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花唄

ブログがあります。作者紹介ページからどうぞ。

ゆるゆると閉じられた瞼の裏に映りこんだのは鮮やかな春の色。それを追いかける暖かな風が背中を通り越してどこまでも遠く遠く花びらを運んでいって、どこまでも届くのだろう、きっとその花はいつか世界中を廻って新たな命を息吹かせるのだ。春の日差し。柔らかな温度。それから花のぬくもり。はらはらはらはら散る花雪、桃色の空を駆け巡る幸福の音は、巡り巡ってこの世界に満ちていく。春の息吹。踏みしめる花の道。すべてすべて包み込んで、青空はしあわせを唄った。



花唄



終戦というひとつの結末を迎え、この国は新たな一歩を焼け野原に踏み出すこととなった。第三次世界大戦の傷跡は重く国民に国に圧し掛かり、被害も損害も並々ならぬものであったが、それでもこの戦は終わったのだ。戦いを象徴する武器は投げ捨てられ、軍を掌握していた大臣もクーデターに遭い没落、国民の支持を得た平和民主党のトップが華々しく国を飾った。そうしてこの国は、ようやくの平穏を取り戻すことができたのだった。平和。安楽。そんな言葉を知らぬ子供も数多くいた。親を知らぬ子もたくさんいた。それでも彼らにとって終戦は希望の幕開けであった。この広い広い空を埋め尽くす戦闘機の影はいまや何処にもなく、ただ戦争を見知らぬ青が顔を出して、ほんとうの青空をめいっぱい主張するかのように快晴の兆しを見せていた。それは軍事主義の終わりを示すものであり、かつての日本国の象徴であった平和・非核・国民主権を取り戻した日本は見る見るうちに国の状態を整わせていった。平和を望まぬものなど何処にもいない。しあわせを望まぬものも何処にもいない。戦争は終わったのだ。もう怯えることなどない。終戦の合図のラジオを見た若者たちは一斉に叫びを上げ、それからありったけの酒を持ち出して大勢の人間にかけあった。馬鹿のように騒いで騒いで、そうしてそれを実感したのだ。叶わなかった白日の下での生活。それから血を見ない日常を。

潤う彼らの心の中は光に満ち溢れた、うつくしい色。鮮やかに眼を焼く命の色。死にゆく赤はもう見えない。ただそこにあるのはまっさらな虹色の世界で、望んでも得られなかったしあわせの色をしていたのだ。


「お兄ちゃん、見て」


あたしはお部屋のカーテンを思い切り広げて降り注ぐあたたかな日差しを全身に当てて、それから振り向いてわらった。春の日差し、その匂いにつられて微笑む花の色がうつくしくて、目も開けられないくらいに光が眩しくて、それでもあたしは目を閉じずに笑う。お兄ちゃんもあたしの横に立って、それからあたしの肩をそうっと抱いて、感極まったかのようにゆっくりと声を漏らした。


「ああ、…空が青いな」


見上げればいつも重たい鉛が飛び交っていたかつてのあの空は、もう何処にもいない。かわりに訪れたのは見たこともない青さ、それからその広さだった。お兄ちゃんはすこし涙ぐんだかのようにぐずっと鼻を鳴らして、それから優奈、とあたしの名前を呼んだ。それが嬉しくて、あたしはお兄ちゃんの腕をぎゅっと掴んで、ぐいぐいと振り回した。それからくるっと一回転して、両手を空に掲げる。伸びた栗色の髪があとを追ってふわっと回って、それからふんわりとあたしの肩に戻ってきた。なんだかすっごくどきどきする。不安だからっていうわけじゃあなくって、もっとわくわくするかのような、そんな風な胸の高鳴りがする。それは決して嫌な感覚なんかじゃなくって、ううん、すごく嬉しい感じなの。ねえお母さん見て、優奈はこんなにおっきくなったんだ。だって、こんなに空が近いもの。今にも落ちちゃいそうなくらいまあるい空はきれいできれいで、あたしは初めてこの空がうつくしいんだってことに気づいたよ。いつかお父さんが肩車をしてくれたときのことを思い出す。あのときも楽しかったけれど、今はもっと楽しい。隣にはお兄ちゃんがいて、それから大切な思い出がいて、それから。


「優奈、外へ出ないか」

「うん!」


あたしはお兄ちゃんの提案に喜びながら飛び跳ねて、急いで玄関から靴を履いて外へと飛び出した。靴に脚を突っ込んだっていったほうが正しかったから走りにくかったけれど、それでもあたしは止まらずに走って走って庭へ出た。あとからお兄ちゃんが追ってきて、苦笑するように「靴はちゃんと履けよ」と言った。はーい、と気もそぞろに返事をすると、あたしは庭の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。おいしい。空気ってこんなにあったかかったっけ?そうして空をもう一度見上げると、目の先にふわりとなにかが飛んでいくのが見えた。なんだろう。気になってそれにあわせるように目を横にずらすと、それは薄い桃色をしたちいさな何かだった。ふわりふわりとそれは風に煽られながら降下して、青々とした庭の芝の上に落ちる。それをそうっと人差し指でつまんで、目の前に掲げた。やさしいピンクの、可愛い破片みたいなものだった。


「お兄ちゃん、これなあに」

「ああ、優奈は知らなかったのか?桜っていうんだよ。日本の国花なんだ」

「さくら?」

「ああ。綺麗だろ?春になると、たくさんたくさん咲き出して、花びらを飛ばすんだ」


それはまるで希望を飛ばすかのように、空気に乗せて届く花。あたしは初めて見たその花に夢中で、どこから飛んできたんだろうとあたりをきょろきょろ見渡した。この近くにはそんな木、一本もないのになあ。


「優奈、それより、あれ」

「え?」


お兄ちゃんが楽しそうに微笑んであたしの後ろを指差した。何かと思って振り向くと、去年植えたばかり花壇、そこはちいさな芽が花開いていた。みどり。緑の生き生きとした色を芽吹かせ、それはあたしたちに自慢するかのように誇らしげにつんと上を向いて立ちすくんでいた。あたしは駆け寄ってその前にちょこんとしゃがみこんだ。好奇心だとか、興味だとか、そんなものがない交ぜになってあたしの胸を突いていく。これは確か、去年の冬にお兄ちゃんと一緒に植えた球根だ。あの時は硬くって茶色くて、ただの塊みたいだったのに。なのに、芽を出した。まっすぐな芽を。あたしは嬉しくて嬉しくて、ぱっと後ろを振り向いて、笑っているお兄ちゃんに向かって叫んだ。



「すごーい!お兄ちゃん見て見て、芽が出たよー!」

「優奈が頑張って水をあげたからな」



戦火の下、射撃を受けないように注意しながらこっそりとあげていた水。あまりに空襲が激しくなってしばらく様子をみることが出来なかったのだが、それでもその植物の生命力はすさまじかったのだ。人の手を借りずとも、こうして芽吹いた。逆境にも負けず、たっひとりで。


「お母さんたちもきっと喜ぶね!」

「そうだな。優奈、公園の桜を見に行くか?きっと今頃満開だぞ」

「わあ!いくいく!連れてってー!」


きゃあきゃあと無邪気に叫ぶ妹の手を引いて、少年は鼻唄まじりに明るく咲き誇る春の道をゆく。道であうひとたちの笑顔を見ながら、ちいさなぬくもりの手を離さないようにしながら、桜の木を目指した。はらはらと舞い散る桜の花びらを辿るように。



こんにちは、いとしい世界。

初めて見たまっさらな雲ひとつ無い青い空は、しあわせの花が舞っていた。



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