12 Kuzira Murao-村尾久地楽-
すでに出番は堂壁の順番まで回ってきていた。
「ちっ、遅えよ」
「新参者の癖に調子乗んなよ」
ようやく姿を現した二人に、生徒たちが愚痴をこぼす。自分たちの出番が遅れることに苛立っている様子だった。
しかし、堂壁はそれを気にすることなくトレーニングルームへと入っていく。
「牧島さん。ありがとう」
「……何が?」
牧島は頼と別れる前と同じ窓際でタブレットを操作していた。
「いや、純一郎君を呼ぶように教えてくれたからさ」
「別に……自分の出番が遅くなるのが嫌なだけ。それに……」
「それに?」
「あなたが……豪の息子だから」
「……そっか。そういえば牧島さんは父さんの隊にいるんだっけ」
「……豪は」牧島はそう言って頼を見た。「私の命の恩人よ」
「命の、恩人?」
『何の冗談だ?』
その時、比留間教官の声がした。
「冗談じゃない。本気だ」
堂壁は壁から一本の青龍刀を手に取りながら返答する。
『訓練生はレベル二十までが限度だと知っているはずだ』
「ああ、知っているさ。だが例外もいるじゃないか。牧島千鶴」
『……』
比留間の沈黙に、廊下の生徒からどよめきが聞こえはじめる。
「おい。何が起こってるんだよ」
「なんか、レベル三十がどうだかって言ってたぜ」
「はぁ? そんなのダメに決まってるだろ」
そんな中、頼は心配そうな目で堂壁を見つめていた。
『……二十五だ』
比留間の一言で、次に沈黙したのは生徒たちだった。
『特別に許可してやる』
「三十だ」
『牧島も初めはレベル十から始め、徐々にレベルを上げていったんだ。いきなりレベル三十というのはありえない』
「責任は全て俺が持つ」
『ダメだ。もし受け入れられないなら不戦敗扱いにする』
「……ちっ」堂壁は地面を蹴った。「……かったよ。二十五で勘弁してやる」
不承不承ながらもその要求を受け入れる堂壁。苛立ちを振り払うように、青龍棟の振りはじめる。
「レベル二十五……」頼は気がかりだっただった。「……勝てる、よね?」
「相手によるわ」
「それはそうだけれど」
「……レベル二十四以上は、イグサイズ本部の戦士でも一人で戦うことを避ける。特に飛行タイプが相手なら勝率は大きく下がるわね」
「……そうなんだ」
「でも不思議。彼、こんな無茶をするようには見えなかったけれど」
「そうかな。僕は意外には思わなかったよ」
「……そう」
「……うわっ」
頼が思わず叫ぶ。周囲の学生も一様に驚きの声を上げた。
「うわー、でかっ!」
「でかいし、それにキモくね?」
それは蠍の形をしていた。成人二十五体分のサイズは生物のそれとは大きく異なり、遭遇しただけで戦う意思を挫くだけの威圧感を感じる。
チョココロネのような形の銀の胴体はいかにも頑丈そうで、両腕の鋏の大きさなんて胴体を一刀両断できそうだ。
だが何よりの脅威は、逆立てた尾部の先端にある長さ一メートルはある黒い針だろう。
「……ははっ、勝てるわけないっしょ?」
生徒の一人が言う。茶化したつもりだったが、その表情は青ざめていた。
「実戦でも、こんな化け物に出くわすことがあるのかな……」
「いや、さすがにこれはないだろ」
もしその生徒の仮定が現実のものとなれば、おそらく戦略など到底浮かばないだろう、洗濯は逃げの一手。さもなければ命はない。
そこにいたほとんどの訓練生がそんな思いを抱いていた時。
「純一郎君、盾だ!」
意外にも戦う意思を見せたのはクラスで一番臆病そうに見える頼だった。
「あの尻尾、きっと何かを飛ばすよ! 気を付けて!」
ガラス越しにアドバイスを送るその声の主に周囲の目が集まる。「何言ってんだ、こいつ」「……訓練未経験だからそんなこと言えるんだよ」「それに他人事だし」
頼に対して嘲笑の声が次々にささやかれる。
しかし、目の前に夢中の頼にはその声は届かなかった。
「純一郎君、盾!」
「……フッ」
意外な協力者に堂壁は笑う。
そして壁に掛けてある防具類に目をやる。
「危ないっ!」
頼の声に堂壁はすぐに視線を戻した。
尾部が後方にうねっている。
「針か」
床を蹴り横に飛んだのと針の先端から赤い液体が飛び出したのとほぼ同時だった。
液体は矢のような速度で垂直に飛び、壁に激突した。粘液性の高い液体がばちばちと壁を溶かしながらゆっくりと垂れ落ちていく。
「……おいおい。殺す気かよ」
盾を手に取りながら文句を垂れる。
『過去に遭遇したレベル二十五のコピーだ。液体に触れるなよ。千分の一に薄めているとは言え、MHOから直接採取したものだからな』
「……三年で訓練内容も改善されたってわけか」
『怖いなら降参しても構わんぞ?』
「誰が。寝言は寝てから――」
「来るよ! 純一郎君!」
頼の声の直後、AIが再び毒液を飛ばした。今度は避けずに盾で受け止める。
「……あいつ。どうして」
「どうして分かるの?」
興奮している頼の袖を引き、牧島が訊ねる。
「……えっ? 何が?」
「モーションに入る前に……私にも分からないのに」
「えっ……分からないの?」
頼は信じられないという顔で牧島を見つめる。
「だって見るからに攻撃しようとしていたと思うんだけれど」
「……それって」
牧島が言い終える前に、二人の耳にばりばりというガラスの破片を踏み砕くような音が届く。
それは歩行をし始めたAIの関節同士がこすれ合う音だった。
「近接戦だな」
近づいてくる標的を見て、堂壁は青龍刀の束を握り直し、駆け出す。
「おらっ!」
上段から振り下ろされる刀。相手はそれを一方の鋏で受け止める。硬質な二つの物質が衝突し、小さな花火が散った。
硬度の点では僅かに刀が勝っているようだった。鋏の表面に小さな亀裂が入る。
「……よし、このまま砕いてやる」
敵の鋏を睨みつけながら、太い右腕に力を込める。押し合う最中、もう片方の鋏による攻撃を見据えて、左半身は盾で守った。
「おい、見ろよあれ」
全力で訓練に挑む堂壁の戦い振りに、それまで無関心だった生徒たちの中から興味を持つ者が現れ始めていた。
「うーわ。レベル二十五相手にどんだけ馬鹿力なんだよ。あの転校生」
「っつーか、どうしてあんなマッチョ野郎が研究科出身なんだよ……」
二の腕に浮かび上がる、枝分かれした血管。
孵化する卵のような音を立てて、鋏の亀裂が大きくなっていく。
「やれーっ、叩き折れーっ! 下剋上だーっ!」
その時、初めて頼以外の人間から応援の声が飛び出した。
それは手にノートPCを携えた運動が苦手そうな小太りの生徒だった。
「おいっ、村尾。てめえ、余所者に味方すんのかよ」
「あの人は余所者じゃないよ。ほら」
「……これは」
「堂壁純一郎。あの人は僕たちの先輩だよ。しかも彼、ランクCなんだ」
「俺達と同じ……それでレベル二十五と戦ってるのか」
「そう。だから、もし彼が戦いに勝てば、面白いことになる」
「……ははっ、マジかよ」
それをきっかけにその生徒以外からも同様の声が上がりはじめる。
「頑張って―っ! 堂壁先輩ーっ!」
「絶対勝てよ! 堂壁っ!」
「……何なんだよ。急に」
さっきまで敵対視すらしていた態度を百八十度変えた周囲に視線を送り、怪訝な表情を浮かべる。
一瞬の油断。
「離れて純一郎君っ!」
頼の声。
堂壁の足は反射的に後ろに飛ぼうとしたが、タイミングが一歩遅れた。
「このっ!」
斜め上から急降下してきた蠍の尾部。
すかさず盾で心臓を守ろうとするが、間に合わなかった。
「……くっ!」
尾部は正確に堂壁の胸の中心に達す。
その光景は、頼には梢が殺される場面の再現だった。
「じゅ、純一郎君っ!」