらせたいってことだ。しかしMHO自然発生説が正しいとするならば、目的は永遠に果たせねえ」
「逆に人為的により生み出されたとすれば」比留間が続く。「発生原因を叩けばMHOの出現は止まる」
チャイムが鳴った。
比留間が教室を去り、生徒達もこの後の模擬訓練のために移動を始める。
「頼、何してるんだ。行くぞ」
「あっ、うん……これで終わり」
ノートを胸に抱き、頼も部屋を出た。
「……ノート何冊目だ?」
「えっと授業用だけなら六冊目かな」
「授業中の比留間の言ったことまでメモするなんてよくやるよ。俺なんて板書すらしてないぜ」
感心しているのか、呆れているのかよく分からなかった。頼は照れくさそうに頬を掻いた。
「覚えるのが苦手なんだよ。だから書いて読み返さないと覚えられなくて」
「お前、やっぱり変な奴だな」
「何だよ、やっぱりって」
廊下でエレベーターを待つ訓練生のかたまりに追いつくと、二人は最後尾で待った。
「この後、軽く食わないか」
「……どうしようかな」
「俺達どうせ順番最後なんだし一時間以上暇だろ」
「でも見学した方が勉強になるし」
「弱い奴の訓練までメモったってしょうがねえよ」そう言って頼からノートをひったくる。
「わっ、純一郎君、やめてよ」
手を伸ばす頼の身体を押しとどめて、『模擬実践訓練用 vol.3』の中身を広げる。
そこにあるのは、この二か月間の訓練生活で行った実践訓練の内容だった。誰がいつどんなレベルの相手と戦ったか、その戦いぶりはどうだったのか、勝因、敗因などは何だったのかなど、詳細に殴り書きされている。
四、五ページほどぱらぱらと中身を見た後、ノートは頼に返された。
「……どうかな?」
頼が訊ねると、堂壁は周囲の生徒と頼を見比べてから言った。
「やっぱり変な奴だよ、お前は」
■■■
トレーニングルーム。
この一か月で、戦士科のクラスメイト達の状況を頼は大よそ理解しはじめていた。
戦士科高等部の訓練生の大半は瀞井と灰加という二人の高ランクの生徒の目を意識していた。
『……瀞井ネオ、レベルは?』
「十四」
ポータブルゲームに視線を降ろしたまま、少年が答える。
『……フンッ』
訓練生の大半はいつも同じレベルの相手とばかり戦っていた。
蜘蛛型、蠍型、猿型、飛行型など戦う度にタイプがランダムで変わるため、相手によって戦法を変えなければならないとはいえ、頼達よりも何倍もキャリアがある彼らにとって大きな違いはない。
成人前に家族と別れ、華やかな街を離れて日本のために戦士になることを志願した彼らラがなぜ向上心を失い、消化作業のように訓練を行うのか。
「瀞井ネオはいわゆる権力者の息子だ」
窓際で瀞井の様子に目を向けている頼に、堂壁が言った。
「父親は政府関係と太いパイプを持っていて、イグサイズにも毎年多額の出資をしている。瀞井グループの御曹司である奴には頭が下がらないってわけさ」
「へえ、灰加君の方は?」
「奴は議員の息子。瀞井の腰巾着だ」
「……でもそれとここにいるみんなとどんな関係が?」
「ああいう輩は下の人間がでしゃばる奴が嫌いなんだよ。しかも不運なことに二人ともランクA以上、といっても証拠はないんだが」
「証拠がない?」
エレベーターが上昇する。今日の瀞井の相手は蠍型だった。
瀞井は敵に向かってまっすぐと歩き始める。
武器の持ち込みは規則違反だが、それについて誰も触れる者はいない。
「二年前、二人は入隊時の評価テストを拒否した。軽く騒ぎになったが覚えていないか?」
「うーん、あの頃は研究のことで頭がいっぱいだったから」
「比留間と上層部がだいぶ揉めたらしい。お前の父親と儚志徹が仲裁に入って事態は収まったらしいが」
蠍の鋏が瀞井に襲い掛かる。
瀞井は敵の真上に飛び、ナイフをその背中に突き下ろした。
『八百七十六ポイント。試合終了です』
一撃だった。
再生能力のあるMHOに本来急所は存在しないのだが。
「さて、俺の出番か」
堂壁が背中を伸ばす。
頼は次のページに彼の名前を記した。
「よし……じゃあ今日もいっちょ限界に挑戦してみるか」
「が、頑張ってください、堂壁君!」
「ランクCでもやれるって所、見せて下さい!」
「……」
訓練生数名の黄色い声の中を無言で通り過ぎていく堂壁。
彼らの希望に満ちた目には同じランクCの堂壁に何らかの期待の色が見て取れる。
いつものことなので頼も驚きはしなかった。
『堂壁純一郎。今日はどうする?』
「いちいち聞くな。決まってる。二十六だ」
『格下相手かと思えば格上の相手。己の身の丈を知る者がなぜいないんだ』
常に同じレベルの相手と戦う。
そういう意味では堂壁も他の訓練生と同様だった。
週三回の模擬実践訓練。
堂壁の相手は常に自分の実力よりも遥か格上の相手。
先週、ようやくレベル二十五に勝利した彼だったが、次の日からレベルを一つ上げ、それ以来、再び負け戦を繰り返している。
それでも堂壁は黒星の数など気にしないかのように、決してレベルを下げることはなかった。
「……僕には絶対できないよ」
トレーニングルームで武器を見繕う堂壁に尊敬の眼差しを送る頼。
「……おい、あれ」
堂壁の訓練が始まろうという時、一人の生徒が仲間に声を掛けた。
それを合図として、にわかに廊下の生徒達がざわめきはじめる。
頼も気になって振り向いた。
「……牧島、さん?」
廊下の向こう側からこちらに近付いてくる少女。
戦士科の生徒たちが彼女の姿を見たのは久々だった。
牧島千鶴。
MHOの数が増加して以降、彼女は本部で戦士として戦い、授業や訓練には一切参加していなかったためだ。
牧島は騒ぐ周囲には目も向けず、頼の横に並ぶ。
いつもに増して刺々しい雰囲気だった。
「今は堂壁君?」
「……うん」頼は包帯を巻かれた彼女の左腕を見ながら訊ねる。「大丈夫、なの?」
「何が?」
「何がって……怪我」
頼の言葉に、牧島の目が鋭くなる。
「人を気遣えるぐらい、あなたは強くなったの?」
「そんなことは……でも、そんな状態で訓練なんて」
「勘違いしないで。今日はあなたの強さを確かめるためにここに来たの」
「えっ?」
「私と戦って」
突然の申し出に頼は目を丸くする。
「そんなこと……比留間教官が許可してくれるとは思えないけれど」
「問題ない。過去にもこういうこと、あったから」
「過去にも?」
頼と牧島が話をしていた時、堂壁の叫び声が聞こえた。
「おらあああぁああっ!」
堂壁が剣を振り下ろす。しかし、それより早く、AIの攻撃が堂壁の横っ腹に届いた。
『訓練終了だ』
「……ちっ、明後日こそは勝ってやるからな」
捨て台詞を吐いて堂壁がよろよろとこちらに帰ってくる。
「……牧島?」
入れ違いにトレーニングルームへ入る牧島に対して眉間に皺を寄せる。
頼の顔は戸惑っていた。
「実践の後に訓練するつもりか。牧島の奴」
「そうじゃなくて。僕と戦いたいって」
「はぁ?」堂壁も怪訝な表情を浮かべた。「何でお前と」
「分からないけれど……何だか怒っているみたいだった」
「本部の先輩方と揉めでもしたんだろう」
「……僕のせいなのかな」