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仔猫のワルツ

今度はあたたかいお話です。明日より告ぐ、はあまりにも暗かったので削除いたしました。

流暢な音に踊る仔猫はくるりと回ってステップ踏んだ。



今日は珍しく晴れました。あたしはそれが嬉しくって笑いました。というよりも、今まで散々雨が降っていたこと自体が珍しいので、じっさいにはこれが普通ということになるんだろう。その空を見上げて、その青に声を立てずに笑ったの。透き通るような空。冬の澄み渡ったお空。それとおんなじにして低下した気温。お兄ちゃんが今日が休みで良かった、こんな風な寒さなら凍死してしちゃいそうだもん。そう思って、それから黒猫を見てあたしはもっかいえへへって笑った。あたしは猫のそのあしを掴んでゆらゆらゆわゆわと躍らせるように、自分でも何かわけの分からないことをして遊んでいる。あたしが手を動かす度に猫はもぞりと動いてすっごく可愛い。まるで子猫みたい。ううん。この子は子猫なんだから、当たり前だよね。あたしの手の動きに猫の方ももう抵抗もせずに、眠たそうにくりぬいたような大きな金色の目をうつらうつらとさせていた。耳がぴくぴくと動いて、あたしの手と連動しているみたい。かわいいなあ。尻尾の方はじれったそうにぺしぺしとほそい紐のみたいなそれであたしを叩いているから、きっと、ううん、ほんとにもうやめて欲しいんだろうなあ。でもあたしはそんなこと気にしないもん。えいってもっと脚を更に動かして面白おかしくそれを操って笑っちゃう。あ、そろそろ猫の目が半眼になってきた。「もうそれくらいにしとけ」お兄ちゃんが呆れるように声を掛けてくれたけど、それでもあたしはそれをやめたくなくて、口答え。「だって面白いんだもん」お前なあ、とお兄ちゃんが苦笑したところで、「きゃっ!?」な、なに?いたっ!や、やだ!猫が突然飛び上がってあたしの手を引っかいた。狙いは腕だ。咄嗟に顔の前に出したあたしの腕に爪が一閃、赤い筋がみるみる滲んで、あたしの眼にも涙が滲んだ。ああ、と慌ててお兄ちゃんが立ち上がって寄ってきた。その頃にはもう猫は既に洗面所の方へと逃亡した後だった。「お兄ちゃんー…」「馬鹿。いじめすぎるからだろ」「うえー、だってえ」だってだってかわいいんだもん。そんな風に口答えしたらでこピンが飛ぶので、あたしは賢くそれを言わないままなのだけれども。


「ほら、見せてみろよ」

「う、うん…いたいー」

「当たり前だろ。引っかかれたんだから。もう、爪きり何処にやったっけ?切んなきゃ駄目だよなあ。ついでにお前も」

「あたしも?」

「ほら、傷口消毒するぞ」


あたしは平和がやってきて、それから猫がやってきて随分とこどもっぽくなっちゃった。なんだか今ではお兄ちゃんのほうがお兄ちゃんらしくて(それもあたりまえなのだろうけれども)、ちょっと可笑しい。背伸びをしていた、二人は、段々とちいさくなってきてる。もう、泣くことだって、笑うことだって、誰かのことを気にせずに出来るんだ。大人から、こどもに成長してる。言葉にするとちょっとおかしいかもしれないけれども、それがきっとふつうの成長なのかなあって思う。大人びた仮面を捨てて、こどもに戻って、それからゆっくり大人になるの。それはいいことなのかなあ?いいことならいいなあ。あたしはまだ人生を経験したことがないから、それがいいのか分からなかったけど、それでも、悪くはないと思った。うん、悪くなんかない。きっと間違えてはいない。それがあたしたちの生き方だから。お父さんもお母さんも、きっと褒めてくれる。褒めてほしいなあって、切実に思った。誰かに褒めてほしいって。お父さん、お母さん、もう居ないお姉ちゃん、それからお兄ちゃんに。そのお兄ちゃんがせっせと埃をかぶった救急箱を持ってきて、あたしにいやあな色した消毒液をたらした。いた、い。しみるよお兄ちゃん。そう言ったら、それが消毒液だって笑われた。もう、お兄ちゃんの馬鹿。ばかばかばか。あたしの馬鹿。


みぃ。

ふと可愛らしい声がして下を向いたら、いつのまにか猫さんが戻ってきてた。それからあたしの膝立ちした足にすりついて、ごろごろ。さっきのお詫びだって言いたいのかなあ。ああ、あたしもごめんなさい。無理強いしたよね。「ごめんね」って呟けば、尻尾の振りが返された。うん、分かってくれたのかな。嬉しいなあ。あたしは笑った。お兄ちゃんも笑った。二人で笑った。それからあたしはお兄ちゃんに甘えるように抱きついた。どうしたのかってお兄ちゃんはこどもっぽく聞いた。なんでもないってあたしは舌足らずに答えた。猫がひとり取り残されて不満そうに鳴いてる。お兄ちゃんが絆創膏を貼ってくれたのが嬉しかった。なんでだろう、あの頃は、二人を失くして、途方に暮れていたあの頃は、こんな痛みなんとも思わなかったのに。痛みが飽和して、大きすぎて、他のことに気が回らなかったのかもしれない。そうなのかな、我慢して、我慢して、それでも誰にも褒めてもらえずに、あたしたちは我慢したね。なんの目的もない我慢なんて虚しかった。泣けばよかったのに。わらえばよかったのに。泣き叫んじゃえばよかったんだ。痛いってわめけばよかったんだ。思い出がつまったこの家のなにもかもが懐かしくて、けれどもほんとは辛いって正直に言っちゃえばよかったんだ。誰にでもない自分に、そう、正直に。けれども今は、もう我慢しなくてもいい。寄りかかって寄り添って、支えあうように体重をかけて、背中合わせに体温を感じて、お兄ちゃんってすがれば、それで。


「こ、こら!なにやってるの!」


油断も隙もない。猫が買ってきたばっかりのティッシュ箱をひっかいて、中身を白陽に晒そうとしていた。あたしは叫んで、ぱっと駆け出す。それをお兄ちゃんが困ったような顔で、それでも楽しげに見つめていた。あたしは振り返った。目があった。笑われた。それも決して不快ではない笑い方で。ねえお兄ちゃん、もうお姉さんなあたしは要らないの?要らないならもうやめてもいいけれども、あたしはちょっぴり残念だよ。お兄ちゃんのお姉ちゃんみたいに振舞うの、嫌いじゃないよ。でもあたしは本当はお兄ちゃんの妹で、お兄ちゃんはあたしの兄。それでいいのかな。うん、いいね。あたしはこどもらしく、自分に正直に生きていいんだね。こんなふうにくだらないこといっぱいして、くだらないことで笑って泣いて。ああそのとき思った。くだらなくて些細な日常こそが一番大事なんじゃないかって。こんな風に積み重なる塵みたいな出来事があたしたちを形成するものなんじゃないかって。そう思ったら、すこしだけ嬉しくなった。ねえ猫さん、大丈夫だよ。あなたが付けた傷もいつか治るから。傷跡は残っても、きっと痛みはもう見えない。例えどんなに現実があたしを傷つけても、いつかその傷は完治する。治ることは痛くて痛くて泣きそうだけれども、治るからきっと痛いんだ。痛みは終わりの絶望じゃない。これから治る傷への予兆。あたしがこどもに戻るまで、あとすこし。それから、…ん?


「ああー!!」


ぼっちゃん、とあまりに切なく貧相な音が響いた。あたしは部屋を飛び出した。洗面所の奥のお風呂場を覗いたら、そこに猫がダイブしていた。ぬれねずみだ。もう、馬鹿猫なんだからってあたしはお姉さんぶるようにため息をついて、それから手を差し伸べた。あの時とおんなじ ぬれねずみだけど、けれども楽しいぬれねずみ。乾かすのも嫌がるだろうなあって思いながら、あたしは自分の服が濡れるのも構わずに猫を抱きしめた。まるで目まぐるしく踊ってるみたいだ。不恰好なワルツを踊るみたい。あたしも猫も、踊ってる。そういえば、まだ名前を詳しくは決めてないなあ。なんだろう?雨の日に拾われてきて、水に落ちて、それで黒いから…ううん。なんだろう。お花が好きだから、お花の名前にしようかな?それも美味しそうな名前。綺麗な花言葉。猫を乾かしながら、あたしは花言葉の本を開いた。ぱらぱらとページをめくる。この猫が来てくれてからこのお家はもっと幸せになった、もっと無邪気になった。だから、そうだ、苺にしよう。苺の花言葉は『幸福な家庭、甘い香り、無邪気、あなたは私を喜ばせる』。ぴったりだね、ってあたしは笑ってそれから初めてその名を呼んだ。この名前だって愛しかった。


「苺ちゃん」


苺はぱちぱち目を瞬かせ、それから一声にゃおんと笑った。

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